恋待ちへぶん
「僕のために死んでください」
衝撃的な一言を発せられ、言葉を失った。
そんな私を見て、可愛らしい笑みを浮かべる少年(多分男の子)に、どぎまぎする。今まで見たことの無いくらいの、美少年だった。
肌は日焼けという言葉を知らないぐらいに白く、透き通っている。ふっくらした唇は赤く色づき、形も良く可愛らしい。瞳も髪も、全く手の入れられていない純粋な黒色をしている。
そんな可愛らしい彼は、にこやかに笑顔を振りまいてくれた。
嬉しいといえば嬉しいのだけれど、聞いちゃいけない言葉を聞いちゃった気がするんだよね。
「若林良恵さん。さあ、一緒に楽園へ行きましょう! ごーとぅーへぶんです」
一人、逝っちゃってる彼に、現実の無情さを教えられながら、私は遠い目をしていた。
現実として受け入れがたいものが目の前にあると、人間は逃げ出しちゃいますよね。うん、仕方ない仕方ない。
コンビニを出たばっかりだったので、少し涼しかったのだけれど、今は冷や汗で軽く寒い。身体はだんだんと熱くなっていくが、怖い話を聞いている最中の気分だった。
木の日陰で直射日光は避けられているが、なんだってこんな道の真ん中で彼は呼び止めたのだろうか。ぱたぱたと手で風を起こしながら、今日の夕飯について考え始めた。
私は今、お母さんと二人で暮らしている。お父さんが単身赴任中なのだ。今日の夕飯は私が担当しなければいけない日なので、スーパーにたまねぎを買いに来た帰り。コンビニに寄ってしまったのが運のつきって奴だろうか。
「良恵さん! きーてます?」
「ああ、うん。すみません」
聞きたくなくても、君の言葉は過激過ぎて自然と耳に入ってきてしまうんだよ。だから、残念なことにちゃんと聞いてます。
「良恵さんってば」
「ああ、はい」
名前を何度か呼ばれたけれど、彼のことを私は覚えていなかった。知り合いにこんな美少年はいなかったはずだ。いたとしたら、うちの母親が静かなはずない。
そういえば、少年の名前も分からないや。
「名前、聞いてもいいかな?」
「僕の名前? カイだよ」
カイと名乗った少年は、やはりへらへらと笑っていた。何がそんなに面白いのか知らないが、この暑さに加えて変質者の少年が出没。
私のイライラは募るばかりだ。
「なんで私が死ぬのが貴方のためになるの?」
直球で疑問を投げかけてやる。
顔色一つ変えないのが、少年を少年らしく見えなくする。彼みたいな年代の子って、こんなに落ち着いてたっけ? たしか、漫画やら玩具やらでとても熱くなっている時期なのでは無いだろうか。
「そっちこそ、聞いてる?」
私の問いに一度だけ瞬きをした後に、彼はさも当然のごとく言い放った。
「もちろん。良恵さんの話は一字一句漏らさずに聞いてるよ」
ああ、それはありがとうありがとう。
それで、何なの!?
「死んだら、僕のお嫁さんになれるからです」
ああ、なんだろう。最近の子はこういう告白の仕方が流行っているんだろうか。
おばさん、もうついていけないよ。
大学生とはいえ、二十歳を過ぎたら年を気にし始める年代に入る。ああ、私もう若くないなあと、最近言い続けている気がするけれど。
目の前の少年とのジェネレーションギャップを感じ、余計に大人になってしまったなと思った。
さあ、どうしたものか。
死ぬ気は無いし、目の前の彼の相手をする気も無い。
「僕のお嫁さんになってください」
3歳児とかが約束するプロポーズに似た言葉を使われる。うん? なんか、聞いたことあるような気もする……。
私も、小さいときはそこそこ純粋な娘だったのだ。こういう言葉に憧れて頭の片隅にでも残っていたのかもしれない。
うん、きっとそうだ。
小さい頃、そういえば……金髪の少年に会った事があるような……?
でも、目の前の子は黒目黒髪だし。
「良恵さん。僕、もうそろそろ待てないんだけど」
「え、あ、は?」
考え事をしていたせいで、反応が少し遅れた。目の前の少年は、そんな私の様子をみて、やはり瞬きをした。驚いたときの癖なんだろうか?
