獣神の暴走!?
ぽたっ……ぽたっ……
どのくらいの時間が、経っただろうか。
頬に当たる冷たい滴で目が覚め、ゆっくりと瞼を開いていく。
周りは、薄暗かった。
特に打った様子はなく、怪我もないようだとわかると、ケインはゆっくりと身体を
起こす。
「……ここは! 」
ガバッと跳ね上がると、目の前には石造りの建物が、ずらりと並んでいたのだった。
「確かに、あの時、砂漠に出来た地割れの中に落ちて行ったはずだけど、まさか、
ここは、あの砂漠の地下!? 」
周りを見渡すと、少し離れたところにある、ピンク色の布が目に留まる。
「クレア! 」
ケインがクレアのところへ駆け寄ろうとすると、何か薄い膜のようなものに当たっ
た。弾力性があり、押したり、引きちぎろうとしても破れそうにない。
「クレア! クレア! 」
ケインの呼びかけが届いたのか、ピンクの服の少女は起き上がった。
「……ケイン? 」
「良かった、無事だったか」
「ええ、ケインも」
駆け寄ったクレアの声は、膜のせいか、いくらか声がこもって聞こえる。
「ここに、変な膜があるらしいんだ。待ってて、今破るから」
クレアに離れるよう合図してから、空間さえも切り裂けるバスターブレードに、
ケインが手をかけようとするが、次の瞬間、彼の顔から血の気が引いた。
「なんか背中が軽いと思ったら……! 」
そこに、剣はなかった。認めたくはなかったが、どうやら、バスターブレードを
落としてしまったようだと、彼は悟った。
慌てて周囲を探すが、それらしいものは見当たらない。
視線を腰に移し、マスターソードは無事であることがわかり、ほっとする。
(だけど、バスターブレードが……レオンの形見の剣が……! )
茫然と立ち尽くしているケインを、膜の向こう側から、クレアが心配そうな顔で
見ていた。
思い直したケインは、マスターソードを抜くと、膜の壁に斬りつけた。剣は、あっ
さりと膜を貫通した。
「他の皆は? 」
「私の見たところ、他に誰もいなかったわ」
落胆した様子で、クレアは言った。
「俺、どこかにバスターブレードを落として来ちゃったみたいなんだ」
「ケインも!? 私も、ヴァルドリューズさんから頂いた魔道書がなくなってるの」
二人の間には、心細い沈黙が生まれていた。
「……とにかく、剣や魔道書もだけど、皆のことを探そう」
「ええ」
ケインのいる場所は、石がごろごろと転がっており、行き止まりであったので、
クレアのいる側へと、膜を通り抜けた。
クレアの手のひらに、小さな光の球が浮かぶ。それを頼りに、白い煉瓦の
ような石造りの町の中へと、進んで行く。
「こんなところに町があるなんて……」
おそるおそる、辺りを伺いながら歩く二人は、近付くにつれ、建物に見えたものは
ただの壁であったこと、町全体が迷路のように入り組んだ作りになっていることが、
わかってきた。今のところ、家らしいものには、出くわさずであった。
「ヒトは住んでいないのかしら? 」
心細そうな声で、クレアが呟いた。
天井を見上げてみても空ではない、星のない闇が広がるばかりだ。日もないため、
辺りは薄暗いが、クレアの魔法の光球が白い石の壁に反射し、またそれらの石材が
わずかに発光しているようで、うっすらと青白い光であったが、町の中は、多少は
様子がわかった。
「ヴァルは、いそうか? 」
「それが、この場所は、魔力を察知しにくいみたいなの」
思わず、ケインの足が止まり、改めて、クレアを見直す。
「今までいた砂漠みたいに、……いいえ、なんだかそれ以上に、魔力を妨害している
何かが、強くなっているみたいなの」
「魔力を妨害する何か……? とにかく、得体の知れない場所らしいな。今のところ、
住民とか生き物とかには出会ってないけど、ここは、俺たちにとって安全な場所とは
言い切れない。早く皆と剣、魔道書を見つけて、ここから脱出する方法も探さないと」
「そ、そうね」
ますます心細そうな声で、クレアは頷いた。
「マリスー! ヴァルー! カイルー! ミュミュー! 」
ケインが呼びかけるが、反応はない。二人は、仲間の名前を呼びながら、いくつか
の角を曲がる。
そのうちに、とうとう町の出口と思われる門を出ていた。
