言葉と名付けられしはもろ刃の剣
只野影鳴は、無口な少年だ。おしゃべりなあたしとは、正反対だなと思いながら、時々観察してみる。彼は一日、どれくらいしゃべるのだろう。おはようやまたなの挨拶は、ごく普通にかわしているけれど、クラスメートや友達とでさえ、一言、二言ですべて返す。
(変な奴……)
しゃべらないで苦しくないのかな。言葉は外に出さないと、頭の中でぐるぐるいつまでもまわってしまうあたしには、どうにも理解に苦しむ。苦しむんだけど、なんでか気になる。
「鞘ちゃんってば、また見てる」
「ありゃ、ばればれ?」
「ばればれ。っていうか、何?只野君のこと好きなの?」
友達のチコこと、市澤コノハは、首をかしげる。そりゃ、かしげたくもなるだろう。接点がない。共通点がない。只野は特にカッコイイわけでもない。あたしのタイプでもない。
「いやぁ……なんか、あの無口さ加減がなんなのか、気になっちゃうのよね。しゃべらなすぎじゃない?その割に友達とか知り合いとか多いみたいだしさ。そういや、この間なんて生徒会長様といっしょだったし、男の子って無口な相手の方が友達になりやすいのかとか、まあ、いろいろ考えるわけですよ」
チコはくすりと笑う。
「相変わらず、マシンガンだよね」
「そう、あたしは空木鞘。またの名をマシンガントークのウルサヤ様だ!!……ってなにいわせるかなぁ。いや、自分でいったんですけどね。自分でもうるさいなとは思うけど、治らないから仕方ない。草津の湯でも医者でももってきやがれ、こん畜生様。何名で?」
チコはぶっと吹き出してけらけら笑う。うん、よしうけたな。あたしはにんまりとした。あたしの日常はいつもこんな感じだった。
そして、それは本当にただの偶然だったと思う。その日、あたしは帰宅途中で忘れ物をしたのを思い出して、教室にもどったときだった。
「ほんとうにさぁ、うるさいよね」
ほんとだよねぇとケラケラと笑う声がして、あたしは教室に入る一歩手前で足をとめた。声の主はチコ。それに何人かのクラスメートだった。
「ウルサヤって、マジうざい」
「コノハも大変だよね。なんであんなのと一緒にいるの?」
「だって、あの必死さ。笑えるじゃん」
「確かにねぇ。バカみたいなことばっかり言ってさあ」
「人の話なんか聞いてないしぃ」
「はっきりいってウルサヤどころか、ウザサヤだよぉ。もう、面倒みきれないったら」
チコはそういった。わかってる。チコがそういうのは。同じ中学の時、チコはいじめにあってるから、きっと今も周りにあわせて、あたしの悪口を言ってるだけだ。
「明日から、全員で無視してみようよ」
チコがそう言った。
「ああ、それいい。きっと静かでいいわぁ」
あはははと全員の笑う声に、あたしは教室に入れないまま、そっと後ずさった。走り出したい衝動を必死でこらえて玄関へ向かおうと振り返った時、誰かにぶつかって謝ろうと顔をあげたら、ぶつかった相手は只野だった。
「おいで」
只野はひとことそういって、歩き出す。あたしに言ったのかどうかわからないけれど、不思議と黙ったまま、あたしは彼の後について行った。
彼が足をとめたのは、カウンセリングルームだった。只野はノックをして返事も待たずに、扉をあける。
「いらっしゃい……ん、お友達?」
只野はそっけなく、クラスの奴とつぶやいて慣れた風に、ソファーにすわった。あたしは、入り口で躊躇する。こんなところに来たのばれたら……。
「どうぞ、お茶でもいかが」
はじめてあうスクールカウンセラーは、ふくよかな顔に穏やかな笑みを浮かべたから、あたしは自然と部屋に入ってしまった。只野の隣に座るようにいわれて、黙って座る。頭が混乱していたんだと思う。一言も言葉がでてこなかった。
「只野君は紅茶だったね。あなたは何が飲みたい?」
カウンセラーのおばちゃんは、喫茶店の店員みたいに愛想よくあたしに笑いかけた。その途端、涙があふれだした。あたしは自分でもびっくりして、必死で涙を止めようとしたら、只野がぼそりとそのままにしておけと言った。そのせいなのか、どうなのか……あたしは、堰を切ったようにわんわん泣いた。
悲しくて、悔しくて泣くしかできなかった。
カウンセラーのおばちゃんは、頼んでもいないホットミルクをそっとテーブルに置いて、向かい座った。あたしが泣き止んだころ、只野は言った。
「しゃべりたくなったら、ここにくればいい」
そして、カウンセラーのおばちゃんも話すことがなくても、お茶を飲みにいらっしゃいなと微笑む。どちらもあたしが泣いた理由を聞くことはしなかった。
