ヒトの道(2)
男性用の水浴び場で、疲れを取ったカイルとケインは、木陰で瞑想するヴァルドリ
ューズとは別行動になり、キャラバンたちの露店を、プラプラと見物しながら、マリ
スとクレアを待つことにした。
女性用水浴場は、始めに見た大きな湖を挟んで向こう側である。男性用同様、やは
り、背の高い岩場に覆われていて、浴場の中は見えない。
「しかし、こんなところじゃ、なかなか出会いなんかないだろうなー。別に、期待し
ちゃいないけどな」
カイルが、露店で買った、果物の干したものをかじりながら笑う。
彼が普段の元気を取り戻してきたのを嬉しく思ったケインも、くすっと笑った。
しばらくして、カイルの足がピタッと止まり、そのまま茫然と立ち尽くす。
「どうしたんだよ、カイル? 」
怪訝そうに、ケインがカイルの顔を覗き込み、その視線を辿ってみると、二人の、
まだ若い女性の後ろ姿があった。
ひとりは、長い艶やかでストレートな黒髪。肩を包む程度の膨らんだ短い袖、ハイ
・ウェストを紐で結んでいる、淡いピンク色をした膝丈のワンピース姿だった。
東方の踊り子が着ると言われている服に、似ているとケインは思った。
もうひとりは、オレンジ色に輝く長いカールがかった髪で、赤い民族衣装に身を包
んでいた。
背中が広く開いていて、中で赤い布を巻き、その上から、赤い、透ける素材の服を
まとい、腕のところは膨らんで、手首で締まっている。
腰にサッシュを巻き、同じ色の膨らんだパンツの足首のところは、キュッと窄まっ
ていて、隣のピンクの衣装に比べ、彼らの着ている服装と近かった。
「後ろ姿を見る限りでは、お二人とも美人だよな。まさか、こんなところで、こんな
女の子たちがいようとは……! 」
ウキウキしているカイルの横では、ケインも思わず頷いていた。
「そもそも、このオアシスに着いてから、食堂だろうとなんだろうと、女性客なんか
見かけたのは、初めてだな」
ケインがきょろきょろしながらそう言うと、いきなりカイルが走り出したので、
慌てて追いかけた。
「ねえねえ、彼女たち、どこから来たの? 」
カイルは、赤い方の女の子に声をかけた直後、ピシッと強張り、動かなく
なった。
「すいません、こいつが何か変なことを……! 」
カイルの首根っこを後ろから捕まえたケインが、ペコペコする。
「カイルにケインじゃない。何してるの? 」
聞き覚えのある声に、ケインが顔を上げると、紫の瞳と目が合った。
「……マリス? ……クレア? 」
砂だらけだった時とは打って変わった美しい姿に、しばらく言葉が告げられず、
二人の男は、茫然としていた。
「あー、わかった。あなたたち、あたしたちだと思わなくて、ナンパしようとしたん
でしょう? 」
マリスが、からかうように瞳をくるくる輝かせて、カイルをつんつん突いた。
「まっ! こんなところに来てまで……! なんて人たちなの!? 」
クレアが、横目でカイルとケインを交互に見る。
「俺は違うよ! こいつを止めてただけだよ。一緒にするなよ! 」
固まったままのカイルの首を抱え、ケインは、自分名誉を守るのに必死だ。
「いやあ、あんまりかわいいから、思わず声をかけちゃったぜ。ホント、無意識のう
ちだったんだよ。かわいいってのは罪だよなー」
カイルが、にっこり笑って、クレアとマリスに愛想を振りまく。
(な、何言ってんだ、こいつ? )
取り繕っているカイルを見て、ケインは横で、背中がかゆくなるような思いがし、
思わず彼から手を引いた。
「あら、かわいいだなんて……」
二人の少女たちは、まんざらでもなさそうに微笑む。
東方の文化も手伝って、二人は、どこか神秘的な、不思議な雰囲気であった。
「こんなに短い服、着たことないわ。……変じゃないかしら? 」
つい先程まで、目を吊り上げていたクレアが、膝上のスカートの裾を気にする。
「そんなことないっ! よく似合うぜ! 髪も、そうやって降ろしてるのも、かわい
いっ! 」
カイルが大袈裟に絶賛する。
ケインも同感であった。ただ、彼のように、ペラペラ言ってあげることが出来ない
でいた。それをもどかしくも思う。
「私には、こういう可愛らしいのは似合わないんだけど、やっぱり、クレアには似合
うわね。羨ましいわ」
マリスは、クレアを眩しそうに見ていた。
以前、カイルが指摘していたように、マリスは、中性的な雰囲気であることをうま
く利用する時もあれば、それを気に病むこともあるのかも知れないと、ケインはふと
思った。
「食料だ! 食料をよこせ! 」
「水もだ! もっと持ってこい! 」
一行が、夕飯でも食べようと、宿に戻る途中、十数人の男たちが、キャラバンを脅
し、露店の前に群がっているのが見える。
関係のない露店のキャラバンたちは、そそくさと荷造りを始めている。
その場から逃げて来た商人を捕まえて聞くところによると、彼らは砂漠を旅するう
ちに、資金が底をつき、ろくに金も払わず、水や食料を強奪しようとしているのだと
いう。
「だからって、野盗に変貌するとは……」
