「はじめ」とテニス
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長男のはじめは、幼い頃から話し上手で周囲を笑わせるのが常だった。
最初は、出張がちの父親を想って寂しがっている母親を笑わせるのが目的だったが、それが意外にも
友達にも喜んでもらえることが分かって以来ずっと「おもしろいやつ」というのが彼の代名詞でもあった。
ただ、唯一冗談を言わずに黙々と取り組むものが1つあった。
それは、テニス。
5歳の頃に住んでいた家の近くのテニスコートで国際的なテニスの大会があった。
本当は毎年行われていたが、弟のあきらと妹のわたしがまだ幼くて母が静かにマナーを守って見られないからということを理由に連れて行かなかったのだ。
ただ、ポーン、ポーン、という音を部屋でいつも聞いていた。
あの音はなんだろう。
いつも想像したものだった。
もしかしたら、スリッパで突っ込みを入れている音かもしれない。
もしかしたら、筒状のものの蓋を何度も取っている音なのかもしれない。
いろいろなことを想像した。
そのどれもが子どもの発想だったので、まさかラリーの続いている音だとは夢にも思わなかったのだ。
5歳の誕生日、母に何かしたいことはあるかと尋ねられた。
その時に、「あのぽーんって音を見に行きたい。」と言ったのだった。
かくして母は3歳の弟と1歳のわたしを祖母に預け、早速次の日に2人で謎の音の探索に出かけたのだった。
もちろん母はテニスボールの音だということを知っていたが、弟や妹に手がかかる時期ではじめのために時間を持っていなかったことを気にしていたのか、はじめだけのために謎の捜索活動をしようと誘ってくれたのだ。
いそいそと母の手を引いて走った先に見えたもの・・・それは、広大なテニスコート。
そして、ものすごく速い黄色い球。
ラケットで打つ音。あのポーンだった。
そこからは母が声をかけるまでボールの動きに見入っていたため、4時間もたっていたことなどすっかり気づかない有様だった。
次の日も、その次の日も試合が終わるまではじめはテニスコートに1人通った。
歩いていける距離で、しかも道路を渡る必要がなかったため母も1人で出かけることを許してくれた。
そんなある日、選手の1人がはじめのところへやってきた。
「やあ、きみは毎日来てるんだね。テニスに興味あるの?」と。
はじめはすぐにうなずいた。
すると、その選手は、はじめを抱っこしてコート内に入った。
実は、この選手、のちに日本一強いプレイヤーと言われる西切啓吾だった。
ちょうど試合前にアップしていたところではじめを見つけたのだった。
毎日、黙ってずっと何時間もボールを見続けているはじめのことが気になっていたのだ。
「この辺りに住んでいるの?」
はじめは後ろの防風林の向こうの邸宅を指差した。
「あぁ、そうか・・・綾瀬さんのところの坊ちゃんだったんだ。」
「お父さん、知ってるの?」
「あ、お父さんじゃなくて、知っているのはお祖父さんね。きみのお祖父さんに僕はいろいろとお世話になっているんだよ。」
「おじいちゃん?」
実ははじめの祖父は大のテニス好きで、財団を立ち上げて若い選手を育てるんだといつも才能あるプレーヤーを探していたのだ。
まさか未来の才能あるプレイヤーが自分の孫だなどとはこの頃は知る由も無かったのだが・・・。
「そうだ、お祖父さんに頼んでテニスをさせてもらったらどうかな。」
「え?」
「小さい頃からテニスをする子もたくさんいるんだよ。そんなに好きならきっとうまくなるよ。」
もちろん、そのあと早速、祖父にお願いしに行ったことは言うまでもない。
しかし、祖父の返事は
「まだ早いだろう。」
だった。
肘を壊すこともある競技でもあり、早くから始めることには慎重だったのだ。
しかし、適切な指導があればもちろん肘を壊すことなんてない。
それも分かっているが、大事な孫をまだテニスの何たるかもわからないうちからコートに立たせるのは嫌だったのだ。
それから1年。毎日毎日、はじめは祖父のところへお願いしに行っていた。
そして6歳の誕生日に念願のテニス人生が始まった。
それからのはじめはテニスのことばかり考えるようになっていった。
知れば知るほど、のめりこんでいった。
そして西切選手ともずっと交流があった。
西切ははじめがテニスにのめりこんでいく様子を嬉しそうに見ていた。
そして、はじめが彼女に出会ったのもそのテニスコートだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
少しずつ展開していきますので、どうぞお付き合いいただけるとうれしいです。