仮宿
車を強奪してから20分後、善光寺秋子が少しきつめの口調で俺に問う。
「これから、どうするつもり? それ以前に、ちゃんと説明して欲しいんだけど」
「説明って、何を?」
「具体的に言わないとダメ?」
説明、と言われても上手く説明できる自信が無い。
何より、善光寺秋子に父親の死を伝えなければならない、という点が気が重い。
「その前に、ひとまず落ち着ける場所を探そう。そっちの方が良いだろ?」
車に備え付けられたカーナビの液晶画面には、仙台市内の道だけでなく、有料駐車場の位置や宿泊施設まで表示されている。カーナビの時刻は、午後4時43分を示していた。大抵のビジネスホテルならば、チェックイン可能な時間だ。
「そうね。それなら、私の家に行きましょう」
「それは……」無理だと言いかける。
「どうしたの?」
「善光寺家は、危険すぎる」
「ちょっと待ってよ。どういうこと、危険って」
運転中であるから自重したのだろうが、今にも掴みかかってきそうな善光寺秋子。
「とにかく、それも後で説明する」駅前のビジネスホテルにカーナビの目的地を設定する。「今は、俺を信じてくれないか?」
いかにも悪役の言いそうな台詞だが、それしか言いようのないのも事実であった。
「本気で言ってるの?」
探るような目つきで、俺を見る善光寺秋子。
「本気だ。信じる信じないは、そっち次第だけど」
しばらく顎に手を当てて思案した後に、善光寺秋子は諦めたようにシートに持たれかかる。
「あんたは、結果的に私を助けてくれた恩人だし、悪人には見えないし……。信じるしか選択肢は無いしね」
「そりゃどうも」少し恥ずかしくなって、善光寺秋子から目を逸らす。「しかし、人を安易に信用しすぎじゃないのか?」
「失礼ね」善光寺秋子が心外だといったように頬を膨らませる。「根拠はあるのよ。例えば、あんたが、私を自発的に助けに来たっていうわけじゃないところ」
「よく分からないな。それのどこが、信用できるんだ?」
普通は、颯爽と現れて「助けに来たぞ」とか言うのが、正義の味方の証なのではないのか?
「得てして味方に見える奴が、最後に裏切るもんなのよ」
右手をヒラヒラと蝶のように振りながら、善光寺秋子が皮肉交じりの笑みを浮かべる。
「ははは。確かにそうだな」思わず吹き出した。「なかなか、面白い奴だな、お前」
「あんたに、言われたくないわよ」そこで、思い出したように善光寺秋子は俺に問う。「そう言えば、あんたの名前訊いてなかったわね」
さて、どう言ったものか。
「名前か……。実は、記憶喪失って言ったらどうする?」
「何それ。どんなキャラクターを狙ってるわけ?」
可笑しそうにクスクスと笑う秋子。かなり、絵になる光景だ。容姿の整っている奴は、笑うだけで絵になる。美人は得だ、と実感させられる。
交差点を右折すると、正面にビジネスホテルが見えてきた。
「ねえ、ちょっとどうしたの? いきなり黙っちゃって」
そのままホテルを通り過ぎ、離れた場所にある立体駐車場に入る。そこは、泊まる予定のホテルとは、異なるものの契約駐車場になっていた。目的のホテルに付属した駐車場に止めれば、簡単に居所がバレてしまう。それを警戒してのことだった。
「残念ながら、冗談じゃないんだよ。本当だ」
善光寺秋子の反応を待たずに、車を降りる。慌てて、彼女も俺に続く。
駐車場の管理人に鍵渡し、その場を後にする。
「ちょっと待ってよ。あんた、本当に記憶喪失なの?」
「正確に言うと全生活史健忘ってやつ。自分自身に関する記憶が全部失っているが、それ以外のものには問題ない」
ホテルに向かって歩き続ける。隣を歩く善光寺秋子は、顎に手を当てて俺の言葉を吟味しているようだ。
俺が目をつけたホテルは、全国展開しているビジネスホテルだった。地上十階建ての建物は、簡素な作りで無駄な装飾が一切ない。
自動ドアをくぐり、フロントへ向かう。ビジネスホテルらしい質素でこじんまりとしたフロントだった。
「いらっしゃいませ。ご予約はされていますか?」
