第28話 日常ににじむ灯り
新しい部署での仕事にも、少しずつ慣れてきた。
覚えることは多い。
関わる人も増えた。
気を配る場面も、以前よりずっと多い。
それでも、以前のような息苦しさはなかった。
忙しいのに、
心のどこかに、静かな余白が残っている。
昼休み、
社内の小さな休憩スペースで、
コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていた。
雲がゆっくり流れていく。
何気ない景色。
そのはずなのに、
胸の奥が、ふわりとあたたかくなった。
――あ。
理由はわからない。
けれど、その感覚は、
名古宵の灯りに、とてもよく似ていた。
石畳の感触はない。
やわらかな夜の空気もない。
それでも、
呼吸が、ゆっくりと深くなる。
目を閉じなくても、
心が、整っていく。
「……大丈夫」
小さく、そう呟いた。
以前は、名古宵に行かなければ、
この感覚には辿り着けなかった。
今は、
日常の中で、自然に訪れる。
仕事に戻り、
人と話し、
資料を確認し、
判断を求められる。
やることは多い。
それでも、
どこかで、自分を見失わずにいられる。
夕方、会社を出ると、
街の灯りが、少しずつともり始めていた。
歩きながら、
ふと、足を止める。
ビルの窓に映る光。
街路灯のやわらかな明かり。
行き交う人の影。
そのすべてが、
名古宵の灯りと、重なって見えた。
「……似てるな」
思わず、笑みがこぼれる。
名古宵は、
遠い場所ではなくなった。
どこにでも、ある。
日常の中に、
静かに、溶け込んでいる。
帰宅して、
部屋の明かりをつける。
そのやわらかな光の中で、
胸の奥が、また、あたたかくなる。
名古宵を思い出しているわけじゃない。
でも、
あの街で感じていた安心感が、
ここにも、確かにある。
ソファに座り、
ゆっくりと息を吐く。
何も考えなくても、
自然と、心が整っていく。
「……ここに、あるんだ」
胸の奥に手を当てる。
灯りは、消えていない。
ただ、
外から内へと、場所を変えただけ。
それだけで、
世界の見え方が、こんなにも変わるなんて。
窓の外を見ると、
夜の街が、静かに光っている。
その景色は、
もう、どこか別の場所を思い出させるものではない。
今、この場所が、
そのまま、心を整えてくれる。
名古宵は、なくなっていない。
ただ、
どこへ行く必要もなくなっただけ。
その事実が、
やさしく、胸を満たしていた。
(つづく)




