解決に近いなにか
秋子の携帯電話に連絡する。
一回目のコールで、相手が出た。もしかすると、ずっと携帯電話とにらめっこしていたのかもしれない。
「もしもし。和志?」
「ああ、待たせたな」
「記憶が戻ったの!?」
秋子の声が一際大きくなった。だが、その期待に応えることはできない。
「記憶は戻らなかった。でも、全部を知った。俺に関することなら、全部」
そう。今の俺は、全てを知っている。
「そっかー。良かったね」
電話口の秋子の表情が、簡単に想像できる。きっと、彼女は本当に嬉しそうに笑っているのだろう。
「ありがとう。それから……」
「何? それから、どうしたの?」
「秋子の親父さんを殺したと思われる奴が、分かった。居場所もな」
一瞬の静寂。
「それ、本当?」
「ああ、嘘じゃない。今から、そいつの所へ……」
「行くに決まってるでしょう」
棒読みに近い言葉。しかし、それが彼女の感情を如実に表していた。
「分かった。今から、そっちに行く」
それだけ言って電話を切る。
気持ち悪いくらいに、落ち着いている。
そうか。
覚悟を決めるって、こういうことなんだ。
「本当なの? お父さんを殺した奴が分かったって」
「ああ、殺した可能性が最も高い人間だ。そして、秋子の誘拐を企てた張本人でもある」
俺と秋子は、仙台の街中を並んで歩く。周囲の人は、仲良く談笑しながら歩くカップルと思うかもしれない。しかし、会話の内容は、そんな甘ったるいものとは対極に位置している。
「お前の誘拐事件と親父さんの殺人は、一人の手によって作られてたんだ。そして、その大本は7年前の事件だ」
平日夕方のアーケード街は、制服を来た学生、カップル、そして仕事帰りのサラリーマンが行き来する。ともすれば離れそうになる二人の距離。そうならないように、しっかりと手を繋ぐ。
羞恥などは感じられない。ただ、彼女を迷わずにあの場所へと導くために。
「どういうこと?」
「秋子の父親が、人を轢き殺した件だ。それと繋がっている」
「やっぱり、その遺族の人?」
秋子の瞳が曇る。
頷くことで肯定。
「そいつは、手紙では許した振りをしていたが、本心では真逆だったんだ」
「つまり、一度許した振りをして、突き落とすってわけね。最低……」
「ああ、最低だな……」
秋子にとっては、最低のシナリオだろう。
犯人にとっては、最高のシナリオだろう。
「そいつの居場所は遠いの?」
「いや、意外に近いぞ。5分程度で到着する」
「そっか、終わるんだね」
目的語がなくとも、秋子が何を言いたいのか、よく分かった。
「そうだな……。全部終わる」
「ううん。全部じゃないわよ。あと、あの大畠って奴が残って……」そこで、言葉を切る秋子。「そうだ! それなら、大畠って男は何をしたかったの? それに……」
チラリと俺を見る秋子。
「大畠については全部分かった。それは、後で話す」そこで言葉を区切る。「それから、俺が何故、秋子の家にいたのかもその時一緒に話す」
不服気な視線を感じる。
「納得、してないよな……」困って後頭部を掻く。「大丈夫だ。絶対に誤魔化さずに話す。もちろん、信用するしないは秋子の勝手だがな」
そう言うと、秋子は何故か吹き出す。
「あはは。和志って、いっつもそれだよね」
「直ぐには言わないところが?」
「そーじゃなくて。『信じる信じないは秋子の勝手』って言うところ」
「そうだったかな? 意識してないけど」
目の前の信号が、赤に変わる。
二人で並んで、足を止める。
「そうよ。いっつもそれ」秋子は、少しだけ意地悪そうな眼をして、「ただ、信じろって言えば良いだけじゃない」
何だか、その言葉が、酷く重く感じられた。
「俺を信じろ」
だから、俺は、自分に対する罰のように言った。
「えー、どーしようかなー」
「おいおい。せっかく言ったのに、それはないだろう」
「だって、素直に言われるとからかいたくなるじゃない?」
「はは。確かに、そうだな。こういうのは、ここぞという時に言うべきだな」
「そうそう。使いどころを間違えちゃダメよ」鈴の鳴るような声で、秋子は笑う。「でも、今は信じてあげる」
それだけで充分だ。今だけ信じてくれれば、事足りるのだから。
信号が、青に変わる。
目的の場所は、もう直ぐだ。
俺はベルトに挟んだ物の重さを確かめるように、手を伸ばす。俺の部屋に巧妙に隠されていたそれに。
「そうだ。全部終わったら、和志はどうするつもり?」
はっとして、手を元に戻す。
どうやら、不審がられていないようだ。いや、普段の秋子ならば、勘付いていただろう。しかし、父親の仇を討てるという興奮が、彼女の眼を曇らせているだけだ。
「まだ、決めていない。秋子は、どうするんだ?」
「警察に行こうと思う」
言っている意味が分からなかった。いや、単語の意味は理解できる。
その発言の意図、動機が理解できない。
「何故、警察が出てくるんだ?」
「だって、今から私は人を殺すのよ」
だから、出頭するというのだろうか?
