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遭遇

 車検証に記載されていた場所は、仙台市中心部を国道沿いに走って、30分程度の場所である。

 中心部を離れるにつれて、徐々に交通量が減少していく。同様に周囲から鉄筋コンクリートの割合が減少し、代わりに新緑の割合が増加する。中心部から20分程度しか走っていないにもかかわらずだ。


「仙台って良い街だよな」

「あ、やっぱりそう思う? それが分かるなんて、一郎もセンスあるじゃない」


 自分の地元が褒められたため、珍しく興奮したかのような口調になる。


「適度に田舎で、適度に都会だしな」

「そうなんだよね。中心部に行けば、それなりに発展していて何でも揃うし。逆に郊外に行けば、いっぱい自然があるしね」


 今走っている道路の周囲を見れば、それが実感できる。東京や名古屋といった大都市圏よりは、断然生活し易いだろう。


「青葉山なんか、熊も出るしな」


 さらりと、そんな知識が出てくる。


「へー、よく知ってるね。やっぱり、一郎って仙台に住んでるんじゃない? 少なくとも、宮城県内に家がありそう」

「いや、それくらい東北に住んでいれば、分かるんじゃないのか?」

「じゃあ、ちょっとテストしてみましょう」


 思いついたように、秋子が口にする。その口調は、どこか楽しげだった。悪くない傾向だろう。


「仙台に関する豆知識テストか?」


 ハンドルを切りながら、訊き返す。そう言えば、最近ご当地検定というものが流行っているらしい。

 朝食を食べた後に読んだ朝刊に書いてあった。多分、彼女がしようとしているのは、その類のものなのだろう。


「一郎の記憶喪失って、自分に関する記憶以外は残ってるんでしょう? だったら、住んでいた地域に関する記憶はあるはずよね」


 住んでいた地域の情報を、自分に関する記憶とカテゴライズするならば、失われている可能性があると考えられる。

 しかし、ニコニコと笑う秋子を見ていると、そんなことを言えるはずがなかった。


「まあ、そういうことになるかもな」


 だから、素っ気なくそう答えるしかなかった。


「それなら、早速始めましょうか」秋子は少しだけ、思案した後問題を出す。「仙台の観光名所を五つ挙げなさい。松島は仙台市じゃないから、除外ね」


 真っ先に思い浮かんだものが除外されてしまった。それでも、答えに詰まることはない。


「青葉城址、瑞鳳殿、大崎八幡宮、秋保大滝、定義山」

「へー。凄いね。もしかすると、仙台人ですら知らないかもよ」

「旅が好きな男だったかもしれないぞ」

「もう、何で一言多いかな。もっと、素直に喜べば良いのに」文句を言うものの、表情に不快感は見られない。「じゃあ、次ね。仙台市には何個の区があるでしょう?」

「青葉、宮城野、太白、若林、泉の五つだろ」

「仙台で有名なお祭りを三つ。七夕祭りは除いてね」

「青葉まつり、どんと祭、仙台七夕花火祭」

「仙台発祥と言われている料理を三つ。牛タンは除いて」

「冷やし中華、レゲエパンチ……。あとは、分からないな」

「大丈夫、私は冷やし中華しか知らなかったわよ」


 適当だな、おい。出題者が回答を知らないとか、問題として成り立ってないぞ。


「じゃあ、仙台の芋煮の特徴は?」

「仙台平野では、味付けは味噌で肉は豚肉だ。ちなみに、山形では味噌の代わりに醤油、豚肉の代わりに牛肉を使うな」そこまで言って、今度は逆に秋子に尋ねる。「ところで、芋煮自体が東北限定なのは知ってるか?」

「えっ!? そうだったの? てっきり、全国区だと思った」


 全国で秋に芋煮をやってるなんて、狭い常識だな。もう少し、広い視野で物事を捉えた方が良いと思う。


「仙台以外に住んだことないだろ? 多分、東北以外の地域の人間は、芋煮の存在すら知らないと思う……。いや、最近はテレビとかで紹介されるイベントもあるから、そうでもないかな」

