第3話 休日の散歩と、境界の気配
土曜日の朝。
目覚まし時計を止めたあと、茜はしばらく布団の中で天井を眺めていた。
平日の朝とは違う、ゆっくりとした時間の流れ。
外から聞こえるのは、遠くを走る車の音と、鳥のさえずりだけだった。
「……いい天気」
カーテンを少し開けると、淡い陽射しが部屋の中に差し込んでくる。
今日は、特に予定を入れていない。
ただ、気の向くままに歩こうと思っていた。
身支度を整え、軽く朝食を済ませてから、茜はマンションを出た。
春の風はやわらかく、頬をなでるように通り過ぎていく。
近くの公園を抜け、小さな川沿いの遊歩道を歩く。
水面に反射する光が、きらきらと揺れていた。
休日の散歩は、茜にとって、心を整える大切な時間だった。
歩いているうちに、自然と足が向かう場所がある。
それは、住宅街の奥にひっそりと佇む、小さな神社だった。
鳥居は古く、木の色は少し褪せている。
けれど、境内に足を踏み入れると、不思議と空気が澄んでいるように感じられた。
参道を進むにつれて、街の音が、少しずつ遠のいていく。
代わりに聞こえてくるのは、木々の葉擦れと、かすかな鈴の音。
――また。
胸の奥が、静かにざわめいた。
理由のわからない、懐かしさ。
帰ってきたような安心感。
拝殿の前で手を合わせ、静かに目を閉じる。
祈る内容は、いつも同じ。
大切な人たちが、今日も無事でありますように。
自分が、穏やかに生きていけますように。
それだけ。
なのに、なぜか胸が熱くなった。
まぶたの裏に、ふっと、知らない風景がよぎる。
石畳。
やわらかな灯り。
夜の静けさ。
「……気のせい、だよね」
小さくつぶやき、目を開ける。
境内は、いつもと変わらない、静かな朝の光に包まれていた。
けれど、足元の石段に立った瞬間、空気が、わずかに揺らいだ気がした。
ほんの一瞬。
現実と、どこか別の場所とが、重なったような――そんな感覚。
茜は、思わず息をのむ。
けれど、次の瞬間には、すべてが元通りになっていた。
「……不思議」
首をかしげながら、境内を後にする。
帰り道、春の陽射しの中を歩きながらも、胸の奥のざわめきは消えなかった。
まるで、あの場所が、何かを伝えようとしているかのように。
そして、その“何か”が、少しずつ近づいてきているような――
そんな予感だけが、静かに残っていた。
つづく




