国際テニス大会のチケット
雨あがりだったが、水はけのよいコートなので午後には使用可能な状態になることは分かっていた。
今日は珍しく母親が家にいた。いつもは学生への講義だの、講演会だの、クリニックだのと忙しく昼間は家にいないのだ。それでも絶対に夜6時には家に帰ってくる。母親としてのポリシーなんだとか。
ドタバタと慌てるようにしてラケットを抱えてコートへと走っていくはじめの姿はいつものことだったが、今日はいつもと様子が違っている。レッスンに行くときに着ているお気に入りのプラクティスTシャツを着込んで今にも歌いだしそうな息子の様子にほくそ笑んだ。
「あらあら、女の子と待ち合わせでもしたの?」とさりげなく声をかけると、背後からブーっと牛乳を吹く音が聞こえる。「当たっちゃったみたいね。」とにこにこしている。
はじめ「母さん、その・・・時々心を読むの・・・やめてくれ。」
母「あら、心なんて読んでないわよ。心なんて読めないもの。心を読むなんて幻想よ、幻想。」
はじめ「いや、いつもなんか見透かされているような気がする・・・。」
母「だって、いつもと様子が違うんだもの。心理学者じゃなくたってあなたの様子見てたら分かるわよ。
で?どんな子なの?って聞きたいけど・・・・・・・やっぱり、いいわ。」
はじめ「(ガクっ。母さんの猛攻に備えていたのに。)・・・なんだよ。そこまで聞いておいて。」
母「ん~?自分から言う気になった?」とにやりとしている。
こういう母さんのふざけたところにたまにイラっとくることもある。息子をもてあそぶなよ・・・。
はじめ「いや、ただの友達だよ。(すげーかわいいけど)」
母「ふーん。ま、いいや。責任持って行動しなさいよー。責任取る男の母にはなりたくないから。」
はじめ「(ええ?!ええ~?!母さん・・・今、なんて言ったよ・・・。さらっとすげーこと言わなかったか?まだ手もつないだことないのに・・・ってか付き合ってもないぞ。)なんだよ、それ。」
結局、面白がっている母を背に「いってきます。」とそそくさと逃げ出すように玄関を出た。
コートにつくと、もう優衣は到着していた。
彼女はお気に入りのいつものラケットを手にず~っとコートの金網に張り付いてはじめが到着するのを待っていたのだ。
はじめ「(なんだよ、あれ。かわいすぎだろ。)早かったな。」
優衣「うん、今、来たところだよ。」
はじめ「(うそだろ、どう見ても早くから来て待ってたろ。)そ、そっか・・・。」
優衣「ねえ。」
はじめ「ん?」
優衣「いや、何でもない。早く打とう!」
はじめ「あ、ああ・・・(変なやつ)。」
その後、ラリーをどこまで続けられるかなどボールが見えなくなるまでテニスを楽しんだ。
その日以来、部活がない日やレッスンのない日は、あのコートで落ち合った。
そして、帰り道、2人で歩きながらいろいろな話をした。
家族のこと、自分の将来の夢、幼い日の頃のこと・・・。
いつの間にか、朝も一緒に登校するようになった。
2人にとって一緒に歩くことは自然なこととなっていった。
それに伴って、互いの呼び名も変化していった・・・。
そしてある日、いつものように一緒に帰宅していると・・・優衣がふと立ち止まった。
はじめ「優衣、どした?」
優衣「あれ・・・。」と指をさす。
指差したさきには、国際テニス大会のポスターがあった。
はじめ「ああ、あれかー。あれだよ、いつか話したろ。俺が夢中になった初めての大会。」
優衣「やっぱり・・・。」
はじめ「なあ、見に行かないか?きっと啓吾さんも出るんだと思うし。じいちゃんに頼んでチケット2枚もらっとくから。」
優衣「え?いいの?あの大会ってなかなかチケット取れないんだよね。前は抽選だったし・・・。」
はじめ「うん、大丈夫だと思うよ。子どもはただでいいよなー。俺たちはチケットなきゃ入れないし。」
優衣「そうだね・・・あ、チケット代払うから・・・。」
はじめ「いや、いいよ。どうせおれももらうんだし。それに・・・優衣、もう少しで誕生日だろ。」
優衣「はじめ、わたしの誕生日知ってたんだ。」
はじめ「普通に知ってるだろ。ったく、何プレゼントしようか考えてた俺ってバカみたいだなぁ。あーあ。」
優衣「ええ~?!プレゼントまで考えててくれてたんだ。」
はじめ「あ、いらなかった?」
優衣「ほしい!ほしいです!」
はじめ「チケットだけじゃなぁ・・・ほかになんか欲しいもんある?」
優衣「だってチケットで十分じゃん。」
はじめ「いや、正確には・・・チケットはじいちゃんのポケットマネーなわけで・・・俺はふところ痛まないし・・・。それに・・・俺からプレゼント・・・したいなー・・・なんてさ。」
優衣「そ、そっか・・・。じゃ、考えとく。」
はじめ「ああ・・・。」
優衣「はじめ・・・。」
はじめ「ん?」
優衣「・・・ありがと。」
はじめ「う・・・うん。」