第26話 並んで歩く夜
名古宵に立ったとき、
もう、街の輪郭はほとんど光に溶けていた。
石畳は、確かに足の裏にある。
けれど、その感触は、どこかやわらかい。
灯りは、少ない。
それでも、あたたかい。
この街は、もう、形を保つことに意味を持っていない。
ただ、ここに在ることだけを、選んでいるようだった。
「……来たね」
声がして、振り向く。
彼女は、いつもの場所に立っていた。
同じ顔。
同じ声。
それなのに、
不思議と、遠さを感じない。
むしろ、今まででいちばん、近くにいるように思えた。
二人で、ゆっくり歩き出す。
言葉は、いらなかった。
足音だけが、静かに響く。
この時間が、
もうすぐ終わることを、
二人とも、わかっている。
「ねえ」
彼女が、ぽつりと口を開いた。
「最初にここへ来たときのこと、覚えてる?」
「うん」
あの夜。
仕事で疲れきって、
何も考えられなくなって、
気づいたら、ここに立っていた。
呼吸ができた夜。
「あなたは、ここで、ちゃんと休めた」
「ちゃんと泣いて、ちゃんと整えて、
ちゃんと、戻っていった」
その言葉に、胸の奥が、あたたかくなる。
「名古宵は、役目を果たしたんだよ」
私は、ゆっくりとうなずいた。
もう、否定する気持ちはなかった。
寂しさはある。
でも、それ以上に、納得がある。
歩きながら、
灯りのひとつひとつを、目に焼きつける。
忘れたくないわけじゃない。
忘れなくてもいいと、
わかっているから。
「……ありがとう」
自然と、その言葉がこぼれた。
彼女は、少しだけ驚いたように笑う。
「こちらこそ」
足元の石畳が、
ふわりと光を帯びる。
その光が、
胸の奥へと、静かに吸い込まれていく感覚があった。
「もう、ここに来なくても、大丈夫だね」
彼女の声は、やわらかい。
「うん」
迷いなく、そう答えられた。
それが、
何よりの証だった。
通りの先に、
やわらかな光が広がる。
境界が、消えていく。
石畳も、灯りも、
すべてが、光の中に溶けていく。
それでも、
二人は、最後まで並んで歩いていた。
「私は、消えないよ」
彼女が、静かに言う。
「形を変えるだけ」
その言葉が、
胸の奥に、すとんと落ちる。
名古宵は、外の街ではなくなる。
彼女も、外の存在ではなくなる。
すべてが、
自分の内側へと、戻っていく。
光の中で、
彼女の姿が、ゆっくりと、やわらかくなる。
私は、立ち止まらなかった。
最後まで、並んで歩く。
それが、この夜の、約束のように思えた。
やがて、
足元の感触が消え、
光だけが、視界を満たした。
それでも、
寂しさは、不思議と、なかった。
胸の奥が、
あたたかく、満たされていた。
(つづく)




