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ふたつの世界を歩く私  作者: 篤羽茜
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第29話 重なっていく景色

休日の朝は、ゆっくりと始まった。


 目覚ましに起こされることもなく、

 自然に目が覚める。


 カーテン越しの光が、

 部屋の中を、やわらかく照らしている。


 ベッドの中で、しばらく天井を見つめた。


 何かを思い出そうとするわけでもなく、

 ただ、穏やかな気持ちのまま、呼吸をする。


 その時間が、心地よかった。


 起き上がり、

 コーヒーを淹れる。


 湯気がゆっくりと立ち上り、

 部屋の空気と混ざっていく。


 その様子を見ているだけで、

 胸の奥が、静かに満たされる。


 ふと、窓の外に目を向ける。


 青い空。

 ゆっくり流れる雲。

 遠くの街並み。


 どこにでもある景色。


 それなのに、

 そのすべてが、どこか懐かしく感じられた。


 ――ああ、似てる。


 名古宵の夜景ではない。

 石畳も、灯りも、ここにはない。


 それでも、

 あの街で感じていた安心感が、

 この景色の中にも、確かにある。


 コーヒーを持って、ベランダに出る。


 少し冷たい空気が、頬に触れる。


 ゆっくりと息を吸い、吐く。


 何も考えなくても、

 心が、整っていく。


 以前は、この感覚に辿り着くために、

 名古宵へ向かっていた。


 今は、

 ここで、そのまま感じられる。


 それが、嬉しくて、少しだけ寂しい。


 歩き慣れた近所の道を、散歩する。


 公園のベンチ。

 木漏れ日。

 すれ違う人たちの気配。


 すべてが、やわらかく見える。


 立ち止まり、空を見上げる。


 風が、ゆっくりと吹き抜ける。


 その瞬間、胸の奥に、

 あたたかな灯りが、ふわりとともった。


 名古宵を思い出したわけじゃない。


 でも、

 あの街で得た感覚が、

 そのまま、ここにある。


 「……ちゃんと、残ってる」


 小さく、そう呟く。


 名古宵は、もう外にはない。


 けれど、

 あの街で歩いた時間は、

 確かに、自分の中に溶け込んでいる。


 帰宅し、ソファに腰を下ろす。


 何気なく目を閉じる。


 石畳の感触はない。

 灯りも見えない。


 それでも、

 胸の奥に、やわらかな光が広がる。


 そこに、彼女の気配も、

 静かに重なっている気がした。


 姿はない。

 声も聞こえない。


 でも、

 もう、探す必要はない。


 「ここにいるんだ」


 自分の胸に、そっと手を当てる。


 名古宵は、消えたわけじゃない。


 日常と重なり、

 自分の一部として、静かに息づいている。


 それが、何よりも、あたたかかった。


(つづく)


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