社員教育の賜物である営業スマイルを浮かべて、フロント係が尋ねる。
「してないけれど、空いてますか?」
「はい。本日でしたら、全ての種類のお部屋に空きがございます」
料金表を見ると、五種類の部屋があった。宿泊料金は、一般的な観光ホテルの半額以下だった。
「じゃあ、ビジネスツインで三泊四日」
隣にいる善光寺秋子が、少し驚いた表情を浮かべたが、それも直ぐに引っ込む。一応、意図は理解してくれたようだ。話が分かる奴で非常に助かる。
「それでは、こちらにご記入ください」
差し出された宿泊カードに、偽名と架空の住所を澱みなく記入していく。
「お願いします」
書き終わり、フロント係に差し出す。
「少々お待ちください」
フロント係は、手元にある端末に必要な事項を入力していく。
視線を感じ、隣を見る。善光寺秋子が、感心したような目で俺を見ていた。
「どうした?」
特に尊敬されるようなことをした覚えはないのだが。
「よくもまあ、あんな嘘を堂々とつけるな、と思って」
フロント係に聞えないほどの小声で囁く。
「仕方がないだろう。本当のことを書いたら、全部が空白のままになっちまう」
「それもそうね」善光寺秋子が、可笑しそうに笑いながら言った。
「申し訳ありませんが、当ホテルは料金が先払いとなっております。三泊で二万四千円になります」
二人の会話が終わった丁度その時、フロント係が部屋の鍵を差し出す。代わりに俺は、一万円札を三枚差し出した。
「お返しの6000円になります」フロント係が、お釣りと一緒にサービスで配布している地方紙の夕刊を差し出す。「お部屋は、七階の703号室になります。ごゆっくりお休みくださいませ」
お辞儀をするフロント係に礼を言い、二人でエレベーターホールへと向かう。
「ところで、ビジネスツインって、普通のツインと何が違うの?」
「バスルームを挟む形で、ベッドが二つあるんだよ。普通のツインルームとは違って、寝る場所が殆ど違う部屋って感じだな」エレベーターの呼び出しボタンを押す。「これでも、配慮したつもりだが」
「ううん。十分よ」回数表示を見つめながら、善光寺秋子が言った。「まあ、ダブルって言ったら、ぶん殴ってたけれどね」
「それは、命拾いしたな」
本当にぞっとしない話だ。やはり、下手なことはしない方が良い。
ポーンと音がして、一階にエレベータが到着した。
中に入り、7と書かれたボタンを押すと、エレベーターが上昇し始める。
「あのさ……」おずおずと、上目遣いで善光寺秋子が俺を見やる。「部屋に着いたら、まずシャワー使っても良い?」
「ああ、そうすると良い。昨日から、風呂に入っていないんだろ」
ここで、変な勘違いをしたら、確実に殴られると思った。いや、殆ど確信と言っても良いだろう。
「シャワーを使っている間は、部屋の外にいるから安心しろ」
七階に到着し、エレベーターが停止する。エレベーターから出て、善光寺秋子に部屋の鍵を手渡す。
「俺はここにいるから、先に行ってシャワーを使ってろ。終わったら、呼んでくれ」
「うん。ありがとう」
長い髪を揺らしながら、善光寺秋子が部屋へと向かう。
その後ろ姿を見ながら、俺は酷く気分が憂鬱になってきた。さて、どう説明したものか……。
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廊下に直に座り、体を壁に預ける。
目覚めたのは3時間ほど前だというのに、酷く疲れていた。
疲労がナイロン糸のように体にまとわりついている感覚だ。
振り解こうと足掻けば足掻くほど、きつく締まり体を蝕んでいく。
無性に、タバコが吸いたくなった。
エレベーターホールには、灰皿が設置されており、そこに移動してタバコをふかし始める。
タバコを銜えながら、パラパラとフロントで貰った地方紙の夕刊を流し読みする。
一面の記事は、仙台市内で食中毒が流行っていることを伝えるものだった。流し読みして、二面へと紙面を捲る。
そこに、小さく書かれた記事を読んで、血の気が引いた。顔面の毛細血管内の悲鳴が聞えるほど、急速に血圧が低くなる。