「うっわー、私よりも物知りじゃない」ショックを受けたのか、秋子は肩を落とす。「まさか、仙台弁とか喋れたりして」

「それは、ないな。ああ、でも仙台で使われている方言は知ってるぞ」

「え、何々?」


 興味深げに秋子は、俺に体を寄せる。運転しにくいのだが、邪険にすることができない。


「秋子は『ゴミを投げる』って言うか?」


 コクコクと何度も頷く秋子。この様子だと、この後の言葉を聞けば絶句してしまうほど、驚くだろうな。


「あれな。関東では通じないぞ」

「──嘘」


 一言だけ発した後、ぽかんと間抜けな表情を浮かべる。普段の凛とした態度と比べると、雲泥の差だ。


「いや、嘘なんてついてないぞ。嘘だったら。針千本飲む約束でもするか?」

「でも、皆が普通に言ってるよ。そこのゴミ投げといてとか」

「何度も言うが、方言だぞ。関東に行って使うなよ、恥かくから」


 ちなみに、北海道でも使われることがあるらしい。


「そ、そうだったんだ。カルチャーショック」力なくシートに、もたれかかる秋子。「でもさ、英語ではそう言うよね?」

「確かに、英語ではゴミを捨てるを『throw away』って言うな」

「じゃあさ、ある意味インターナショナルなんだよね?」

「ポジティブな思考だな……」

 

 しかし、嫌いな思考タイプではない。


「やっぱり、一郎って仙台出身だね。それも、大学生」深く何度も頷きながら、秋子が断言する。「だってさ、大学って全国から人が集まるでしょう。だから、ここでは常識だと思っていた非常識に気付けたんじゃないの? 私みたいな女子高生って、地元出身が殆どだから、なかなか気付かないんだと思う」


 非常に論理的な意見だ。

 外部の人と触れ合い差異を感じることにより、自らの常識が大衆の非常識であると自覚することは多々あるだろう。確かに、その点で大学はうってつけの場所であると言える。


「うーん。でも、俄かには信じられないな」

「じゃあさ、同じような問題で他の地方についても答えられる?」

「難しいな……」


 試しに九州地方について考えてみるが、中々コアな知識が出てこない。一般常識と思われる程度の情報が、抽出されるのみだった。

「やったね。これで一歩前進って、感じじゃない? 一郎は仙台人で決まりだね」


 秋子の中では、既に俺は仙台人と言うことで決着しているようだ。


「じゃあ、もしかすると、俺達前に会ってるかもな」

「何それ? 今時、ナンパでも使わないよ、その台詞」


 中々手厳しい返答を頂いた。

**********************************

「そろそろ着く?」


 しばらく、仙台のローカルネタで盛り上がった後、秋子が尋ねてきた。


「ああ、そろそろだろうな」


 カーナビは目的地まで残り5分と示している。

 

「そう。何だか、車と人通りがなくなったから心配しちゃった」


 そう言われて初めて、いつの間にか道路を走る車は消え、歩道には人っ子一人いないことに気付く。閑静な住宅街であるにもかかわらずだ。


「たまたま、だろう」

「そうかな。何だか、変な感じなんだけれど」


 落ち着かないように、そわそわと髪を弄りながら秋子が言う。


「変な感じ? 俺は特になにも。車にでも酔ったんじゃないのか?」


 はしゃぎ過ぎた感があるから、あり得なくはないだろう。


「うーん、車酔いとは違うわね。何だか、ここにいたくない気がする」

「方違えか何かか?」


 軽い調子で返してみるが、隣の秋子は笑いもしない。


「残念ながら、陰陽道を信じているわけじゃないの」

「敵地かもしれない所に乗り込もうとしているんだ。緊張でもしているんだろう」


 俺は正面から少し目を逸らして、秋子の様子を見ようとした。


 その時、

 ドン!