しかし、熱い。こんな所で立ち話をし続けるなんて私には耐えられない。
「場所、変えない?」
私の言葉に、目の前の彼は顔を曇らせた。
「ごめんなさい。今、お金持って無いんですよ」
「いや、君にお金を払わせる気は無いよ」
少年にたかる大学生。どんな図だ……。カツアゲじゃないんだから。
「僕だって、良恵さんに払わせる気はありません」
男の子だし、変なプライドがあるのだろう。
しかし、困ったなあ。こんなところで「死んでくれ」とか「お嫁さん云々」とかの話をしたら、暑さとめんどくささで適当に頷いてしまいかねない。
「そうだねえ。じゃあ、私の家だったら今誰も居ないし、お茶くらいならだせるよ」
また一度、瞬きをする彼。少し何か考えた後、今までで一番の笑顔で「はい」と答えられた。
うーん。やっぱり不思議な子だよな。
ま、いっか。
私は深く考えず、家への道を歩き出した。こうやってこの道を歩いていると、いつもの光景なのだが。横をひょこひょこ歩いている美少年に、日常を壊されている気がする。あまり不快に思わないが、得体が知れなくてちょっと怖い。
お茶出すって言ったけど、ペットボトルあったかな? いざとなれば日本茶でも出せばいいんだけど、この暑いのにそんなもの出しても喜ばれないだろう。私だけだったら、水道水で全然構わないのだけれど。育ちのよさそうなカイ君にそんなものは出せない。常識的にどうかとおもうし。
機嫌が非常に良いカイ君を見ながら、そんなに離れていない家まで考え事をしながら、歩き続けた。
「はーい、カイ君」
「どうしました? 良恵さん」
「あのマンションが私の自宅となっております」
「そうなんですか。覚えておきます」
なんか、ストーカーに家を知られてしまったような気分だ……。小さい子じゃなかったら、警察呼んでいるところだよ。
鍵を鞄の中から取り出し、くるりと回す。ドアを開ければ、我が家だ。さくさく家の奥へと進み、クーラーのリモコンを手にとって、ボタンを押す。
なんだかんだで後ろについてきていたカイ君が困ったように見上げてきたのを意地の悪い顔で見る。
台所に向かい、お茶のペットボトルを左手に、グラスを二個お盆に載せて右手で持ち、彼が立ち尽くしているだろう部屋に向かった。
ペースを乱されないように。
そう思いながら、部屋の中をきょろきょろしているカイ君にお茶を出した。
クッションを敷いてあげて、同じように自分の方にも敷いて座る。
「さて、話を始めましょうか」
「ええ。じゃあ、まず楽しい新婚生活についてのお話からしましょう。僕は広大な土地を持っていますから、鹿でも熊でも望むものは用意しますよ。ああ、でも人間の女性は兎とか猫とか小さくて可愛らしいものを愛でるんでしたっけ」
「いや、あの……?」
「ハネムーンはどこがいいですかね? やっぱり二人でまったり出来るところが良いですね。美味しいものを食べられるところ、探しておきますね」
「必要ないってば! 私、死ぬつもりもお嫁さんになるつもりも無いもん」
いままで捲くし立てる様にして話していたカイ君の口がぴたりと止まり、無表情になった。
「嘘をつくのですか?」
その一言はとても重く、今までで一番本音に近いことを言っているような気がした。
彼の睫毛が揺れ、目を閉じた後、首を傾げられた。答えを求められているのがわかって、でも何を求められているのかは、掴めない。
死を感じた。
口の中が乾いて、恐怖に頭を掻き毟りたくなる。
しかし、同時に安堵していた。
こんな両極端な気持ちになるのは初めてで、それこそ疑問に思うのに、そんな世界を許容している自分が居た。
「嘘はつかないよ」
「覚えていないのに? 僕が死んで欲しいと願う理由も分からないのに? 僕は良恵さんのことを一日も忘れたことは無かったというのに」
カイ君はまっすぐだった。視線も、心も。
「僕は、良恵さんを求めています。地獄に落としてもいいくらいには愛しています」
いや、それは愛じゃないだろ。
「良恵さん、僕のために死んでくれますよね?」
「無理」
あっさりきっぱり言ってやれば、眉間にしわが寄り険しくなってしまった瞳がある。
「昔は、結婚してくれるって言った……」
頬を膨らまして拗ねる様は子どもらしくて可愛いのに、どうしてこうもデンジャラスなんだろう。
でも、少しずつ思い出してきた。
「だいたい好きだと言うのなら、普通は待てるよね。私がヨボヨボでシワシワのおばあちゃんになって、死んでからじゃいけないの? だって、愛してくれてるんでしょう?」
「い、いや……だから」
「私のことが好きだって言うんなら、証拠を見せてよ。私、本当に愛してくれている人しか、受け入れたくないし」
一言一言が彼の困った顔を作り上げているのだと思うと、とても愉快だ。
「……もう、15年以上待ってるんですよ?」
恨みがましく言われて、なんとなく昔のことを思い出してきた。
たしか、あの時も死んで欲しいと請われた気がする。
「あの時から、色は何故か違うけど、身長とか変わってないじゃない。カイ君には時間が有限に存在するんでしょ? だったら、待てるハズ」
――人間ではないんですよ。
金髪の少年が言った。
私はその綺麗な子に、恋をしていた。
――残念ながら、生きた人間が入ることのできない世界の住人なんです。
――でも、よしえは生きてるよ。よしえはそこにいけないの?