冗談だろ? そう呟きながら、何度も見直すが間違いない。
事態は思ったよりも、深刻だ。目覚めた時とは、比べ物にならないほどの深みにはまっている。
タバコを揉み消して、頭を乱暴にかく。
「何で、善光寺秋伸の死亡記事が掲載されているんだよ。しかも、事故死って……」
2面には、ほんの10行程度の記事が掲載されていた。
記事の内容は、非常に簡潔だった。善光寺秋伸が交通事故で死亡した、ただそれだけ。
呆然としていると、702号室のドアが開き、善光寺秋子が顔を出した。
「終わったのか?」
微かに頬を上気させている姿を見て、俺は声をかけた。
「ええ。何だか、生き返った感じ」
「そうか……」
室内に入る際、善光寺秋子とすれ違った。甘い石鹸の香りが、鼻腔をくすぐる。使った石鹸はホテルの安物だろうが、十分なほどに魅力的な香りだった。
「タバコ吸うんだ。てっきり、未成年だと思っていた。」
鼻をクンクンとしながら、善光寺秋子が意外そうに言った。
「記憶にはないが、ポケットに入っていたんだ。それに、タバコを吸うのは成人だけとは限らない」
「これを期に禁煙したら? 確か今日って、世界禁煙デーでしょう?」
「よく知ってるな。雑学女王にでもなるつもりか?」
「たまたまよ。今日はね、私の誕生日なの。自分の誕生日がどういう日かって、知りたくなるのは不思議じゃないでしょう?」
本当の誕生日を俺が思い出したら、同様の思いを抱くのだろうか? 自分の誕生日に何があったか、調べる自分が想像できない。
「それで、どうしたの? 凄く怖い顔して」
俺の表情をマジマジと見て、善光寺秋子が聞いてくる。
「これを見てくれ……」
テーブルの上に、先程まで呼んでいた新聞を投げ捨てる。首を傾げながらも、善光寺秋子は新聞を手に取る。
「食中毒がどうしたの?」
「そこじゃなくて、2面だ。2面の下のほうにある記事を読んでくれ」
そして、善光寺秋子の手から滑り落ちた新聞が床に落ちた。
「落ち着いたか……?」
長い時間、善光寺秋子は泣いていた。
いや、泣くと言うより、慟哭と言う表現が正しいだろう。
その光景を思い出すだけでも、酷く憂鬱になる。
俺は、そんな彼女を見ても何一つ言葉をかけることができなかった。
記憶を失った薄っぺらい男が発する言葉で、慰められるとは思えなかったから。
「どうして、どうして……」
うわ言のように繰り返す善光寺秋子。
彼女の胸中を占めるのは、肉親を失った悲しみか、世界に対する絶望か、それとも自らに対する無力感か。
しかし、そのどれもが俺の抱えている同じ感情とはレベルの違うものだろう。
「善光寺秋伸は、決して事故死したわけではない」涙でくしゃくしゃになった顔を向けられ、思わず顔を逸らしてしまう。「殺されたんだ……」
目覚めた後に見聞きした出来事を、包み隠すことなく善光寺秋子に話す。
オブラートに包まず、全てをできる限り正確に。
「多分、隠蔽したのは、サングラスの男達だ」
そう言って自ら薄ら寒くなる。
現実的に考えて、あり得ないことだった。
人一人の死因を隠蔽し、尚且つそれを信頼できるはずの情報媒体が、全く事実とは異なる形で報道する。
映画や小説の中ならともかく、現実世界で可能な芸当とは思えない。
「な、んで……。お父さんが、殺されないと、ダメなの?」何度も詰まりながら、言葉を紡ぐ善光寺秋子。「なんにも、悪いこと……」
そこまで言って、善光寺秋子は不自然に言葉を切った。
「どうした? 何か、心当たりでもあるのか?」
「ううん。何でもない……」
引っかかる言い方だ。何事もはっきりと表現する彼女にしては珍しい。
「話してくれないか? もしかすると、ヒントになるかもしれない」
「話さないと、だめ?」
伺うように上目遣いで、俺を見る善光寺秋子。
それ以上深く聞くことが躊躇われた。泣いている女を、さらに追い込んで気持ち良いはずがない。
それでも……。
「話してくれないか? 残念ながら、今はお前に遠慮している余裕はないからな」
断腸の思いとは、このことを言うのだろうか?
