地上への脱出!
ヴァルドリューズが、草の上に座り、目を閉じている。精神を統一し、ミュミュと
カイルの居場所を探っているのだ。
彼にとっては、ミュミュの気配は探知しやすく、魔力ゼロのカイルは、彼の魔法剣
の魔力を辿るということだった。
「どうやら、ミュミュとカイルは一緒にいるらしい。おそらく、彼らは、今、地上に
いる」
地中に埋没した帝国跡を、探し回っている最中に、ヴァルドリューズが、地上から
僅かにミュミュの羽音が聞こえたというので、五人は、地上へ脱出作戦を立てること
にした。
「マリス」
萎れたようになっているマリスを、ヴァルドリューズは呼び寄せ、耳打ちす
る。マリスは、時々頷いていた。
「サンダガー、今のあなたの力で、そこの『次元の穴』を塞げるか? 」
ヴァルドリューズが尋ねる。
重なり合った時空の歪みから、砂漠に出現していた次元の穴を見つけるのは、地上
にいた時よりも容易かった。
「さあな。本来の俺様ならわけないが、今は、『ヒト並み』だからな」
身体の大きさも能力も、人間並みだという獣神は、両手を腰に当てて返した。
出来ないことでも、堂々と威張って言うのが神の尊厳だとでも言わんばかりである。
「では、少しだけ、あなたの魔力を解放する。それくらいは、今の私にも出来そうなので」
ピクッと、サンダガーの眉が動く。
「ほほう、俺様の能力を? その次元の穴を塞げば、地上に出られるっての
か? 」
「おそらく」
「待ってください! 」
クレアが進み出た。
「私、ヴァルドリューズさんから頂いた魔道書を、無くしてしまったんです。もう
少し、探してみてからでもいいでしょうか? 」
「けっ! 散々探したけど、見つからなかったじゃねえか。魔道書なんかに頼んなく
たって、魔法くらい使えるようになれよ」
「そ、それはそうだけど……あの魔道書は、ただの魔道書ではなくて、今は、もう
この世に一冊しかないという、チャール・ダパゴの魔道書なの。それも、ヴァルド
リューズさんが、私の勉強のために、苦労して手に入れてくださったのだから」
クレアとサンダガーがにらみ合う。
「クレア、悪いが、あきらめてくれ。魔道書なら、他のものも出ている。そのうち、
また手に入れる」
ヴァルドリューズにそう言われ、彼女は引き下がったが、後ろ髪を引かれる思いで
いるには違いなかった。
「俺のバスターブレードは、マリスが見つけてくれたから、助かったよ。下手したら、
捕まって、処刑されてたかも知れないのに、俺の剣、一生懸命取り返してくれたもん
な。ありがとな」
ケインは、素直に感謝の気持ちを表した。
「別に、あたしは、命張って、ケインの剣を取り戻そうとしたわけじゃないんだから。
みすみす捕まる気なんて全然なかったわよ。連行されてる最中に、どっかで剣奪って、
暴れてやるって思ってたんだから」
マリスは、ツンとそっぽを向いた。
そんな彼女の頬が、うっすら紅潮しているのを見付け、照れ隠しだとわかる。
どこか可愛らしいその様子は、演技――武遊浮術の愛技ではないと、彼には思えた。
「素直じゃないなぁ。お前、もうちょっと本心出した方がいいんじゃないの? せめ
て、王子に会っておけば良かったのに」
「よけーなお世話よ」
あえて、怒ったように眉を吊り上げたマリスは、憎々し気にケインを睨むと、ぷい
っと獣神の方へ向かった。
(マリスが否定しようがなんだろうが、あの時、彼女は、確かに俺のバスターブレー
ドに対する思いを理解してくれていた。もし、ただの伝説の剣だったとしたら、あそ
こまで取り返そうとはしてくれなかったかも知れない)
『巨人族に取られちゃうことより、形見がなくなっちゃうことの方が辛いじゃない? 』
(あの言葉が、嬉しかったんだ! )
いつか、バスターブレードの持ち主だったレオンのことを話そうと、ケインは思っ
た。
サンダガーに命令しているマリスの、不機嫌そうな横顔を見つめながら、ケインは、
心の中で語りかけた。
