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この姉が作るボロネーゼが食えないと言うのか

作者: ROSE
掲載日:2026/06/13

 僕の姉は絶望的に料理が下手だった。それはもう人間の許容できる範囲から大きく外れるほどに。あれは料理と呼んではいけない。毒物または有害物質とでも呼ぶべきだろう。

 だと言うのに、姉は積極的に料理をしたがる。

 前々から不思議なのだが、どうして料理が下手な女ほど料理をしたがるのだろう。料理上手な祖母はいつだって「面倒くさいことさせないで」と言いながら料理する。けれども姉の場合「この姉が作ってやった」ととても偉そうに、そして「感謝しなさい」が続く。

 止めてくれ。僕が作った方がいくらかマシだ。

 僕だって決して料理が得意なわけではない。けれども家庭科の授業で習った範囲くらいの基礎はできる。

 とりあえず目玉焼きは焼けるし、味噌汁だって姉が作るアレよりはマシだ。

 そして、姉曰く得意料理がボロネーゼだという。

 けれども姉が作るあらゆる料理の中で最悪の品がボロネーゼだろう。

 まずスパゲッティだ。彼女にあれは向いていない。芯が残っているときはマシな方で、大抵はゆで時間の倍は茹でたのではないかと言うほどふにゃふにゃでたぶん彼女はパッケージが読めない。

 さらに、市販のソースを使ってくれればいいのに、なぜか毎回ソースを自作したがるのだ。

 挽き肉は生だったりタマネギはじゃりじゃりするし、トマトもなんだか加熱されていない。黒焦げの時の方がまだマシだ。そしてワインはドバドバ入れて水っぽい。ついでにニンニクが多すぎるから臭いも強烈だ。

 そのふにゃふにゃにべしゃべしゃをかけたものが姉の『得意料理』のボロネーゼだ。

「ほら、この姉が作ってやったんだ。感謝して食え」

 無駄に美人。自分の外見を利用するタイプの女の化粧をした姉が、また自信満々にボロネーゼを用意してくれた。

「頼んでないのに」

「はぁ? この姉が作ったボロネーゼが食えないと言うのか?」

 途端に不機嫌になる。

 美人が怒ると威圧感が増す。

 結局僕は嫌々でも食べる羽目になる。勿論胃薬は常備してだ。

 今日もふにゃふにゃで水っぽくて半分生。タマネギはしゃりしゃりしている。そして姉は自分の料理を食べない。

 今日は新しい彼氏とデートだと言っていた。だからいつもより気合いを入れてめかし込んでいる。

「彼氏にも料理作ってるの?」

 ふにゃふにゃのスパゲティをフォークでかき回しながら訊ねる。少しでも食べるタイミングを遅らせようと企んでいるが、結局完食するまで解放してもらえないことはわかっている。

「まだそこまでの関係じゃない」

「ふーん」

 さっさと手料理を振る舞えよ。どうせ振られる。もしくは彼氏が調理師免許でも取ってくるかも。

 僕は高校を卒業したら絶対に家を出る。大学に行こうと思っていたけれど、調理師の専門学校に行くのも悪くない気がしてきた。

 姉の料理を食べたくない。

 たったそれだけの理由で将来を決めるなんて馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけれど、これは僕にとって死活問題だ。もしも料理のプロになれば姉に料理を振る舞うことで姉の手料理を回避出来る可能性がある。僕は生存したいんだ。いつか姉の料理に殺される前に。

 完全なる有害物質ボロネーゼを食べきるのを見守った姉が、ネックレスを選ぶ。どっちがいいかなんて訊ねるくせに、本当はもうどっちを付けていくか決めている。いつも僕が選ぶ方と逆だ。知ってる。だから見もしないで「ひだり」と応えたら珍しく僕が選んだネックレスを付けて出て行った。

 おかしな日もある。

 その調子で、姉の最早料理と呼ぶのもおぞましい生産物を食べずに済むようになればいいのに。

 そんな風に考えていた。


 僕は料理人になった。そして自分の店を持った。

 僕の店の定番メニューはボロネーゼだ。勿論、店の一番人気でネットの口コミだって悪くない。

 だけど、メニュー表を見る度に、どうしても思い出してしまう。

 別に当てつけじゃない。

 ただ、ボロネーゼという言葉が妙に頭に残って、それに執着するようになった。

 何度作ったって、伝統的なレシピの手順で完璧に作ったって、僕のボロネーゼをボロネーゼだとは思えなかった。

 どうしてだろう。

 僕は僕のボロネーゼに納得が出来ない。

 これが正しいボロネーゼだとわかっている。今日だって出来は完璧だ。

 それなのに。

 姉の作るボロネーゼが恋しくなる。

 馬鹿みたいだ。自分でも理解している。

 別にあの日のことを後悔しているだとかそう言うことではない。と言いたいけれど、確かにまだ引きずっているのかもしれない。

 嫌々食べたボロネーゼ。

 もっとちゃんとネックレスを選べば良かっただとか。

 それでもたぶん、あの日に戻ればあのボロネーゼをフォークでぐちゃぐちゃに混ぜながら少しでも口に運ぶのを送らせようとしただろう。

「姉さん、ボロネーゼってのはこういうののことだよ」

 姉の写真の前に、出来た手のボロネーゼを置いた。

 温かい湯気が彼女に届くように。


 この姉が作るボロネーゼが食えないと言うのか。


 うん。

 もう、姉の作るボロネーゼは食えない。

 あんなとんでもないボロネーゼを作る人間はもうこの世にはいないのだから。

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