「でも、素直に出頭する必要は……」
「あるわよ。悪いことをしたら、償わないとダメでしょう?」
何故、そんな正論をこんな状況で口にできるのだ?
「ダメだ。それだけは、許さない」
思いの外、強い口調になっていた。
「悪いことって言うけれどな、お前は悪くない。だって、お前はただ、父親の敵を討つだけだろ?」
「それでもダメなの。ダメなものは、ダメ。お父さんから、そう教わったんだから」
この時、記憶を失ってから初めて、善光寺秋伸を恨んだ。もう少し、不真面目な娘に育てても良かったんじゃないのか?
「ふざけるな! そんなの認めない!」
思いの外、大きな声が出ていた。周りの人々が、何事かと俺を見る。慌てたように、秋子は俺の口を塞ぐ。
「あのねー。考えてもみて? どうせ出頭しなくても捕まっちゃうのよ。だったら、自分から出頭した方が、筋が通ってると思わない?」
「警察には手出しさせない。絶対に、どんな手を使ってもだ」
「無理よ、それは。どんなに隠しても……」
そこで、秋子の顔色が変わる。
「和志、まさか……」
「ああ、どんな手を使ってでもって言ったろ? 秋子が蛇蝎の如く俺を嫌ってもだ」
「呆れた……。大畠の手を借りるつもりなんだ? お父さんの死を隠蔽した奴の」
「嫌ってくれても構わない。俺は、どんな手を使ってでも、秋子を元の暮らしに戻させる」
秋子は、無言だ。
「俺を信じろ」
単純で純粋な言葉。
「──それ、使いどころ間違えてる」
「──決まったと思ったんだがな」
頬を掻きながら、わざと視線を外す。
「はぁ……。和志って、変なところで頑固よね」
額に手を当てて、秋子はため息をつく。彼女のため息を何度聞いただろうか? その中でも、今のため息が一番可愛らしいと思う。
「秋子には言われたくないな」
お互いに苦笑いを浮かべる。
「じゃあ、これからを本気で考えないとダメね」
「そうだな。秋子は、大学を目指すんだろう?」
「そうなるわね。学費とか大変かもしれないけれど、何とかするわ」
「それは、心配ないと思う。親父さんが溜めた金があるだろう? それに奨学金を使えば、問題ないはずだ」
大学の博士課程まで進学しても、足りるはずだ。
「それなら、和志はどうするの?」
「決めていないな……。というよりも、決められない、て言った方が良いな」
「ちょっとー。しっかりしなさいよ」バンバンと俺の背中を叩く秋子。「何なら、私が決めてあげようか?」
多分、彼女は深く考えずに言ったのだろう。
だからこそ、俺の胸を深く抉る。
「そうだな、多分、そうなると思う……」
呟くと同時に、目的地が見えてきた。
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「ねえ、和志。ここって……」
「秋子が監禁されていた場所だな」
昨日、俺と秋子が初めて出会った場所でもある。
昨日の惨劇の痕跡が、一つも残っていない。流石は犹森機関だ。後始末の完璧さには、頭が下がる。
フローリングにはワックスがかけられ、壁紙は貼り替えられている。派手に割ってしまったガラスは、合わせガラスに替えられており、再び割られても破片が床に散らばることはないだろう。
「ここに、お父さんの仇がいるのよね?」
「そうだ。いるぞ……」
室内には、俺と秋子しかいない。昨日、殺された不良達の幽霊が出ない限りは。
「で、どこにいるの? もしかして、今から連れて来るとか?」
「いや、連れて来るわけじゃない……」
俺は、腰に手を回して、黒く鈍い光沢を放つ鉄の凶器を取り出す。
そして、それを秋子の足元に放る。
階下にまで響いたと思われる派手な音を立てて、それが床に落ちる。