(いつか、ホントに全部片付いたら、ベアトリクスに行って、お前を王子のもとへ
送り届けるから。それまで、俺は、お前の剣になろう。お前の戦いでは、必ず頼りに
なる剣に、すべてを任せられる剣になってやる! )
……と、我ながら、格好いいことを思いついたのはいいが、同時に、彼女の無鉄砲
な戦い方についていけるのか、という不安が、すぐさま湧き上ったのだった。
「それじゃあ、いくぜー! 」
サンダガーは元気一杯、不気味な空間の中に出来た次元の穴の前に、仁王立ちに
なった。
「時空の歪みの影響で、次元の穴がまた移動してしまうかも知れない。なるべく、
短く決めてくれ」
「わかってるぜ」
ヴァルドリューズには、サンダガーが首だけ向けて頷いた。
まずは、ヴァルドリューズが、サンダガーの力を少しだけ解放するということだ。
彼の掌からは、白い湯気のようなものが沸いて出て、それを獣神に浴びせている。
「よーし、なんか元気が出てきたぜー! 」
サンダガーは、両方の掌を、時空の合間に見える、ぽっかりと開いた、ヒトが通れ
るほどの黒い穴――次元の穴――に翳した。
その掌からは、バチッ、バチッと、電気のようなものが走り始めたのだった。
それがまるでどこからともなく集まってくるように、次第に大きな放電となって
いくと、やがて、ヒトの頭ほどもある大きな光の球を中心に、かなり広範囲に及ぶ
放電が起こる。
ヴァルドリューズは既に獣神に湯気を注ぐのをやめ、ケインたちのところへ行き、
皆、身体を寄せ合った。
「頑張って、サンダガー! あなたなら出来るわ! 」
マリスが応援する。
「そうよ、頑張って! こんなことは、あなたにしか出来ないわ! 」
クレアも一緒に叫ぶ。
なんだかわざとらしく聞こえたケインであったが、獣神の方はまんざらでもなさ
そうに、薄ら笑いを浮かべていた。
「よーし、そろそろいいだろう! 」
既に、彼の身体の半分ほどにまで膨らんだ電光の球は、びりびりと音を立て、風ま
でもが、荒々しく吹き荒れる。
ヴァルドリューズが、彼らの周りに、緑色の薄い膜を張る。
「くらえっ! 」
獣神が球を発射させた。光の球は、バチバチと放電したまま、次元の穴に突進した。
強い光の乱射と暴風が巻き起こる!
ヒトサイズのサンダガーとはいえ、ヴァルドリューズの防御結界がなければ人間
などは吹き飛ばされていたに違いない。
「はーっはっはっはっ! 俺は、この瞬間を待っていた! 今こそ、地上で大暴れ
してやるぜーっ! 」
サンダガーが、揺らめく空間の中で、そう言っているのをケインは聞いた。
「なんてヤツだ! それを狙って、わざとヴァルに、ちょっとだけ術を解かせたの
か!? 」
やはり、彼は邪神なのか!? そうケインが思っていると――
ごおおおおおおおおお!
光球の攻撃を受けた次元の穴が、みるみる縮んでいく。
その縮んだ中に、根っこごと抜けた草や木、巨大な岩までもが、勢いよく転がり
込んでいった。
「うぎゃあああああああ! なんだこりゃああああ! 」
獣神の身体までもが、そこに吸い込まれかけた。
「マリス、ヴァルドリューズ! て、てめえら、またハカリやがったな!? 」
「あんたの考えることなんか、最初っからお見通しよ! 人間界を暴走しようったっ
て、そうはさせないわ。その勢いに任せて時空を通って、さっさと自分の巣にお帰
り! 」
マリスが勝ち誇ったように言い放った。
「ちくしょう! 覚えてやがれー! 」
いつもの捨て台詞を吐き、サンダガーの姿は見えなくなってしまった。
と同時に、地響きが起きる。
結界の中にいる彼らにも、充分伝わる。
ぼごわあっ!
彼らの立つ草むらの地面の底から、異様な音がすると、ヴァルドリューズの結界は、
地面から浮き上がり、丸い級の形へ変化していった。
「どんどん上昇してるわ! 」
クレアが、結界の外を指し示す。
彼女の言う通り、それまでいた砂漠の地下――失われた帝国の、白い迷路のような
壁、草原などが、いっぺんに抜け、舞い上がっているのだった!
