第2章第1話
雲井城の本丸にある一室に通された源太郎は、城代の永野貞則はじめ数人の重臣たちが見守る中、緊張の面持ちで着座した。
部屋には奥から永野貞則、次にその息子の貞和が坐り、少し離れて赤松家以来の家臣の佐々木左内が控えていた。
手前に源太郎が坐り、隣には総代の忠成、そして忠成の息子である甥の忠国がいる。
「憶えておいでかな、それがしの顔を」
永野はそう言って親しげに相好を崩した。
「最後に逢ったのは源太郎殿がまだ乳飲み子であったころであったが」
源太郎は永野の顔を見つめた。
永野は五十代半ば、小柄で目がギョロリと大きい。
「申し訳ございません。憶えてはおらぬようです」
源太郎は頭を下げた。
「なに詫びることはない。赤子の時分では致し方ない」
と、永野は笑った。
「しかし、永野様のご助力によってこの命が救われましたこと、このご恩は一日たりとも忘れたことはございません」
「いやいや。よき武者振りに感じ入った次第。見れば見るほどお父上によく似ておる。そうは思うわぬか総代殿、忠国殿」
「まことにその通りにございます」
忠成は嬉しそうに頷き、忠国も同意した。
永野は源太郎の凛々しい顔立ちを繁々と眺めた。
「月日の流れとは残酷なもの。おのれの老いをこれほど実感する日はない。そろそろわしも身を引かねばならぬ時期となったのやもしれん」
「父上、なにを申されるか」
息子の貞和が慌てて諌めた。
「赤松家が大事なとき。父上には、まだまだ城代として働いていただかねばなりなせんぞ」
「その通りでござる。永野様には引き続き城代として黄瀬川家をお守りいただきたい」
総代も諭すように言った。
「それが叶うかどうかはこの合議次第。今日、皆に集ってもらったのもそのため」
「なんですと!」
一番に驚いたのは貞和だった。
「どういうことですか、父上。これはいくさ前の合議ではないのですか?」
「赤松の殿から早馬が来たのは皆も知っての通りだが、それは出陣を命じるものであった」
「やはり黒金とのいくさに参陣することに?」
「大まかに言えばそうだが、今回はそれが少し違うのだ。殿よりの報せでは、津坂郡の白井一久が黒金家に臣従したらしい」
「なんと! 白井が裏切ったとは。それでは津坂の領主たちの動向は如何なりますか?」
「すでに半数近い勢力は白井を通じて黒金に誼を通じておるようじゃ」
「では我らはが戦う相手は白井勢……」
「左様。我らは白井のおる津坂平定に向かうことになる。だが、我らに援軍はない。黄瀬川勢のみにて戦ってもらわねばならぬ」
「それは困難ないくさになりましょう」
と、総代の忠成が言った。
「津坂郡には黄瀬川との縁者も多く、白井家と黄瀬川家は縁続きにござれば、家臣領民の中には白井家と事を構えることに難色を示す者も現れることでしょう」
「うむ。それを殿は心配しておった。そこで殿はひとつの案を決せられた」
と、永野は言った。
「それはどのような?」
貞和は訊いた。
「黄瀬川家がこれからも変わらず赤松家に合力することを条件に黄瀬川から取り上げておった領地を即刻すべてお返しする」
「なんと!」
と、貞和は驚いた。
「さらに黄瀬川家の家督を源太郎殿が相続することも認める、とのことであった」
「父上! それはどうしたことでござるか! それでは我ら、いや永野家の城代職はどのようになるといわれるか」
「貞和、落ちつくのだ。これは殿がお決めになったことだ。我らは平定後の津坂郡を治め城代となるのだ。もちろん江崎郡の黄瀬川家も引き続き我らの配下に入って頂くことに変わりはない」
「しかし、我らだけで津坂の平定は困難では。もし平定がならぬときは――」
「なにも変わりはせぬ。源太郎殿の家督相続後も津坂郡の平定がならぬ内は江崎郡の城代職は永野家が続けることに変わりはないのだ」
「しかし、それではあまりに黄瀬川家に有利な条件ではございませぬか?」
「言葉を控えよ、貞和。状況が変わったのだ。これは殿がお決めになり、すでに総代殿にもお知らせしたことだ」
「しかし……」
「津坂が黒金に落ちれば次はこの江崎の黄瀬川家に触手を延ばして来るのは間違いない。それを怖れた殿は黄瀬川家に恩情を与えることで変わりない忠節を求められておるのだ。それが分からぬのか、この愚か者めが!」
「もっ、申し訳ありません」
貞和は冷や汗を流しながら平伏した。
――永野様は焦っておられるようだ。
と、源太郎は不思議なほど冷静に考えていた。
――総代殿も忠国殿も私が家督を継ぐことを望んでおられる。
源太郎にもそれ以外の選択肢があると思えなかった。
「源太郎殿。いや忠正殿」
永野が血走った大きな目で源太郎を見つめた。
「我らが主の申し出をお受けして頂けますかな?」
源太郎の答えは決まっていた。
「赤松家と黄瀬川家の安泰のため謹んでお受け致します」
と、源太郎は頭を下げた。
忠成と忠国も源太郎に倣って静かに平伏した。