「何これ? 拳銃?」
秋子が足元を見て、驚きの声を上げる。
「そうだな。今から、これで仇を取らせてやる」
「だから! その相手がいないじゃない!」
薄々、秋子も勘付き始めているのだろう。その言葉が荒くなる。
「早く、そいつを出してよ。直ぐに殺してあげるから」
「そうだな。早く、殺してやれよ」
徐々に、自分の言葉の温度が下がっていくのを感じる。
「だから、その相手が……」
秋子の言葉を遮る。
「そろそろ、認めてくれよ……」
ゆっくりと、秋子の足元にある拳銃を手にする。
スライドを引き、初弾を装填。
これで、引き金を引けば、鉛球が音速で飛び出すことになる。
片手で拳銃を半回転させる。
銃口を俺に、引き金を秋子に。
「ほら、しっかりと掴んでろよ」
「だから、何言って……」
震える秋子の右手を優しく握る。
一本、一本と指を解き、グリップを握らせる。
「離してよ、和志……」
その言葉に、応えることはできない。
「あとは、引き金を引けば、完了だ」
無機質な銃口を自らの左胸に、直接当てる。
いくら体が震えようと、絶対に外すことはない。
「冗談、止めて……。ほら、私、震えてるじゃない」
「そうだな。震えてる」
俺は、彼女に酷なことをさせようとしている。それを嫌でも自覚させられる。でも、これは必用なことなんだ。
「だ、だから、もしかして、間違えて……」
「撃てよ」
冷たく、静かに告げる。
「なんで、わ、私が、和志を……」
「言わないと、分からないか?」
俺は秋子の眼を見据える。
しかし、直ぐに、目を逸らされる。
「俺が、全てを仕組んだんだよ」
銃口を通して、彼女の震えが酷くなるのが分かった。
どれくらい、そのままでいただろうか?
室内には、秋子がカチカチと恐怖で歯を鳴らす音と、彼女の細い呼吸音。その二つしかない。
俺の鼓動と呼吸音は何故か、聞えなかった。
「俺のお袋の名前は、桑原恵子。善光寺秋伸に七年前に殺された女性だ」
俺と彼女、二人が欲してやまなかった真実。
「うそ、うそだよね?」
「嘘じゃない。大畠、そして俺の家に向かう途中の運転手は、俺の仲間だ。あいつらと他の仲間の協力で、今回の事件を仕組んだ」俺は一気に話し続ける。「俺と秋子の誕生日に合わせて、俺は計画を実行した。皮肉だろ? これで、お袋、善光寺秋伸、そして俺と秋子の命日が、五月三十一日になるんはずだった」
「で、でも、それでも……。和志が記憶を失くした……」
理由にならない、そう言いたいのだろう。
「それも、計画のうちだ。俺は全てを終えた後、全ての記憶を消して、新しい人生を送るつもりだったんだよ。そうすれば、全てが終わるからな」上手く自分が話せているか自信がない。「どうだ? 卑怯だろ?」
なぜなら、ほんの少しだけ虚構が混じっているから。
そして、それは絶対に知られてはいけない。
彼女の決断を鈍らせるから。
彼女は優しいから、
それを知ったら、
俺を殺してくれないだろうから。
「でも、手違いで、善光寺秋伸を殺した時点で記憶を失ってしまった」拳銃を握る手に力を込める。「それが、この俺だ。どうだ? 憎いだろ? 殺したいだろ?」
俺の言葉が、室内に反響する。
俺が初めて、彼女に嘘をついた瞬間だった。
どうか、気付かれませんように。
誰でも良いから、俺の願いを聞き届けてくれ。
「和志……。本当に、何も覚えていないんだよね?」
そこで、俺は自分のミスに気がついた。
嘘をつくことで必死だっため、そこまで気が回らなかった。
何故、秋子に電話をした時に「記憶は戻らなかった」と言ってしまったんだ?
何故、あの時、記憶を取り戻したと嘘をつかなかった?