「次元の穴が消滅したことによって、砂漠の土地が、元に戻っているのだ」
外から響く轟音で遮られがちではあったが、ヴァルドリューズの隣にいるケインに
は、彼の説明が聞き取れた。
まさに、埋没していた土地は、もとあった高さのところまで上昇しようとしていこ
うとするのだった。
結界である緑の膜は解かれ、白い石の遺跡が、砂漠の上に忽然と姿を
現していた。
ケインたちが歩いていた時は暗くてよく見えなかった天井もあり、それを支える
円柱もあり、ところどころ破損してはいるものの、もとは立派な美しい神殿であった
ことは一目瞭然であった。
彼らから見ても、数百年以上も前に建てられたことは想像がつく、古い様式で造ら
れた、白い石の神殿であった。
「なんて綺麗な……! 」
思わず、クレアが呟いた。
クレアとケインが歩き回っていた白い壁は、神殿と少し離れたところに現れていて、
町の面影がある。
「迷路みたいに、壁であちこち仕切られてたのは、こうして見ると、人が住んでいた
家の仕切りだったのかも知れないな」
ケインの言葉に、クレアが頷いた。
砂漠に突如現れた、地下に埋もれていた古代の建物の数々は、容赦なく照りつける
火の光に照らされ、思わず、解けてしまうのではないかという気にさせる。
「……サンダガーは? 」
マリスの額に手をかざしてから、ヴァルドリューズが、ケイン、クレアに答えた。
「もとに戻ったらしい」
「どうやら、あいつ、脳ミソまでヒトサイズになってたらしいわね」
マリスがころころと笑った。
「神を欺くとは……! 煽てて騙して、次元の穴だけ塞がせて、
もう怒って出て来てくれなくなっちゃわないか? 」
「さあ、どうかしらね」
心配になったケインであったが、マリスは大して気にも留めていないようだった。
「ひえー、なんだこりゃあ? 随分とまた馬鹿デカイもん持って来ちゃったなあ! 」
「カイル!? 」
いきなり天から舞い降りてきた、金髪傭兵が、肩に小さな妖精を乗せて、着地した。
「無事だったか! 」
「おう! 」
僅か半日あまりであったが、ケインとカイルはじゃれ合って再会を楽しむ。
ミュミュは二人の周りをしばらく飛んでから、ヴァルドリューズに頬を擦り寄せた。
「そうだ、クレア、落としモンだぞ」
そう言いながら、カイルが、服の中から、古びた本を取り出す。
「こ、これは……! チャール・ダパゴの魔道書!? 」
マリス、ケインも、クレアの声に驚き、彼女の手元を覗き込む。
「どうやって、これを? 」
クレアが、カイルを見上げた。
大事な魔道書が見つかり、喜ぶ前に、驚きの方が強いようだ。
「地割れに巻き込まれた時に、俺の近くに飛んで来たから、慌てて取っといたんだよ。
大事なモンだったんだろ、それ?
ついでに、ミュミュも近くにいたから、必死で掴んだんだ。ほら、こいついれば、
どこでもいけるじゃん? はぐれちゃっても、みんなのことも探せるしさ」
カイルが、にこにこと微笑みながら説明する。
「カイルってば、乱暴にミュミュのこと掴んだんだよ。ミュミュ、とっても痛かった
の」
ミュミュは、両隣にいるケインとヴァルドリューズとに、耳打ちした。
「ありがとう……! 」
クレアは魔道書を大事そうに抱きしめ、瞳を潤ませた。
カイルは、得意そうに笑ってみせる。
「それはいいとして、……あんた、随分さっぱりしてない? 」
マリスが、カイルに顔を近付けて言った。
「ああ、俺たち、この先の村まで行って、一風呂浴びさせてもらってたんだ」
「なんですってぇ? 」
ピクッときた彼らの心の動きを代表して、マリスがカイルの襟元を掴んだ。
「どーゆーことよ? 」
「私たち、あなたたちのこと必死で探したのよ? 魔道書を預かってくれて、本当に
感謝してるけど、私たちのことを探してくれようともせずに、悠長にお風呂なんかに