 と大きな音を立てて、何かが車の天井に落ちた。


 相当の重量だ。

 車のスプリングが軋み、ハンドルが持って行かれそうになる。

 次の瞬間、フロントガラスに何かが覆いかぶさってきた。


「おいおい、冗談だろ……」


 覆いかぶさってきた物の正体は、上半身だけ乗り出した大畠だった。

 笑っているのだろう。イモリのように張り付き、唇を半月状に歪めている。

 まるで、怪談話に出てくる幽霊のような登場だった。


「あのさ、車返してくれないか?」


 にこやかな表情を湛えているが、その右手には昨日五人の男を射殺した拳銃があった。


「ば、ばけもの」


 的確な指摘です、秋子さん。


「化け物って、酷くないか? 善光寺秋子」


 唇を尖らせて抗議をする大畠。秋子が同じ仕草をすれば可愛らしいのだが、サングラスをかけて拳銃を持っている男がやっても不気味なだけだった。


「秋子。しっかり捕まってろよ」

 ギアを操作し、アクセルを一気に踏み込む。

 体がシートに引き寄せられる。

 タコメーターが跳ね上がり、スピードが上がる。


「ちょ、ちょっと待て! 殺す気かよ!?」


 必死に車体にしがみつく大畠。フロントガラスには奴の掌紋がべったりと付着し、所々にもやがかかる。


「死んでくれ、今すぐ!」

 俺は何度もハンドルを切り返す。

 タイヤの悲鳴が、耳に突き刺さる。摩擦で焦げるゴムの匂いが、ここまで届きそうだった。


「と、停めろ。マジで、酔いそうだ」

 心なしか、大畠の頬が青ざめている。こんな化け物でも感情は顔に出るようだ。

 あともう一息だ。


「これ動かしたらどう?」


 助手席の秋子が、ワイパーを最高速度で始動させる。中々、えげつない攻撃だ。


「痛い痛い! ワイパーを動かすな!」

「じゃあ、さっさと降りろよ!」


 今度はブレーキを思いっきり踏み込む。タイヤがロックし、車が制御不能になりかける。


「お、おい! マジでおち……」


 微かな悲鳴を残して大畠の姿が、視界から消える。

 鈍い音が耳に入ってきた、同時に何か柔らかいモノをタイヤが巻き込んだ感覚。


「ねえ、やっちゃった?」

「かもな……」

「落ちた後、轢いたよね、絶対」

「そうだな。柔らかい物を轢いた感触があったからな」


 ようやく停まった車の中には、二人の荒い呼吸音が響いている。

 サイドミラーには、うつ伏せのままピクリともしない大畠が映っている。


「ちょっと、様子を見てくる。秋子はここにいてくれ」

「わ、分かった。気をつけてね」


 車を降りると、車の後方数メートルに渡ってブレーキ痕ができていた。そして、それは大畠が倒れている地点で途切れている。

 確実に轢いたようだ。しかも、前後左右の四つの車輪で。

 秋子は助手席のウインドを下ろし、上半身を乗り出し恐る恐る尋ねる。


「ねえ、生きてる?」

「ここからじゃ、分からない」


 ゆっくりと、大畠に近づく。

 距離はおよそ、3メートル。


「おい、死んでるか?」


 直ぐに答えが返ってくる。


「死ぬかと思った……。つーか、そこは生きてるか? だろ」


 大畠は存外元気そうに答える。この程度ではダメージすら受けてくれないようだ。