そこには、不思議なことに草も生え、木まで立っていたのだった。
「こんな日の当たらない場所に、草木が……? 」
ケインが辺りを見回していると、クレアが、ある木の影を指さした。
「……誰かいるわ! 」
ケインも見てみると、確かに、ヒトが座り、背中を丸めているような影が見えたの
だった。それも、鎧を着ているようで、暗闇の中でも、光球に反射し、背中が光って
いる。
「マリスは甲冑着てなかったし……、もしかして、ここの住民かな? 」
ケインがクレアを振り返ると、クレアも頷く。二人は、ゆっくりと、その人間に
近付いていった。
「すいません、ちょっと、お聞きしたいんですが……」
草むらを踏みしめ、声をかけながら近付くが、その人間は、なかなか振り向かない。
かなり近付き、二人は、その者のすぐ後ろにまで来ると、どうやら、夢中で何かを
食べているようで、物を飲み込む音が聞こえてくる。
その後ろ姿を見ているうちに、どこか奇妙な感じがする。
やはり、甲冑を着ていて、兜からは長い髪が、背中に垂れている。そして、最も
奇妙なのは、尾が生えていることだった。
「人間じゃなさそうだけど、ここの住民かな? 」
ケインが小さな声で言うと、クレアも、どうしていいかわからない顔で、曖昧に
頷いた。
身体の大きさは、ケインと大して変わらないように見えた。この世界に住む種族で
も、言葉が通じるものか不安はあったが、思い切って、ケインは問いかけてみた。
「あのー、すいません。ここのヒトですか? 」
「俺のことか? 」
そう男の声が返ってきた。彼は、両手に何かを抱えたまま、むしゃむしゃ言いなが
ら、くるっと振り向く。
「良かった! 言葉は通じるみたいだ! ……ん!? 」
ケインもクレアも、思わず目を見開き、まじまじと、その男の顔を覗き込んでいた。
よく見ると、彼は金色の甲冑に身を包み、髪も金髪、男の割に綺麗な
整った顔をしているが、目付きは悪い――明らかに、二人の知っている顔であった。
しかも、つい先に見たばかりの。
「……サ、サンダガー!? 」
ケインとクレアは同時に叫ぶと、後退っていた!
時が止まってしまったかのように思えた二人であった。
「サンダガー……いや、マリスなのか? 」
ケインが思い切って尋ねる、というよりも、無意識のうちに言葉が口から出ていた。
「はーっはっはっはっ! 」
獣神がいきなり豪快に笑い出したので、二人はビクッと、再び後退った。
「俺はマリスじゃねえ。正真正銘のサンダガー様だ! 」
それだけ言うと、彼はまた両手に持った肉にかぶりついた。
(それは、もしかして、あの時食ってた、巨大サラマンダーの……? )
ケインは目を丸くした。
「あの、ここは一体、なんなのでしょう? 」
クレアが、ケインの背に隠れながらも、おそるおそる問いかけた。
「どっかの国みてえだな、それも相当古く、寂れてる。大昔に滅亡して、砂漠
ん中にでも埋まっちまった国なんじゃねえの? 」
興味のなさそうにいい加減な口調で答えると、骨までも食べ尽くしてから、立ち
上がった。一八〇セナ以上ある長身のケインと同じくらいの背丈であった。
「だが、その割には、その辺の石には魔力が宿ってるんだか、発光してんのはその
せいだ。ここも、微妙に魔空間に近い。その光の球を消してみな」
言われて、クレアは光球をしぼませた。
淀んだ月明かりにでも照らされたような、ぼんやりとした青白い光ではあったが、
瓦礫のような石からは、僅かに発光していた。
「……それで、その、……マリスは、一体どこに? 」
「さあな」
ケインの質問に、彼は、あっさりと答えた。
「マリスの身体から押し返されて分離した俺様は、仕方なく、自分の住処へ
帰ろうとしたんだが、その時には、既に、『ここ』に来てたんだよ。おかげで、やっ
と自由の身だぜ! 」
サンダガーが自由の身とは、もしかしたら、それは、とんでもないことなのでは…
…! と、顔を見合わせたケインとクレアの表情は、緊張を帯びていく。
「ふん、マリスのダチどもか」
サンダガーは両手を腰に当て、二人をじろじろと眺め回した。その威圧的な雰囲気
は、巨大化している時と何も変わらない。
「特に、お前」