ケインは、彼らの前に進み出ようとすると、
「お待ちなさい! 」
いつの間にか、赤いパンツスタイルと、ピンクのワンピース姿の女たち――マリスと
クレアが、彼らの前に立ちはだかっていた。
「水や食料が貴重なものであるのは、皆にとっても同じこと。それを、お金も払わな
いで持ち去ろうとは、不届き千万! 自分たちだけは特別だと思う、その驕り
高ぶりを、今すぐ悔い改めなさい! 」
クレアが、彼らに向かって、指を突きつけた。
「天に代わって、成敗するわ! 」
マリスも片方の手を腰に当て、もう片方は彼らに突きつけ、クレアとポーズを揃え
た。
ケインたちの知らない間に、二人の息はピッタリであった。ケインとカイルは、
そのまま様子を見ることにした。
「なんでぇ、てめえらは!? 」
「小娘どもが! おかしなこと言ってると、てめえらも、かっ攫って、売り飛
ばしてやるぞ! 」
人相の悪い、茶褐色の皮膚をした男たちは、本物の野盗ではなさそうであるが、
随分と乱暴な口をきいた。
だが、飢えが人をここまでにさせている、とばかりは言い切れなかっただろう。
ケインやカイルが思うに、彼らは、もしかすると、ヤミ商人か、もしくは、それら
と取引をしている者たちかも知れなかった。
「人を売るという行為は、それだけで犯罪です! あなたたち、それ以上、罪を重ね
ていくつもりですか!? 」
クレアが、大真面目に発言していた。
言っていることは間違ってはいなくとも、彼女の言うことは、どこかズレていると、
ケインとカイルは思った。
「かっ攫えるもんなら、かっ攫ってごらん! 」
マリスの先制攻撃だった。向かいの男に蹴りを喰らわせると、男は、どたっと倒れた。
クレアも、呪文を唱え始める。
「このアマ! やっちまえ! 」
野盗まがいの男たちは、一斉に、マリスとクレアに襲いかかっていった。
待ってました! とばかりに、マリスが、男たちを次々と投げ飛ばしていく。剣は
なくとも、素手で充分であった。
「うぎゃーっ! 」
クレアに、手を伸ばした数人の者たちも、彼女の放つ風の魔法によって、露店と共
に吹き飛ばされ、舞い上がった。
大勢を一遍にやっつけるという点では、効果的ではあったが、関係のない人々まで
巻き込んでいた。
実戦経験の少ないクレアには、まだ状況判断は難しいようだ。
数十人の賊たちは、二人の少女により、みるみる『人山』となって、築かれていっ
た。
「これっぽっちじゃ、足りねえよ」
男たちの持ち合わせでは、せいぜい三人分の食料と、水を買うので精一杯のようだ
った。
「おなかが空いたら、祈りなさい」
クレアが、手を合わせた。
「祈って満腹になるか! 」
「そうだ、そうだ! 」
男たちは、跪いたまま、ぶーぶー文句を言う。
「だからって、人様から食べ物を奪っていいの!? 」
マリスが仁王立ちになり、腕を組んで、彼らを見下ろす。
(あのー、そんなこと、きみに言えた義理だろうか? )
ケインは、ちょっと思った。
「金が足りないんだったら、真面目に、ここで働いて稼いだらどう? それでこそ、
初めて人並みの食事が出来るってものよ。地道にやりなさいよ、地道に」
マリスが、手前にいる禿げ頭を、ポンポン叩いて言った。
「あなたたちの荒んだ心に、よく効くお話をして差し上げますわ。
昔々、あるところに、有り難い老修道士様が……」
言いかけたクレアを、マリスが引っ張って連れ去った。
(一体、何を言おうとしていたんだろうか? )
ケイン、カイルは、目を点にしながら、見守っていた。
「おっちゃん、あと、そいつとそいつも! 」
機嫌のいいカイルの声が響く。
一晩を、固い石のベッドで過ごし、完全復活した一行は、ダグラを二頭と食料、
水を買い、準備万端で、オアシスを後にしようとしていた。
「それよりも、お客さんたち、この砂漠の中を、ガイドなしに行くってのは、あまり
にも無謀なんじゃないのかい? いくら、そっちのお方が魔道士だと言っても」
商人たちが、皆心配そうに一行を見ていたが、構わず出発する。
いよいよ、次元の穴を捜す彼らとしては、どのような化け物が出るともわからなか
ったため、一般人を巻き込むことは出来なかったのだ。
ぱたたたた……
オアシスを出発して間もなく、何か白いものが飛んできて、一行の頭上で旋回して
いる。
「バヤジッドのハトだ」
そう言って、ヴァルドリューズは、腕にハトを止まらせた。
ハトの足に括り付けられた小さな袋を開けてみせると、そこには、あの赤い
飴玉が入っていたのだった。
「……いまさら……」
呟いたのは、ヴァルドリューズ以外、全員だ。
「また砂漠の熱で溶けちゃうんじゃないか? 」
呆れたように、カイルが言った。
「ま、そうなったらそうなったで、仕方ないでしょう」
マリスは、それを、無造作に布袋の中にしまった。
やっとのことで、本来の目的である、魔物の通り道『次元の穴』を、目指せる『白
い騎士団』一行であった。
クレアとマリスが同じダグラに、男性陣は、ひとりずつダグラに跨がり、再び砂漠
へと向かう。