 よっ、と声を出して大畠は一息に起き上がる。


「いってー。シャツが破れちまったじゃねーかよ」


 着ている長袖Tシャツの右ひじを俺に示す。確かに、無残に破れてはいるが、そこから覗く地肌には傷一つない。


「怪我はないみたいだな……」

「何だ? もしかして、心配してくれてるのか?」


 何を勘違いしたのか、少し嬉しそうだ。他人の感情を推し量るのが、苦手なのだろうか。


「いや、これっぽちも。骨の一本や二本、折れてくれれば嬉れしいくらいだ」

「その時は、治療費請求するからな」

「残念ながら、対人自動車保険に加入している記憶がないもんでな」

「任意保険は大事だぞ。自動車学校で見せられる教材ビデオでな、任意保険に入っていない奴の末路が描かれたものがあるんだよ。見てると結構、欝になるぜ」


 ビデオの内容を思い出したのか、大畠は微かに眉を寄せる。


「それなら後学のために見ておくことにする」


 もちろん、見る気はさらさら無いのだが……。


 大畠は膝に付いた埃を払うと、俺に尋ねる。


「ところで、俺ん家に行こうとしてたんだろう?」何もかもを見透かしたように、大畠が言う。「車検証に書いてある情報は、純度100パーセントの真実だ」

「それなら、大畠直樹っていうのは、本名なんだな」


 当然だと、大畠は頷く。


「後、手帳に載っている連絡先は、友人だったり仕事の関係先だったり、色々だ。もちろん、全部実在のものだ……」大畠は、思い出したように後を続ける。「だからって悪用しないでくれよ。後ですっげー文句言われるんだから」


 そうか、それは良いことを聞いた。あとで名簿屋にでも流してやろう。


「大畠。お前は、何者だ?」

「陳腐な台詞だな。逆に、何だとお前は思う?」


 俺に向けられた質問だったのだが、


「国際犯罪者」


 と車にいる秋子が当然のように答えた。


「ハズレ。身分は大学生、副業として正義の味方をやっている」

「何それ? 全然面白くないし、ちっとも気が利いてないわよ」


 髪をかき上げて、秋子が大畠を嘲笑する。そんなに奴を挑発しないで欲しい。


「そうは言われてもな、他に言いようがないから仕方がないだろうが」

「自分で正義の味方を名乗る奴が、一番信用できないのよ」


 いつか聞いたような台詞だった。


「ったく、可愛くねー女だな」


 やってられないといった感じで、大畠は俺に向き直る。同意を求めるように肩を竦めるのだが、それに同意してしまえば後が怖い。

「それで、その正義の味方が何をしに来た?」


 俺は大畠に対して警戒心を解かない。体中の筋肉がいつでも最高のパフォーマンスを発揮できるよう、準備をする。


「決まってるだろうが。愛車を取り返しに来た」

「それだけか?」


 正義の味方とやらが、愛車一台程度で拳銃を持ち出すとは思えない。


「後は、お前達と言葉よる話し合いに来たんだが……」俺と秋子を交互に見る大畠。「無理っぽいな」

「無理なら、どうするつもりだ」

「決まってるだろうが。ちょっと、肉体を使った話し合いになる」


 いつの間にか、大畠の手には一振りのナイフが握られていた。ナイフと言っても果物ナイフのように平和的利用ができるものではない。肉を突き刺し切り裂くことに特化された形状をしている。