入ってたっていうの!? 」
クレアもマリスと並び、背後に精神的炎を燃え上がらせた。
「えっ!? いや、そんなことないよ! さ、探したよ、俺たちだって。なあ、ミュ
ミュ? 」
カイルが尻込みしながら、ミュミュに訴える。
ミュミュは、ヴァルドリューズの肩に座り、こくこく頷いた。
「ミュミュが『お兄ちゃんたち探そう』って言ったら、カイルが『じゃあ、俺はお姉
ちゃんたち探す』とか言って、村に連れてけって言った」
「わーっ! バカッ! なんてこと言うんだ! 」
ケインが溜め息を吐く。
「お姉ちゃんたち……」
マリスとクレアは、三白眼でカイルを睨む。
「あんた、まさか……お風呂入って、綺麗になって、ついでに綺麗なお姉ちゃんたち
と、遊んでたんじゃないでしょーねー!? 」
「私たちのことを探しもしないで、よくもそんなことを……! 」
「なっ、なんにもしてないってば! 綺麗なお姉ちゃんなんか、あの村にはいなかっ
たしさ」
「そーゆー問題じゃないっ! 」
「わあっ! 」
カイルは、二人に攻撃されていた。
ぎゃあぎゃあと騒々しい場所から遠のいたケインとヴァルドリューズは、しばらく
ぼーっと立っていた。
そんな中、ケインが切り出した。
「あの時、なんでマリスのこと、連れ戻さなかった? 」
彼は、まだ完全には信用し切っていない目で、ヴァルドリューズを見た。
対するヴァルドリューズは、暑い日差しの下であるにもかかわらず、涼し気な目を、
彼に向けていた。
「マリスが、もし、セルフィス王子に会いに行ってしまったら、サンダガーの召喚も、
ゴールダヌスの使命も――もしかしたら、魔王が降臨してきても倒す手段が何もなく
なるかも知れなかったっていうのに、なぜ止めなかった? 」
それが、今回の彼の行動で、ケインには不可解に思えた。
降臨した魔王と対決するかまではわからないが、ゴールダヌスの計画は、マリス
抜きでは考えられないもののはず。
ゴールダヌス派ではないというヴァルドリューズは、もしかすると、それを成し
遂げまいとしているのかも知れない、とケインは疑問を抱いていたのだった。
「私には、彼女を連れ戻すほどの魔力はなかったのだ」
意外な返事であった。
「それなら、もっと早く俺に命じることだって、出来たはずだろ? 」
ヴァルドリューズは、少し置いてから、答えた。
「彼女が、王子に会っても、いいと思ったのだ。彼に会うことによって、自分のいた
場所へ帰りたくなってもいいと――戦いから足を洗おうと決めてもいい、とすら思っ
た」
ケインの深い青い瞳が、ヴァルドリューズの碧い瞳を、じっと見据えるが、本心か
らかどうか、それだけではわからない。
「彼女が戦いから引けば、ゴールダヌスの計画とやらは達成出来ないだろう。むしろ、
そうなった方がいいっていうのか? 」
ミュミュがぱたぱたっと、ケインの前に飛んできて、頬を膨らませた顔で睨んだ。
「ケイン、ヴァルのお兄ちゃんのこと、疑ってるのっ!? お兄ちゃんは、ちゃんと
世界のことも、マリスのことも、考えてるよ。なのに、ひどいよー! 」
「ミュミュ」
ヴァルドリューズは、やさしく手でミュミュを制した。
「ゴールダヌス殿の計画を達成させるのは、マリスの使命であると共に、私の使命だ。
額のこのカシスルビーが証拠だ。これがついている限り、使いの魔道士は、その主人
に絶対服従を誓うのだ。そういうものだ。
同時に、マリスは、いずれ、ベアトリクスに帰るべき人間なのだ。それも、私の
受けた指令でもある。だが、それは『いずれ』であって、『今』ではない」
「『今』じゃないと思うんだったら、なおさら、なんでマリスが戦いから抜けても
いいなんて思ったんだ? 」
ケインの質問に、彼は、一瞬、瞳を揺らせた。
「それは、……マリスを、かわいいと思うからだ」
すざざざーっ!