「…………私のお父さん。昔、人を殺したの」
予想外の言葉が、小さな唇から吐息と共に漏れた。
「人を殺した? 穏やかじゃないな」
「7年前、交通事故でね……」
どこか遠い目で、善光寺秋子がぽつりと呟く。その瞳は、正面にいる俺を捉えていない。
「それなら、殺人じゃないだろうう。業務上過失致死罪だ。場合によるが、執行猶予になる可能性もあるぞ」
「詳しいのね。あなたの言う通りよ。お父さんは執行猶予判決を受けて、刑務所に行くことはなかったわ」
娘としては喜ぶべきことなのに、善光寺秋子の表情が沈んだものになる。
「もしかして、お前は……。その遺族が、今回の事件を起こしていると考えているのか?」
犯人が獄に繋がれることなく、殆ど不自由なく日常生活を謳歌している現実に、遺族が怒りを抱くことは容易に想像できる。
そして、その遺族が、一連の事件を仕組んだとすれば……。
「いいえ、それは無いわ」
善光寺秋子は目尻を拭いながら、奇妙なほどに断言する。
「何故、そう言える。お前は、その遺族に会ったことでもあるのか?」
「ないわ。でも、お父さんの口ぶりからすると、それは無さそう」首を振りつつ、善光寺秋子が答える。「毎月、お父さんはお給料の半分を、遺族の方に支払っていたの。その時、封筒の中に謝罪の手紙を必ず入れていたわ」
どこかで聞いたことのあるような話だ。感動のあまり、裁判長が法廷で引用しそうなくらいだ。
しかし、遺族は良い気分ではないだろう。
犯人直筆の手紙を読むたびに、事故の記憶が蘇るはずだ。
「遺族の方は、その手紙に必ず返事をくれたそうよ」
奇特な人もいたものだ。
もしかすると、信仰している宗教の教義なのかもしれない。家族を殺した相手にすら、優しくしましょう。
そんな宗教は、ある意味で危険だと思ってしまうのは、俺が捻くれているからだろうか?
「お前は、その手紙を見たことはあるのか?」
「ううん。お父さんは絶対に見せてくれなかった。遺族の方のことを聞いても、同じだったわ」
思わず眉を寄せる、少々引っかかる。そこまでして、娘に隠すほどのものなのだろうか?
その様子を見て取ったのだろう、善光寺秋子は補足する。
「それは、遺族の方の心遣いだったらしいわ。娘さんに、貴方の罪を背負わせる必要はない、と仰っていたそうよ。さらに言うと、遺族の方が裁判で、お父さんの減刑を嘆願したそうよ」
「何だ、その人は? 聖人君子か? それでも、賠償金だけはしっかりと貰ってるのな。矛盾しているぞ、そいつは」
俺は皮肉っぽく、乾いた笑いを浮かべる。
しかし、そんな俺に対して善光寺秋子は、深く澄んだ瞳を以って答える。
「そうじゃないの。遺族の方は、賠償金を払い終えたなら、全額お返しすると仰っていたそうよ」
俺は両手を上げて降参する。聞くに堪えなくなってきた。自分の矮小さが、眼前に突きつけられている感じがする。
「ギブアップだ。それ以上、そんな感動話を聞くつもりはない」
綺麗過ぎる善意は、聞く耳を逆に濁していく。綺麗過ぎる水は、逆に毒になるのだから。
「だから、その人の犯行ではないと思うわ」
「俺としても、そう信じたいね」
どうやら、被害者遺族は、今回の事件には無関係なようだ。少なくとも、俺はそう思いたい。
俺の視線が、何気なくベッドの上へと移動する。そこには、先程置いたばかりの二千万円入りの茶封筒があった。
「もしかして俺が見つけた身代金は……」
「そう。今までお父さんが、送り続けた賠償金だと思う。いつ、送り返されてきたのかは分からないけれど」
「ちょっと待て。改めて考えると、色々おかしいぞ」顎に手を当てて考える。
対人保険が無制限ならば、加害者側が負担する賠償金はゼロになる。
いや、だからこそ奇妙なのだ。無制限のはずなのに、何故善光寺秋伸は賠償金を支払っていた?