「やっぱり、悪人じゃない」


 呆れたような呟きが、俺の背後から聞える。


「うるせーな。元はと言えば、俺の言うことを聞いてくれない、お前達が悪い」


 怒気を込めた言葉を秋子に投げつける大畠だが、


「それこそ、悪人の言う台詞よ」


 彼女はそれを意にも介さない。


「なあ、あの女何とかしてくれないか? 正直、苦手だ」


 小さく、秋子に聞えないように言ったつもりだろうが、


「聞えてるわよ」


 ばっちり聞えていた。


「ぐっ、地獄耳が」


 何だか、大畠が可哀相に思えてきた。既に、この二人の間では、格付けが済んでいるのかもしれない。


「一郎。さっさと、やっちゃってよ」


 まるで水戸の好々爺のように、軽く俺に命じる秋子。


「だ、そうだ」肩を竦めて、苦笑いを浮かべる俺。

 俺の相棒は、難しい指令を簡単に発令してくれる。そして、それを俺が完遂できると信じきっている。


「悪いんだが、その前に一つ聞かせてくれ」唐突に、大畠が問う。「一郎って、誰だ?」


 ああ、こいつは知らないんだな。


「俺の新しい名前だ。名付け親は、あちらにいらっしゃる、善光寺秋子嬢だ」

「ふーん、一郎ね……。もしかして、『ドクラマグラ』か?」

「へぇ、悪役にしては文学を知っているのね。その通りよ」


 馬鹿にしたような秋子の言葉に、大畠は反応しない。


 ただ一言、


「面白い偶然もあるもんだな……」


 そう呟くだけだった。


「何が、面白いんだ?」


 思わず尋ねる。


「いや、こっちの話だ」サングラスのブリッジを人差し指で押し上げる大畠。答える気は無いようだ。「さて、そろそろ始めるか」


 気を取り直したかのように、大畠が首を回す。コキコキ、という関節を鳴らす音が聞えた。


「場所は、変えなくて良いのか?」


 思わず尋ねる。こんな住宅地で、昼間からドンパチやって人目につかないはずがない。それで困るのは、俺達ではなく大畠の方ではないのだろうか?


「心配する必要ねーよ。しばらく、誰もここには来ない」


 確かに人通りは気持ち悪いほどにないが、この状況がずっと続くとは考えられない。


「ご丁寧に人払いでもしてくれたのか?」

「まあ、そんな所だ。興味あるのか?」


 無言である俺達の様子を見て、それを肯定と受け取ったようだ。


「結界ってやつを張ったんだよ。善光寺秋子、結界って知ってるよな?」


 小馬鹿にした感じで、秋子を見ずに言葉だけで尋ねる大畠。


「それくらい知ってるわよ。神聖な所と一般世界を分ける境界のことでしょう? まあ、フィクションだと、ちょっと違う意味を持つけれどね」


 馬鹿にされているのが分かったのだろう。言葉の端々に不快感が滲み出ている。もう少し、この二人には仲良くして欲しいものだ。

 真ん中に挟まれている俺の立場にもなって欲しい……。


「そうそう。今回のは後者の方だ。漫画やゲームに出てくるやつだな」

「はっ、馬鹿馬鹿しいわね。いい? そういうのは、大体派手な力場とかが出るものじゃないの? 何も変わっていないじゃない。薄い半透明の膜は見えないし、馬鹿でかいお札すら貼られていないわよ」


 両手を広げながら、秋子は周囲に変化が無いことを示す。


「善光寺秋子が言っているのは、俺達の言うところの『物理的結界』って奴だ。物理的に部外者の侵入を防ぐ壁みたいなやつだ」

「何それ? 抽象的過ぎるわよ」

「おっ、興味を持ってくれたようで嬉しいぞ。こう見えても。人に説明をするのは好きなもんでな」


 大畠を喜ばせてしまったことが、悔しいのだろう。秋子は唇を噛んでいる。


「具体例を挙げて、説明するぞ」調子が出てきた大畠は、軽い口調で澱みなく説明を始める。「ここに、触れば火傷するくらい熱いストーブがあるとする。そんでもって、近くには幼児とその母親がいるんだよ。それで、母親は言うんだ『ストーブに触ったら、熱いわよ』ってな。これが、『概念的結界』だ。または、以前にに幼児が、ストーブに触って火傷をしていたとする。その時の記憶から、ストーブには近づかないように行動する。これも、『概念的結界』と言えるな。分かるか?」


 何となく、理解はできる。つまり、物理的な障害以外によって対象から遠ざける類のものなのだろう。脳に刷り込ませることによって、行動に制限を加えることがその根本的な原理のようだ。


「次は『物理的結界』だ。これは『概念的結界』の逆になる。ストーブの例で言えば、母親が子供をストーブに近づけないように、その周りにフェンスを設ける。このフェンスが『物理的結界』になるわけだ。簡単だろ?」

「なるほどね。一応理解できたわ。例えば、『立ち入り禁止』って書かれたロープがあるとする。そこに書かれている文字が『概念的結界』で、ロープ自体の役割が『物理的結界』と言うわけね」

「正解だ。飲み込みが早くて助かるよ。今回は『概念的結界』を使わせてもらった。それも、お前らが想像できないほど強烈なものだ。それこそ、漫画や小説で出てくるレベルでな。ここにいたくない、と思わせる程の奴だぞ」