次の日から、無視ははじまった。できるだけ、平静をよそおってチコにおはようというと、返事はなく他の子たちのところへ行った。無視されるのが、どれほど辛いのか想像はしていた。けれど、ここまできついとは思ってなかった。あたしは黙って、自分の席についた。午前中は何とか積極的にチコのいるグループに話しかけてみたけれど、こちらを見ることもなかった。チコも同じだった。
(なんで、こんなことになったんだろう)
昼休みになって、いつもはチコといっしょにお弁当を食べるのだけど、午前中の女子の態度で、チコに声をかける気にはならなかった。あたしは、お弁当をもって気が付いたらカウンセリングルームの前にいた。
「入るの?入らないの?」
背後から、只野にそういわれてあわてて扉を開けて中にはいる。カウンセラーのおばちゃんの姿はなく、ソファーにはネクタイの色が違う上級生がたむろしていた。
だが、誰もあたしたちのことを気にしていなかった。好き勝手に備え付けのポットやお茶類を入れてそれぞれ、部屋にあるいくつかのテーブルで昼食をとっていた。その中に、生徒会長がいた。いつも堂々としてみえた彼は、窓際の丸テーブルでひとりパンをかじっていた。
只野はあたしの背中をおして、そのテーブルに座らせる。
「お、可愛い子じゃん」
生徒会長はにこりとひとこという。只野はこくりと頷いただけで、紹介もしてくれない。だから、あたしは名乗ろうと口をあけたとき、必要ないよと先輩は笑った。それでも、あたしは居心地が悪くて、空木ですと名乗った。それを受けて生徒会長は甲斐ですと言ったきり、それ以上は何もいわず、二つ目のメロンパンをぱくつく。
カウンセリングルームでの昼ごはんは、正直、辛かった。話してはいけない。そんな雰囲気だった。ときどき、集まってる人たちが二言三言会話するのは聞こえたけれど。いつも、騒がしいあたしには、あまり落ち着ける場所ではなかった。
そんな状態で無視は続いた。あたしは自然とカウンセリングルームで昼食を食べるようになった。最初は違和感とみじめさで、しゃべろうとしたけれど。そのたびに、只野は唇に一指し指で、静かにの合図を送ってきた。そして、只野が選ぶ席は窓側で、カウンセラーはいたりいなかったりした。
あたしはいつの間にか無口になっていた。というより、何か肩の荷が下りたような気がしていた。沈黙が心地よくなる。毎日、カウンセリングルームでお弁当を食べていたけれど、ときどきは一人で食堂を使うこともあった。
(ああ、そうか)
あたしはようやく気がついた。チコがいじめにあって、かわいそうだと思っていたんだと。だから、いっぱいしゃべってあげたら、きっと笑ってくれると。そして、必要のないほどにしゃべりすぎていたことに。本来のあたしは、マシンガントークなんてしない人間だったんだ。食堂の喧騒に耳をかたむけたとき、ようやく自分らしさを取り戻した気がしていた。
(只野君にお礼、いいたいな)
そう思っていたころ、突然チコがお昼に誘ってきた。今まで無視してきたことなど、忘れているかのように。
「ごめんね。あたし、一人がいいの」
チコは拒絶されたことにショックを受けたのか。
「なによ、鞘ちゃんらしくないじゃん。マシンガントークウルサヤはどうしたのよ!」
責める口調にあたしは何も感じなかった。悲しいとか悔しいとか、そういう感情はもうないし、チコがかわいそうだと思うこともなかった。たぶん、チコにはチコなりの処世術というものがあるのだろう。そして、あたしがそれを勝手にかわいそうなどという感情で関わるのは失礼だと思った。
「ごめんね」
あたしはチコにそう言い残して、一人カウンセラールームへお弁当を持っていった。そして、その日は只野とあたしだけだった。だから、あたしはお弁当をひらきながら、ありがとうとつぶやく。只野は別にと言ってから、何か失敗したという顔になった。そして深いため息をついて、独白するように言葉を紡ぐ。
「よくしゃべる女がいて、彼女は夫と息子のために明るい楽しい食卓を一生懸命演出していたんだ。だけど、夫も息子もそのおしゃべりにうんざりしていて、ある日夫はうるさいよと言ってしまったんだ。その後、彼女はひっそりと死を向えた。自殺じゃなく、心臓発作だったけど。夫も息子も後悔した。ただ、そこに彼女がいないというだけの食卓で毎日お通夜のような有様になった。本当は、ただ、そこにいてくれるだけでいい、そういえなかった自分たちを恥じ、後悔しつづけている。今も」
あたしは、そうと一言いい。お弁当を静かに食べた。只野もそれ以上何も言わず、何もきかず静かに静かにパンをほおばっていた。
【終わり】