ケインは、思い切り、後退っていた。
「か、かわいい? マリスが? ……お前が? 」
予想外の言葉に、ケインはしばらく混乱していた。
気が付くと、ミュミュが「こらー、ケイン! 失礼だぞー! お兄ちゃんだって、
人間なんだぞー! 」といいながら、ケインの頭をポカポカ殴っていた。
「以前、お前に言われたように、一年も一緒に行動していれば情も湧く。始めのうち
は、彼女のことは扱い慣れず、随分苦労したものだが、今では、それほどでもなくな
った」
そう打ち明けたヴァルドリューズの瞳は、いくらか和んでいる。
「お前にしてみれば、ミュミュはかわいい存在だろう? それと同じことだ」
「そ、そうか。なるほど、ミュミュみたいな……。世話は焼けるけど、放っておけな
い感じの。女としてかわいいっていうより、コドモとか、ペットみたいな……そっか、
そういうことかぁ! 」
「ミュミュは、ペットなんかじゃないでしょー! 」
ミュミュがケインの頭の上に乗っかり、髪をぐしゃぐしゃにする。
「それじゃあ、……信じていいんだな? お前のこと」
上目遣いに、ケインがヴァルドリューズを見る。
「それは、お前の勝手だが、……私は、お前を信じている」
そう言ったヴァルドリューズの碧眼は、どこかやさしく、どこかからかうようにも
見える、不思議な色合いに輝いていた。
その端正な顔立ちも、さらっとなびいた黒髪も、彼の纏う東方系の神秘的な
雰囲気も手伝って、男のケインでさえ、しばらく見蕩れてしまうほどであった。
(ずるい。こいつって、結構、ヒトを味方に引き込むの、苦手なようで、うまいかも
……? )
ちょっとだけ、彼のことを信じてみようかという気になった、ケインであった。
エピローグ
「なんか、ダグラはいなくなっちゃったけど、村まではもう少しなのよね? それ
じゃあ、出発! 」
マリスが、元気よく拳を上げかけるが、
「あっ、そうだわ。その前に、せっかくだから、散々世話になったこの砂漠に名前を
付けましょう! 」
「はあ、名前ねえ……」
彼女の思いつきに、皆、顔を見合わせる。
「だって、今まで地図にも表記できないところで、埋没してた国だって、こうして
遺跡となって現れてるわけだし。そういうのって、大抵、発見者が名付けるもので
しょう? 」
マリスは、自分の思い付きに酔いしれ、うっとりと、白く輝く石壁を、見回して
いた。
「正義の白い騎士マリユス・ミラー命名――いいえ、歴史に名を残すんだったら、
本名の方がいいかしらね」
こほんと咳払いをし、彼女は言い直した。
「正義の白い騎士マリス・アル・ティアナ命名、この砂漠の名は……」
「ちょっと待てよ」
カイルが手で制した。
「もう、名前掘られてるぜ」
「なんですって? 」
カイルが壁の一部を指差した。
『この神殿を、「獣神サンダガーの神殿」と定める。
これが存在している砂漠は、「ポペの砂漠」と命名する。
変更したヤツは死ぬ。』
誰が掘ったものかは、一目瞭然である。
「なんなのー? このラクガキはーっ!? あいつ、このあたしを出し抜きやがった
わねーっ! 」
自分のことは棚に上げ、マリスは怒り出した。
「ふざけた名前つけちゃって! なにが『ポペの砂漠』よ! ネーミングにセンスの
カケラもないわ! 」
「案外、お前といい勝負じゃないか? 」
思わず漏らした言葉を聞き逃さなかったマリスは、ケインをじろっと睨んだ。
「『変更したら死ぬ』だって。不吉だよなー」
「ほんと。これが、神様の考えることかしらね? 」
カイルとクレアも、ほとほと呆れていた。
そのタイミングで、ケインの服のポケットで何かが震え出した。
「どうしたのよ? 」
マリスが、まだ機嫌の悪い顔で、ケインの手元を覗き込んだ。
バヤジッドからもらったペンダントが握られている。
ペンダントを開けると、彼の肖像画が、ぼわーっと実写に移り変わっていった。
「皆さん、こんにちは! お久しぶりです! といっても、まだほんの十日足らず
ですけど」
元気のいいヒト離れした声がしていた。
彼は、木の枝分かれしている手で、身振り手振りを交えながら、黒いフード姿で、
ペラペラと喋っていた。
「魔力を妨害する時空の歪みがなくなったおかげで、また交信ができるようになった
ようだな」
横から、ヴァルドリューズが言った。
「このペンダントって、向こうからの受信機能もあるのか。しかも、バイブ!? 」
ケインを始め、皆も感心するというより、驚いた。
