第5話 境界の向こう、名古宵
深夜。
静けさに包まれた部屋の中で、茜は、はっと目を覚ました。
夢を見ていた、はずだった。
けれど、その内容は、すでに思い出せない。
ただ、胸の奥に残る、あたたかな感覚と、
なぜか強く惹きつけられるような衝動だけが、確かにそこにあった。
時計を見ると、午前二時を少し過ぎたところだった。
窓の外は、街灯の光が、静かに路地を照らしている。
「……眠れない」
小さくつぶやき、ベッドから起き上がる。
昼間の出来事が、まだ胸の奥で重く沈んでいる。
そのとき、どこからか、
かすかな鈴の音が聞こえた気がした。
ちりん。
とても小さく、
それでいて、不思議と心に残る音。
――気のせい、だよね。
そう思いながらも、茜は、なぜか玄関へと向かっていた。
スニーカーを履き、そっとドアを開ける。
夜風が、頬をなでる。
外は驚くほど静かで、
昼間の喧騒が、嘘のようだった。
足は、迷うことなく、あの神社の方角へと向かっている。
理由は、わからない。
けれど、行かなければならない――
そんな確信だけが、胸の奥にあった。
住宅街を抜け、静かな参道へと足を踏み入れる。
夜の神社は、昼間とはまったく違う表情を見せていた。
闇の中に浮かび上がる、鳥居の影。
石段に落ちる、やわらかな灯り。
空気が、微かに揺れている。
境内の奥へ進むにつれ、
胸の鼓動が、次第に早くなった。
「……ここ」
本殿の裏手。
昼間には気づかなかった、小さな石畳の道が、闇の中に続いている。
そこには、淡い光が、点々と灯っていた。
まるで、
こちらへおいで、と誘うように。
茜は、息をのみ、一歩、踏み出した。
次の瞬間、
足元の感触が、はっきりと変わる。
冷たく、なめらかな――石畳。
風の匂いも、空気の温度も、
今までとは、どこか違っていた。
ゆっくりと顔を上げると、
そこには、見知らぬ夜の街が広がっていた。
柔らかな灯り。
和と未来が溶け合った、不思議な街並み。
どこか懐かしく、
どこか新しい。
胸の奥に、言葉にならない感情が溢れ出す。
「……ここ、は……」
そのとき、背後から、
やさしい声がした。
「ようこそ」
振り向くと、
灯りの中に、ひとりの少女が立っている。
黒い髪。
柔らかな瞳。
――私と、同じ顔。
少女は、にっこりと微笑んだ。
「ここは、名古宵市」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、何かが、すとん、と腑に落ちた。
ずっと前から、
知っていた名前。
忘れていたはずの、
大切な場所。
「あなたの心が、帰る場所だよ」
そう言って、少女は、そっと手を差し出した。
茜は、迷わず、その手を取った。
指先に触れた温もりとともに、
胸の奥の重さが、ゆっくりと溶けていく。
――帰ってきた。
確かに、そう思えた。
石畳の先には、
無数の灯りが、静かに揺れている。
そのすべてが、
まるで、彼女を待っていたかのように。
(つづく)