「おいおい、まさか……」
俺の予想が当たっているとするならば、善光寺秋伸は、聖人君子をはるかに超えて狂人とすら形容できるだろう。
善光寺秋子は、ゆっくり頷く。
「お父さんは、法的に課せられた賠償金だけじゃなくて、それ以外に自分で払っていたのよ」
善光寺秋伸こそ、俺の卑小な物差しで計れる人物ではなかったらしい。
「それが、謝罪の形の一つだとでも思っていたみたいね。もしかすると、死ぬまで払い続けるつもりだったのかも」
何故か、そこで善光寺秋子は笑う。
しかしそれは、侮蔑でも皮肉でもなく親愛の笑みであると容易に汲み取れた。
「と言うことは、いくら払ってくれと、遺族に言われていたわけではないんだな?」
「多分ね……。遺族の方が送り返してきたのは、もう十分だっていう意思表示だと思うわ」
「それなら、その事実を知っているのは、善光寺秋伸、お前、そして遺族の関係者か……」俺はタバコを取り出して火を点ける。「それなら何故、お前を誘拐した奴らは、その賠償金の存在を知っていたんだ?」
問題はそこに集約する。考えられる可能性は、何個かある。
「やはり、遺族が絡んでいるんじゃないのか? 少なくとも、お前の誘拐に関しては」
「それは、おかしいわよ。お金が欲しいなら、わざわざお金を送り返してくる必要はないはずよ」
確かにその通りだ。何も誘拐を企てる必要がない。そのまま、送り返さずに懐に入れてしまえば良いのだ。そして、それを咎めるものは誰もいないだろう。
「それなら、遺族から話を聞いた何者かが、誘拐を計画した可能性が……」
「でも、他人に話すような人には思えないわ」
「まあ、話を聞く限りでは、そう思えるな」俺は、静かに煙を吐き出す。「しかし、調べてみるに越したことはない」
「でも、それじゃあ……」
善光寺秋子が、目を伏せる。自分が事故について深く知ることは、父親と遺族の思いを裏切ると考えているのだろう。
「背に腹は替えられない。今は、一つでも情報が欲しいんだからな」
部屋の中には、都合よくネットに接続されたパソコンが一台置いてあった。ビジネスホテルならではのサービスだ。
「運が良ければ、ネットに記事として掲載されているかもしれない。地方ブロック紙のホームページに過去の記事として収録されている可能性はあるな」俺はインターネット閲覧ソフトを起動する。「事故が起きたのは、何月何日だ? とは言っても、覚えているはずねーか」
「覚えているわよ。私の誕生日だったわ……」
それならば、覚えているのが当然だ。誕生日に父親が交通事故を起こすとは……。
善光寺秋子は、誕生日に悪い記憶が多すぎる。
「事故現場は?」
「確か、青葉区の国道4号線だったはず」
手元にある情報を打ち込み、検索を開始する。
検索結果は、三件だった。その内の一件は、当時の記事を転載したものであった。
「開くぞ……。嫌なら、見なくても構わない」
「気にする必要はないわよ」
善光寺秋子が画面に顔を近づける。当然ながら、俺との距離も接近する。少しだけ離れて欲しかったが、気にするほどのものでもない。
残念ながら、異性と接近しただけで顔を赤らめるほどの純情さは、記憶と共に喪失したようだ。
果たして、開いたページには3行程度の簡潔な文章しか載っていなかった。
載っているのは、事故の起きた場所、起こした人物の名前と職業、被害者の年齢、性別、職業のみだった。被害者の名前は仮名になっていた。
「37歳女性、パート職員か……。当然ながら、遺族に関しては書かれてないな」
「でも、推測はできるわよ。多分、お父さんと手紙をやり取りしていたのは……」
「この人の夫、もしくは親戚だな。まあ、年齢から考えて子供はないだろう」
「もしも、子供がいたなら、私と同い年ぐらいね。事故当時なら、十歳くらいかしら」
どのような返事を待っているのか、悩む言葉だった。もしかすると、返事など望んでいないただの呟きだったのかもしれない。