 秋子が車の中で言っていた違和感というのは、そのためだったのか。


「一つ、訊いていいか?」頷く大畠を見て、言葉を続ける。「お前、ここに一人で来たのか?」


 結界とやらが張られているならば、張るための人員が必用なはずだ。しかし、感じられる気配は、ここにいる三人分しかない。


「ああ、この結界内には、俺一人だ。結界維持のために外に何人かいるが、戦闘要員じゃない」


 それは、非常に有益な情報だ。これで目的がシンプルになった。


「つまり、お前一人を倒せば良いんだな?」

「そうなるな。万が一、俺を倒せたなら、何でも質問に答えてやるよ」大畠は、弄んでいたナイフの動きを止める。「万が一、だがな」


 ゆらゆらと、振り子のように大畠の体が揺れる。


「銃は手軽で良いんだが、味気ない。そう思わないか?」

「返答しかねるな」

「何かを傷つけるには、ナイフか自らの肉体に限る。そうじゃないと、相手の痛みが実感できないからな」


 陽炎のように、大畠の姿が消える。

 耳元で風きり音が聞えた。


「実はさ、ずっと前からお前とはやってみたかったんだよ」


 背後からの攻撃。

 そう感じた時には、既に体が反応していた。

 右足を軸にして、体を開く。それとほぼ同時に突き出されたナイフの切っ先が、空を切る。


「お前、前々から俺を知っているような口ぶりだな」


 大畠は、俺の言葉に答える代わりに左手を俺の両眼に向けて突き出す。

 えげつない攻撃だ。

 大畠の左腕が伸びきる直前、俺はその肘を真下から突き上げ方向を逸らす。

 がら空きになった顔面に、体重を乗せた左拳を叩きつける。

 重い音が響き、俺の右拳は大畠のナイフを持ったままの右腕に阻まれる。

 しかし、そこで拳を止めない。

 そのまま、振りぬく。


「──つっっ」

 防いだ右腕ごと、俺の拳が大畠の顔面にめり込む。

 弾かれたように大畠の体が、吹き飛び民家のブロック塀を突き破る。

 砂埃が巻き上がり、大畠は崩れたブロック塀の下敷きとなる。


「──ついていけないレベルね」驚嘆したように、秋子が声を上げる。「ハリウッド映画みたいなシーンを、目の前で拝めるなんて思わなかったわ」


 俺は右手を、しげしげと見つめる。

 記憶を失う前の俺は、一体どのようにしてこの力を得たのだろうか。


「それよりも、これだけやってピンピンしている大畠の方が、異常だと思うんだが。どう思う?」


 振り返らずに軽い口調で、秋子に意見を求める。


「同感。さっきから、死んだ振りしているところが、アホらしくて仕方ないわね」


 ため息交じりの声。


「素人にも、バレてるんだから、さっさと出て来いよ」


 ガラガラと、ブロックを崩しながら大畠が立ち上がる。


「お前ら、空気読んでくれよ。そこは、『やったか!?』とか言ってぬか喜びする場面じゃね?」首をコキコキと回しつつ、不満を口にする。「にしても、お前も化け物だな。どうだ? その左ストレートで世界を目指してみないか?」