「答えて!」
「思い出したに決まってる」
二回目の嘘。
あとどれくらい嘘をつけば、彼女は俺を殺してくれるのだろう?
「本当に?」
「ああ、本当だ! 善光寺秋伸の体をバラバラにした時は、射精しそうなくらい興奮した! お前を誘拐させた時なんて、腹を抱えて笑い転げた! お前をどう陵辱して、どう殺してやろうか考えただけで、幸せになれた!」
自分でも信じられないほど、汚い言葉が力強く飛び出してきた。
「本当なのね?」
「全部本当だ」
嘘をつくことに、抵抗がなくなっていた。
「それなら……」秋子は、静かに確信をつく。「どうして、私を殺さないの……?」
「そ、それは……」俺は必死に言い訳を考える。「お前を殺すことに、興味が失せたんだよ」
余りにチープな言い訳。通じるはずがない、と確信。
「信じて良いの?」
「俺を信じろ」
「分かった。信じるわ」
いつの間にか、彼女の震えが止まっていた。
感情の篭っていない瞳で、俺を見据えている。
「殺してあげる、桑原和志」
「早くやれよ、善光寺秋子」
秋子の人差し指が、引き金にかかる。
「私、貴方を殺すわ」秋子は決意の篭った声で宣言する。
しかし、続く言葉は最悪のものだった。
「そして、その後、私も死ぬ」
後頭部をダイヤモンド製のハンマーで、思いっきり殴られたみたいだった。視界がグルグルと回り、ともすれば座り込みそうになる。
それくらい、彼女の言葉は衝撃だった。
「──今、何て言った?」
「貴方を殺して、私も死ぬ」秋子の言葉は、どこか楽しげだった。「あら。これって、別れ話がもつれた男女みたいね」
「茶化すな! 何故、秋子が死ななければならない!?」
それでは、全く意味がない。
「だって、今の和志は記憶がないんでしょう?」
「ある」と言いかけて、それを秋子に制される。
「言ったでしょう? 俺を信じろって言葉は、使いどころを考えなさいって」
秋子は顔を上げ、俺に微笑みかける。久しぶりに、彼女の笑顔を見た気がする。
やはり女の子には、笑顔が一番似合う。
「桑原和志、選ばせてあげるわ。貴方の人生を」
「止めろよ。それはつまり、俺だけじゃない。秋子の人生を選べと言ってるのだろう?」
「そうよ。元々は、私の父親が犯した過ちから始まっている。その被害者は、今では貴方だけ。そして、この状況を仕組んだのも貴方」秋子は、瞳を閉じる。「私には、一度たりとも選択権がなかった。そして、それを得る権利もない」
想定していた立場とは、全く逆だった。本当なら、秋子に俺の人生を選ばせるつもりだったはずなのに……。
「どうしたの、和志? 震えてるわよ」
その言葉で、初めて自分が震えていると気付いた。
自分が死ぬのは怖くないのに、秋子の人生を決めるのが怖い。
大畠が言うところの、安っぽいヒューマニズムとやらだろう。
しかし、それを鼻で笑うことができない。
「無理だ。俺には、選べない」
「それは、何故?」
静かに優しく、秋子は問う。
このまま、彼女に縋りつきたくなる。
「それは……。権利がないから」
「どうしてそう思うの?」
「俺には、記憶がないから……」
認めるしかなかった。敗北を……。
桑原和志と呉一郎は、善光寺秋子に勝つことができなかった。
「それなら、私も貴方を殺せない」
静かに、秋子は拳銃を下ろす。
「俺は、どうすれば良い?」
彼女に許しを請う前に、自分勝手な言葉が口から出てくる。
「別に、何もしなくて良いわよ」
「俺が、憎くないのか?」
「お父さんを殺した奴は憎いわ。殺してやりたい」
「だったら……」
「でも、そいつは、もういないんでしょう? 戻って来れないところにいるのよね?」
「だから、それが俺なんだ……」
俺は顔を上げる。
「
そうなの? それは、桑原和志っていう男なんでしょ?」
壊れた玩具のように、頷くという動作をただ繰り返す。
「私の目の前で、泣きそうな顔をしている情けない男は……」
俺の頬を撫ぜながら、愛しそうに、ある男の名前を口にする秋子。
「呉一郎なんじゃないの?」




