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遭遇2

「一郎!」


 秋子の叫び声が聞える。


「っつつつ──」


 一体、何が起きた? 

 大畠が動いた気配など、全くなかった。ならば、目に見えない何らかの力によって、俺の両肩は切り裂かれたことになる。

 どんな能力が考えられる? 漫画ならば、目に見えない刃物とかってところか?


「もしかして、俺の能力を考えてるのか?」大畠がナイフをクルクルと回しながら問う。「教えてやったじゃねーかよ。『省略』しただけだって」


 今度は、両膝が音もなく割れた。

 人体の機能上立っていられず、その場にうつ伏せに倒れる。

 流れ出た血液が地面を伝い、大畠の足元へと向かう。彼の足元で未だに煙を上げているタバコに触れ、その火を消した。


「省略、だと……?」


 切り裂かれた場所から、血流に乗って痛みが駆け上がってくる。脳髄が沸騰しそうなほどの激痛だ。

 それでも、耐えられないほどではない。

 まだまだ、戦える。


「俺は、自分の行う動作を省略できるんだよ」大畠は得意げに語る。「今、省略したのは、四つの動作だ。お前との距離と詰める、ナイフを二回振るう、お前との距離を開く。単純だろ?」

「下らない能力だな。派手さの欠片もない」


 だが、厄介な能力である。事実、この場に倒れている俺がいるのだから。


「ま、そう言うなよ。使いようによっては便利なんだからな」


 大畠は、ゆっくりと俺に近づく。

 俺の血を踏むたびに、ピチャピチャと耳障りな音がする。


「何にせよ。これで、決まりだな」


 勝利を確認した、上から目線の言葉。

 しかし、俺は全く絶望していない。


「何が、終わりだって?」


 俺はゆっくりと、立ち上がる。

 切り裂かれた部分は、既に塞がり裂傷の痕跡すらない。同時に、先程までの激痛が、嘘のように消滅していた。

 ぴたり、と大畠の歩みが止まる。


「……もしかして、回復能力も強化されてたりするのか?」

「そんなところだ」


 強化されているのは、身体能力だけではないようだ。

 自己治癒能力も、医者が腰を抜かすほどに強化されている。伝説的名医である華佗だって、腰を抜かしてしまうレベルだ。

 今なら、腕を切断されていても、切断面を接合してやれば、瞬時に回復できる自信すらある。


「これだから、単純な能力はやりにくい」


 再び、俺の体が二箇所切り裂かれる。

 今度は、右の眼球と左の頚動脈。

 一瞬の焼けるような激痛と、噴水のような出血。

 しかし、それも直ぐに消える。


「この、化け物が」苦々しく、大畠が吐き捨てる。「両手両足をぶった切って、別々に保存するしかねーのかよ」

「やれるもんなら、やってみろよ」


 俺は両足に溜めていた力を一気に解放する。

 大畠との距離を詰めるのには、一秒の一割程度あれば良い。


「強気だな」


 空気の動き、殺気の流れ、光の反射すら存在しない、認識不能の攻撃。

 それでも、「限界」というものは存在する。

 一撃目は右腕の半分まで切り裂く。

 二撃目は左腕の七割まで切り裂く。

 両方とも、骨の部分で刃が止まる。

 ぶつかり合う両者の強度。


 先に限界を迎えたのは……。

 パキン、と甲高い金属音。

 大畠のナイフが真っ二つに折れ、刃先が宙を舞う。

「限界」とは、大畠の能力におけるものではない。

 もっと、根本的な要因によるものだ。

 いくら能力が奇抜で優秀でも、使用ツールの「限界」は無視できない。

 今回は、俺の骨組織の強度が、大畠のナイフのそれを上回っていた。

ただ、それだけの差だった。


「もっと、頑丈なのを用意すりゃー良かった……」


 ぼやいた大畠の鳩尾に、既に治癒が完了している右拳を叩きつける。

 前かがみになった大畠の後頭部を抱えて、鼻っ柱に左の膝を抉りこませる。

 大畠の鼻骨が、コリッと音を立てて砕けた。

 そのまま、がら空きになった後頭部に左肘を落とす。

 俺が離れると同時に、大畠の体がゆっくりと地面に落ちる。


「死んでてくれれば、ありがたいんだけどな……」


 全ての攻撃が、その一撃を以って命を刈り取るに足るほどの威力だと自負している。

 大畠は、ピクリとも動かない。

 耳を済ませると、微かに呼吸音が聞える。

 何とか、気絶はしてくれたようだ。

 それを確認すると、両膝から力が抜けた。


「一郎、大丈夫!?」


 秋子が駆け寄ってくるのが分かった。

「あー、ちょっときついかも」


 いくら治癒能力が強化され傷が塞がっていても、それに必要な材料は有限である。今の俺は燃料切れを起こしていると言っても良い。


「まあ、そう心配するなって。少し休んで栄養補給すれば、元に戻る」


 泣きそうな秋子に微笑みかけ、俺はゆっくりと立ち上がる。


「それよりも、こいつをどうするかな……」


 このまま、拉致して尋問するのがベストではあるが……。


「秋子。手錠とか持ってないよな」

「当たり前じゃない」

「それなら、両手両足を折って拉致るしかないか」

「エグイこと考えるわね……」秋子は少しだけ顔を顰めるが……。「でも、それしかないか」

「ちょっと待てよ。可愛い顔して、酷いこと言ってないか?」


 その声が聞えた瞬間、俺と秋子は同時にため息をつく。