「この力は、チート過ぎるだろ?」


 大畠との距離を一気に詰める。

 恐らく、この戦いを見守っている秋子の眼には、映らないほどの速さだろう。

 そのままの勢いを殺さず左足を軸にして、右の回し蹴りを大畠の左側頭部目掛けて放つ。

 上半身を反らすことで、躱す大畠。

 空を切った右足が地面と接すると同時に、そのまま踏み込み左のミドルキックを放つ。

 腕を交差させて、それを防ぐ大畠。

しかし、勢いを殺しきれずに、一メートルほど後退する。大畠の靴底がアスファルトの地面と擦れ、摩擦熱によって溶けたゴムの臭いが鼻に届く。

 今度は大畠が、その反動を利用して俺に突っ込んでくる。

 右手に持ったナイフを突き出すが、それは囮だと瞬時に解する。

 本命は、俺の回避行動に合わせて放たれるであろう、死角からの左回し蹴り。

 難なく、それを躱す。

 またもや、距離をとる二人。

 互いに決め手を欠いている。


「弱ったな。これだから、お前とはやりにくい」困ったように、後頭部を掻く大畠。「お前、自分の体が一般人のそれとは、スペックが違うことくらい分かってるだろう?」


 無言で睨む俺を認めて、肯定と捉えたようだ。


「『肉体強化』という単純な特性。しかし、それが魔術や薬物によるものじゃないところが、厄介だ。特性の解法がなければ、いかなる方法を以ってもお前の特性を消去できない。お前を見ていると、シンプル・イズ・ベストって言葉がよく分かるよ。それでも、お前が本調子じゃないから、助かってはいるが……」


「何をわけの分からないことを言ってるんだ?」


 そう言った時に気付いたが、大畠の左腕が力なく垂れ下がっている。

 骨が折れたのか、脱臼でもしたのだろう。自分の攻撃が相手に通じていると分かり、心に良い意味での余裕が生まれる。


「俺がやりにくい相手なら、さっさと降参してくれるか?」


 だとすれば、非常にありがたい。こんな泥仕合で、カロリーを消費するのは不毛だ。


「それは、できないな」大畠は、タバコを取り出して火を点ける。「お前も吸うか? 安心しろ、変な小細工はしていない」


 タバコの箱とライターを俺に放り投げる。

 それをキャッチして、一本だけ銜え火を点けると、大畠に放って返す。


「なあ、魔法使いとか超能力者って信じるか? 額に傷のあるメガネの少年とか、研究所から逃げ出す兄弟の話でも良い」

「真実かどうかは別にして、あれば面白いと思うぞ。その程度の認識だな」

「違いない。火を出す魔法だって、ライターを使えば良いし、念動力だって面倒臭がらずに手を使えば良い」

「現代社会では、魔法とか超能力の意義は殆どないだろうしな」俺は煙を吐き出しながら言った。「アーサー=C=クラークだったか? 高度な科学技術は魔法と見分けがつかない、だかって言ったの」

「そうだな。ちなみに俺は、アイザック=アシモフ派だ」

「うーん、趣味が合わないな」大畠は、少し残念そうに眉を寄せる。「とにかく魔法とか超能力って言うのは、その程度だ。でもな、本当に使えれば、便利だと思わないか?」

「そうだな……。あって困るものではないな」


 火を自由に掌から出せれば、災害時に役立つだろう。念動力があれば、コタツから出ることなくみかん箱からみかんを取れる。

 しかし、本当にその程度でしかない。


「だろだろ? そう思うよな」俺の同意が得られたのが嬉しいのだろう。大畠の声に熱が篭った。「でよ……。俺が、それを使えるって言ったらどうする?」

「はぁ? 何言ってるんだよ。冗談も休み休み言えよ。そういうのは、二次元の世界だけにしておけって」

「そんなこと言ったら、お前の体だってその類だろ? 人間の物差しをはみ出してるっていう点でな」


 反論できない。昨日からの出来事を鑑みれば、俺自身もまた異常であることは間違いない。


「まあ、それでも俺の能力なんて大した事ないぞ。でっかい火の玉を出したり、化け物を召還したり、雷を落としたりなんて派手なもんじゃない」

「じゃあ、透明になったりするのか?」

「まさか。確かに、そういう類の奴は知り合いにいるがね……」


 冗談で言ったつもりなのだが、本当にいるようだ。世界は、本当に広い。


「まあ、俺だけがお前の特性を知っているのは、不公平かな。特別に、俺の能力を教えてやるよ」

 

 大畠は短くなったタバコを吐き捨てる。地面に落ちたタバコの先から、ちろちろと煙が上がっている。


「変なところで、フェアなんだな」

「茶化すなよ」

「それで、お前のご自慢の能力とやらは何だ?」


 ニヤリ、と大畠が不敵に笑う。


「俺の能力は、ただ『省略』することだけだよ」


 刹那。

 俺の左右の肩が、ぱっくりと裂けた。

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