第1章第4話
黄瀬川家の本城である雲井城は三方山の険しい山頂に聳え立っている。
磯貝が先導する源太郎一行が雲井城に到着したころには辺りは暗闇に包まれていた。
香坂と坂田は堅牢な城壁の続く城の威容に緊張を解くことができなかった。
「十蔵。顔が強張っておるぞ。お主まさか漏らしてはおらぬだろうな」
「こんなときに戯言を申すな。お主こそ声が震えておるぞ」
「なんの。武者震いじゃ。しかし、情けなや。我らも城勤めではないことを忘れておったわ。久方振りの登城ゆえ、強張りが取れぬ」
香坂と坂田は顔を見合わせて苦笑いした。
一行の目前に正門である大手門が見えた。
堅牢な城門の前には巨大な松明が三本ほど焚かれ、城兵たちが待ち構えていた。
「源太郎様、ご到着!」
磯貝が大声で恭しく告げた。
源太郎が下馬するのを待って近づいてくる老齢の男がいた。
「若様」
男は源太郎の前で深く頭を垂れると涙を流さんばかりの声で源太郎の手を取った。
「お久しゅうございます。お待ち申し上げておりましたぞ」
「叔父上。お久しゅうございました」
源太郎の手を握る黄瀬川忠成の手は皺だらけで節くれ立っていた。
「五年振りですか。叔父上。元服の儀が最後であった、と」
「そうでござったな。若様には苦労をお掛けした。命だけはと寺にも預け、元服したのちも百姓同然の暮しを強いて参った。しかし、それも今宵限り――」
「叔父上。それはどういうことでございますか?」
忠成はシマッタという顔をして目を伏せた。
「いやいや。それは私の口から申せぬことでござった。まずは城代の永野様から詳細は聞かれるが宜しかろうと存ずる」
源太郎一行は忠成に連れられて城内へと進んでいった。
三の丸に続く三の門前で一悶着あった。
香坂と坂田の二人が留め置かれたのである。
「入ってならぬ。そなたらは何者じゃ」
門番が身なりの劣る香坂と坂田の二人を目聡く見咎めたのだ。
「何者とは無礼な」
坂田は言った。
「それがしは源太郎様をお守りする役目を仰せつかった者にて坂田信介と申す。これは同輩の香坂十蔵にござる」
「怪しき者たちよ。嘘を申せば打ち首ぞ」
門番は槍を掴んで凄んだ。
「なにを申すか! 我らは城代様直々にお役目仰せつかっておる! 嘘だと思うなら城代様に直接お伺いをたてるがようかろう!」
坂田は叫んで刀の鞘を引き出して腰溜めに構えた。
――馬鹿者、やりすぎだ。
香坂はヒヤヒヤした困った顔で坂田の腕を抑えた。
「何事か!」
磯貝が慌ててやって来た。
「お主たち、なにをしておるんじゃ……」
坂田と香坂の姿を見て磯貝は呆れ顔だった。
「どうもこうない。こやつが我らを通そうとせんのだ」
坂田が言った。
「待て。お主らの勤めは城に着いた時点で終わったのではないのか?」
「いやいや、そういうわけにはいかん。源太郎様を無事に城代様の元へお連れするまでが我らの勤め」
「屁理屈を言うな。もうよい、お主らは帰れ」
「そうはいかぬ。それでは我らの勤めが果たせぬ」
「お主ら……」
磯貝は頭を抱えて黙り込んだ。
「磯貝殿」
と、声をかけたのは源太郎だった。
「少しよいですか」
「はい」
「あの二人は私を警護するために五年間も律儀に働いてきた者たち。その働き振りに対して後日格別の配慮を賜るよう磯貝殿からも城代の永野様にお伝えしては頂けませぬか?」
「それはかまいませぬが」
「それは良かった」
源太郎は顔をほころばせた。
「二人ともそれでよいな?」
源太郎は香坂と坂田に向けて言った。
「ははっ!」
と、坂田は頭を下げた。
「あっ、有り難き幸せにございます!」
香坂は身体が震えるのを止めることもできず無様に声を張り上げて頭を下げた。
――首が繋がった。
香坂は安堵と不安と高揚感が同時に押し寄せて腰から落ちそうだった。
香坂と坂田は城を出て無言で帰路についた。
城下の見慣れた町並みに安堵したのか、ようやく坂田が声をかけてきた。
「うまく行ったではないか、十蔵」
「信介、冷や汗をかいたぞ。お前のせいで死ぬところだった」
「わしも死ぬかと思った」
と、坂田は笑った。
「だが、死地に赴かねば功名はあげられぬ、それが武士の定めではないか」
「確かにそうだが、お主のようなやり口では命が幾つあっても足らん」
「まあ、そう言うな。これで道が開けた。そう思おうではないか。あとは我らのいくさ働き次第」
「そんなにうまく行くものだろうか?」
「うまく行く。わしの勘を信じろ。我らには源太郎様が付いておるのだから」
坂田は意気揚揚といった感じでなんの心配もないような顔をしている。
香坂は疑心な目で坂田を見つめた。
――果たして、源太郎様にどのような道が開かれているのだろうか?
香坂はこれから起こるであろう、血なまぐさい、いくさの気配に身が引き締まる気持ちで一杯になった。