「いくら交信を試みても、どういうわけか、なかなか出来なかったものですから、
心配しちゃって……。皆さん、大丈夫でしたか? 」
「おう! いろいろあって大変だったけどさ、もう大丈夫だぜ! 」
バヤジッドに、カイルが笑顔で答えた。
「時空が入り組んじゃってて、それで、魔力が遮断されてたらしいんだ」
ケインが付け加える。
「そうでしたが……。なるほど、そういうこともあるのですねえ。……ああ、なるほ
ど、そういうことでしたか」
彼は、同じことを繰り返したのち、納得したのか、両手をポンと打った。
「それで、あのー、……私のハトは、そちらに届いたでしょうか? 」
木の魔道士は、遠慮がちに切り出した。
その言葉で、一行は、オアシスを出る時、食料も何もかもが全部揃った後に、彼の
ハトが栄養の飴を運んできてくれたことを思い出す。
「そういう事情では、皆さんが、いくら私にお礼の連絡を取りたくとも出来なかった
わけですね。いやあ、飴が届いたのかどうか、ずっと心配だったのですが、そういう
ことならわかりました。とんだ災難でしたね」
「あ、ああ」
彼らは、曖昧に笑っていた。誰も、彼に礼を言おうなどとは思い付かなかったのだ
った。飴をもらったことすら、その場から忘れ去っていたのだから。
「あの、お礼が遅くなって、申し訳ありませんが、本当に、ありがとうございました。
あの飴があって、私たち、非常に助かりました」
クレアが、バヤジッドの顔色を伺うように、笑いかけながら、言った。
「そうですか、そうですか! 今はもう在庫がないんですけど、お気に召したのなら
ば、作り次第、またそちらにお届け致しましょうか? 」
バヤジッドは、嬉しそうな声を上げるが、一行は、顔を見合わせた。
「まだ余ってるし、幸い、近くに村もあって、食料には当分困らないと思うから、
しばらくは大丈夫だわ」
マリスが作り笑いで答えた。
満腹感が得られず、彼女に限らず、皆にも、あの飴は物足りなかったのだった。
「そうですか。それでは、また何かあった時にでも。
……ああ、そうそう。皆さんが紅通りを整理して下さってからというもの、治安が
良くなったおかげで、観光客が増えてきましてね、国内はおろか、なんだか近隣の国
からも注目されてるみたいでして。もしかしたら、これからフェルディナンドは景気
が良くなるかも知れませんよ」
彼は、嬉々として喋っていた。
(だけど、あそこって、ニセ物ばかり売ってなかったっけ? 大丈夫なのか? )
ケインを始め、皆、少々心配にはなった。
「それから、フェルディナンドの宮廷魔道士の代表が、魔道士参謀のダミアス様に、
お礼のために、改めてアストーレを訪問するそうです。皇后陛下もご一緒で、しばら
くはアストーレにご滞在なさるようです。多分、こちらは、アストーレの第三王女
アイリス様の花嫁修業もあるのではないかと思われます。もちろん、これは、私の
密かな見解ですが、もしかしたら、姉君である皇后陛下が、王女殿下の花婿を、ぱっ
ぱとお決めになってしまうかも知れませんね。私と致しましては……」
そこで、マリスの手が、ケインの手の中にあるペンダントの蓋を伏せた。
(俺を気遣ってる? そんな必要ないのに……)
ケインは無言でマリスを見つめた。
「しかし、モンスコールは野蛮だし、デロスは第一王子なので婿には向かないし、
そもそも決闘の結果、結婚しないと約束されてるし……」
バヤジッドは、閉じられたことに気付きもせず、喋り続けているが、声はフェイド
アウトしていき、やがて消えていった。
「中原は、相変わらず、のんびりやってるみたいね。ま、あたしたちとは住む世界が
違うのよ。勝手にやらせておきましょう」
(『住む世界が違う』って、もともとは、お前だって『そっちの人間』だったんじゃ
ないか)
何気なくそう言ったマリスに、ケインは思わず、くすっと笑いを漏らした。
(たいしたもんだよ、王女のくせに)
「なに笑ってるのよ? 」
マリスが眉をひそめて、ケインを見る。
「いや、マリスって、やっぱ変わってるなぁって、思って」
「失礼ね。そんなこと言うの、ケインだけだわ」
マリスは少しだけ頬を膨らませた。だが、それほど嫌そうではなかった。
魔力を妨害するものはなくなったことで、ヴァルドリューズの空間移動術が使える
ようになった。
一行が一カ所に集まると、周りには、見慣れた薄い緑色の結界が張られていく。
カイルとミュミュが一足先に訪れた村を目指し、彼らは、新たな気持ちで繰り出し
たのだった。