「両手両足折るんじゃなくて、切断した方が良くない?」

「俺も、そう思ったところだ」


 生憎と、切断でするための刃物は持っていない。だから、切断ではなく、引きちぎる他にないな。


「だから、そういう痛い話はするなって……」


 頭を振りながら、大畠が立ち上がる。狂牛病に感染した牛のように、足元がふらついている。


「ったく、人をサンドバックにしやがって。骨が五、六本逝っちまってるじゃねーか」


 その顔は、ホラー映画のゾンビがそのままスクリーンから、現れたのではと思うほどのものだった。


「あら、良い男になったじゃない。」

「っざけんな!」叫ぶなり、大畠は顔を顰める。「畜生、傷に響く……」


 そうは言っているものの、大畠の声にはまだ力が残っている。

 さて、どうしたものか?

 はっきり言って、俺は立っているだけで精一杯だ。

 この後、大畠と再戦する余裕はない。


「さて、どうする一郎? こっちは、得物が折れちまったが、多少やり合う余裕はあるぞ」

「それは、俺も同じだ。死にかけの男を相手にするくらいの余裕はある」俺は後ろにいる秋子を見て言う。「それに、こっちには史上最強の殺戮兵器が控えている。国連で大量破壊兵器に指定されるレベルだ」

「ちょっと、それって私!?」


 言いながら、思いっきり俺の背中を蹴り上げてくる。痛いです、秋子さん。


「それは、相手にしたくないな」

「一郎。この男、殺しても良い?」


 秋子の体から目に見えるほどの殺気が、湯気のように湧き出てくる。このまま、彼女を戦わせた方が手っ取り早いかもしれない、本気でそう思った。


「ま、まあ、そこで提案がある」秋子から視線を逸らしながら、大畠が言う。「ここは、痛み分けにしねーか?」

「それは、こちらにメリットがないな」

 こちらとしては、願ってもない提案ではある。しかし、それを素直に受け入れることは戦略上できない。

「嘘つくなよ。立ってるだけで、一杯一杯のくせに。このままやり合っても、十中八九相討ちだぞ。それは、望むところじゃないだろ?」


 大畠の目を誤魔化せるとは思っていなかったが、直接口に出されると少しだけ焦燥感を覚える。


「お前らが、このまま逃げても今は追わない。それを約束しよう」

「今後も追わないとは、約束しないんだな」

「まあ、そうなるな」大畠はその場に座り込んで言う。「それから、もう一つだけ良いことを教えてやるよ。お前らを追う仕事を任されているのは、俺だけだ。つまり、俺がこの怪我を癒すまでは、お前らは安穏としてられる。どうだ? 無理してここで決着をつける必要はないだろう?」

「お前以外の奴が、交代要員として出張ってくる可能性があるだろ?」

「この仕事は俺が買って出たものだ。他人に任せるつもりはない」


 思いの外、感情の篭った言葉だった。初めて、大畠直樹という男の素顔を見た気がした。


「まあ、信じる信じないはお前らの自由だ」


 少なくとも、今の状況で大畠を拘束し、尋問するのは不可能だろう。


「行くぞ……」


 秋子の手を引いて、大畠の車へと戻る。


「ちょっと、一郎。あいつを、放っておいて良いの?」

「悔しいがそれしかない。でも、あいつの実力は把握できた。次から対策を立てれば、確実に勝てるはずだ」

「むぅ、一郎がそう言うなら従うけれど……」秋子は、何かを思い出したように俺の手を振り解く。「ちょっと、待ってて」


 スカートの裾をひらめかせて、大畠へと走り寄る。


「何だよ、善光寺秋子。疲れてるんだから……」


 そこまで言いかけた大畠の鳩尾に、ローファーのつま先を抉りこませる。


「ごふっ……」と呻き声を上げて、大畠は悶絶する。

「一郎を可愛がってくれた罰と、私を化け物扱いした罰ね」

「明らかに、後者の方が多いだろ、この野郎」血走った目で秋子を睨む大畠だが、「いえ、何でもありません、すんませんでした」


 先程までの威勢の良さは全くなく、狼に怯える子羊のような男がそこにはいた。


「さて、行きましょう」


 清々しい表情で、助手席に乗り込む秋子。


「無茶するな……」


 何の事やら、と言った表情で肩を竦める。

ヤレヤレ、とため息をつきつつエンジンをかけようとした時、


 パンッ。


 という音と共に、車体が右に傾く。


「おいおい。まさか……」


 車を降り左のタイヤを確認すると、


「パンクしてやがる」


 左後輪がぺしゃんこになっており、走行が不可能だと一目で分かった。


「車だけは置いていけ」


 自分の愛車だけは意地でも取り返すつもりらしい。どちらにしろ、そろそろ乗り捨てるつもりだったので、抵抗するつもりはなかった。


「なーに、少し歩けばタクシーが走っているだろう。別に、悲観する必要なんてねーよ」


 俺はポケットから鍵を取り出し、大畠に放り投げる。


「使ったガソリンは、奢りで頼む」


 それだけ言って、俺は歩き出す。


「ああ、そうだ。言っておくが、俺の家に行っても無意味だぞ。お前らの欲しがる情報は、特にないからな」

「そう言われると、行きたくなるのが人間だろ」

「言うと思った。無駄足にならないことを祈るよ」


 その言葉に後ろ手でヒラヒラと手を振り、俺達はその場を後にした。

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