――……はい。
彼の小さな両手が、私の右手を包み込んだ。
自然と彼と目が合い、そしてその天使みたいな男の子は私の指先にキスを落とした。
「間違っては居ませんが……じゃあ、死後の結婚については了承してくださるんですね?」
「それは、まあいいよ。だって、約束だし」
「でも、現世で誰か男とくっつかれたくないんですよ。僕はあまりこちら側に降りてこられないので」
「じゃあ、誰とも付き合わない。カイ君のことを好きになれるように努力する」
どうして忘れていたんだろう。天使の男の子のことを。
いや、忘れていたんじゃない。目の前の彼と、昔であった彼とが結びつかなかっただけだ。
「努力って……好き、じゃないんですか?」
「そんなの分からないよ。だいたい、私もう二十歳過ぎなのに、カイ君みたいな子どもを好きだなんていったら犯罪者だよ。カイ君、犯罪者と結婚したいと思わないでしょ?」
「良恵さんなら、犯罪者でも構いませんが……。ああ、でも確かに神様にはお灸を据えられてしまうかもしれませんね。知ったこっちゃないですが」
「え、ど、どんな神様なの……?」
「一応、人間が考えている神様とは違うと思いますよ? 僕らの神様はただの上司です。翻訳が上手くいっているかは分からないのですが、魂の調停者という言い方が一番いいのかな? ちなみに僕は天使と呼ばれたり、死神と呼ばれたり、悪魔とも呼ばれます」
にこりと笑ってみせる黒い瞳は、確かに悪魔っぽい。
でも、昔の金髪青目の彼は天使以外の何者でもなかった。
「なんで、昔と姿が違うの? 昔、会った時は金髪だったのに」
「そうでしたっけ? 人間は姿に拘るんですよね。ずっと同じ顔や背格好でいると、怪しまれるのでよく変えているんです。一応、昔良恵さんに出会った時と近い姿をしていると思ったのですが……。でも魂は1つ。良恵さんが望むのであれば、成人男性にもなれますし、僕の特権を使えば死後に良恵さん自身を若くすることも出来ますよ」
恐ろしい話を聞いてしまった気がする。
っていうか、天使と悪魔くらい違うと思うよ、その姿。
「いや、私拘んないし。カイ君はそのままがいい」
っていうか、たぶん大人バージョンのカイ君なんて見ちゃった暁には、惚れない自信が無い。
男の人のために現世とさようならします、なんて勘弁して欲しい。少なくとも、私のキャラではない。
死後に若い肉体に……は、保留。今はまだお願いするときじゃないだろう。
「分かりました。では、良恵さん」
「なに?」
座っていた私に、彼が近づいてきた。
何だ? まだ面倒なことが……?
その時には警戒していると思っていたのだけれど。
「あなたの魂に」
唇に柔らかくて温かい感触がして、そしてそれが離れていった。
「早くこちら側にいらして下さいね」
にこり、と悪魔のような笑みを見せた後に、彼はすっと消えてしまった。
「え? えっ!?」
右を見ても、左を見ても彼はいない。
どこに消えたんだろう? さっき言っていた神様のところにだろうか。
「おばあちゃんになるまで、もう会えないのかな……?」
私は知っていたんだ。そうだ、覚えていた。
彼が待つ時間、私だって待たなくちゃいけないことを。
カイ君は残酷だと思う。だって、小さい頃に出会った天使への初恋はずっと続いていたのだ。
「なんか、呪いでもかけられているんだろうか」
それ、かなり有り得るよね。
二十歳を超えても、好きな人ができなかった。手に落とされたキスに魔法にでもかけられてしまったみたいに、彼のことが好きだった。
っていうより、小さいころに出会った天使の男の子との約束をどうしても破れなかったのだ。
年を重ねる毎に薄れていく記憶の中で、ただ大事だった子が居たということだけは忘れられず。
「死ぬのは無理だけど、何年間も想い続けることは出来るみたいだよ。カイ君」
君に次に会った時には、幸せな恋になるんだろうか。
少なくとも、今と同じ姿ではないんだろうなあ。
どんなに不細工な顔でも、好きになれるようにしないと……。
――僕のために死んでください。
――いや!
――じゃあ、永遠にあなたを僕のものにしてもいいですか?
――えいえん?
――本当は禁じられているんですけどね。まあ、どうにかなるでしょう。好きですよ、良恵さん。
――うん? よしえもすきだよ、カイくん。
少年は、少女に永遠と言う名の愛を――
――愛してます。
手の中に包んで渡した。