サンダガーは、ケインに指を突き出した。
「お前は、どうも気に食わねえ。いずれ、俺様に楯突くような気がする」
「なんだって!? 俺がマリスに……? 」
「マリスにじゃねえ! ――いや、そうかも知れねえが、俺様にだ! 」
ケインにもクレアにも、どういうことなのか見当も付かない。
「かといって、今のうちに潰しとくってほどでもねえけどな。マスターソードも、
まだまだたいしたことねえし」
サンダガーは、ケインを見下すように見て、にやっと笑った。
ケインの背筋が、ぞくっとした。獣神がその気になれば、人間など一瞬で――と
考えると、脂汗が流れる。
「だが、今のところ、お前はマリスの役に立ってるみてえだからな。俺様が付いた
おかげで、あいつもストレス溜まってるから、それを発散してやれば、俺様も、
少しは助かるからな」
「……? 」
訳がわからないといった風に、ケインとクレアは、またもや顔を見合わせるが、
獣神は構わず、ふふんと鼻で笑った。
「マリスもヴァルドリューズのアホも、まだ気付いてはいないが、俺様の計画は着々
と進んでるってわけよ! 」
サンダガーは、笑い声を上げた。
「まあ、あのヴァルドリューズさんを、アホ呼ばわりするなんて! 」
クレアが信じられないという顔になる。
「ちょっと待て。なんなんだ、その計画って? 」
「なあに、ほんのささやかなもんよ」
聞き捨てならないといったケインに、サンダガーは、にやにや笑いながら、肩を
竦めてみせた。
「ウソだろ? ささやかなもんとか言いながら、実は、世界征服とか考えてるんじゃ
……!? 」
「ウソなもんか。神はウソつかないぜ? 」
けろっとした顔で弁明する神を、ケインは横目で睨む。
「だいたい、あなたは、何の神様なんですか? 」
ケインの後ろから、クレアが震える声で尋ねる。
「五人の獣神のうちのひとり、雷獣神のサンダガー様だ。うーんと……、そうだな、
強いて言えば、勝利の神かなー? まあ、戦いにおいては無敵の神ってことさ。
雷の術なんか得意だぜー! 後はな、そうだなぁ……」
(……それ、今考えてないか? )
にこにこと得意顔のサンダガーに、目を丸くするケインは、どうも『神』と話して
いるような気がしなかった。
「とにかく小僧ども! 俺様は、せっかく自由になったんだ。てめえらの話に付き
合ってるヒマはねえ。腹も膨れたことだし、いっちょ地上で暴れるとするか!
あばよっ! 」
「なっ、なんだって!? 」
いきなりサンダガーは物凄い勢いで、土埃を巻き上げ、飛び上がった。
それだけの動作でも、かなりの風圧が起こり、木は揺らぎ、草は抜けてはらはら
散っている。
「はーっはっはっは! 」
サンダガーの笑い声だけが、暗闇の空に響いていた。
「ケイン! サンダガーは、マリスを離れた今、人間界で暴走するつもりなんじゃ
……!? 」
立っているのもやっとの暴風の中、クレアがケインにしがみついて、声を張り上げ
た。ケインも、彼女が飛ばされないようしっかりと抱きかかえ、獣神の消えた天空を、
睨むようにキッと見上げた。
「制御出来る者が地上にいない今、サンダガーに暴走されたら、世界は一体……!?
魔物から世界を救う為に使おうとしている召喚魔法『サンダガー』が、今まさに、
世界を滅亡の危機へと、追い込もうとしているなんて! 」
「禁呪は、やっぱり、こうしたことが予想された、使ってはならない技だったんだ! 」
ケインがどうしようもなさに、ぎゅっと目をつぶり、口を引き結ぶ。
クレアも、顔を覆った。
「いてっ! 」
遠い空の彼方から、そのような声が微かに聞こえたと思うと、ひゅるるるるる……
と、何かが堕ちてきた。
『それ』は、地面に触れることなく、くるっと回転して、宙に浮かぶ。その時、
ちょっとした風圧が起こった。
「ちくしょう! どうやら、ヒト並みの術しか使えねえらしい。しかも、このよじれ
た空間の中じゃあ、ヒトの力では、『外』に出るのは不可能らしいな。
……ヴァルドリューズの野郎、ハカリやがったな!? 」
そう空中でブツブツ言い、悔しそうにしているのは、つい今し方飛んで行ったばか
りの、『獣神サンダガー』その人であった。




