第25話 ほどけていく街
名古宵に足を踏み入れた瞬間、
空気の質が、これまでと違うことに気づいた。
冷たいわけでも、暗いわけでもない。
むしろ、やわらかい。
石畳は、そこにある。
灯りも、消えてはいない。
けれど、街全体が、
ゆっくりと、ほどけているような感覚があった。
「……静かだね」
そう呟くと、
隣で、彼女が微笑む。
「うん。名古宵、安心してる」
安心。
その言葉が、胸の奥に、すっと入ってくる。
二人で並んで歩く。
通りは、いつもと同じはずなのに、
輪郭が、少しだけ曖昧に見える。
建物の線が、やわらかい。
灯りの境目が、にじんでいる。
まるで、夢の終わり際のように。
「消えちゃうのかな」
思わず、そう口にする。
彼女は、首を横に振った。
「消えるんじゃないよ」
「戻っていくだけ」
足元の石畳が、
淡く光を帯びる。
その光が、
細い糸のように、胸の奥へと繋がっていく感覚があった。
私は、立ち止まる。
街の灯りを、一つひとつ、見つめる。
ここで笑ったこと。
ここで泣いたこと。
ここで、呼吸を取り戻した夜。
すべてが、
確かに、自分の一部になっている。
「名古宵はね」
彼女が、静かに言う。
「あなたが、ここに置いていた心の一部」
「それを、今、ちゃんと持って帰ろうとしてる」
灯りが、ゆらりと揺れる。
街の奥の方から、
やわらかな風が吹き抜けた。
建物の輪郭が、
さらに、にじんでいく。
怖さは、不思議とない。
寂しさも、あるけれど、
それ以上に、あたたかさがあった。
「ありがとう」
自然と、その言葉がこぼれた。
誰に向けたのか、わからない。
名古宵にか。
彼女にか。
それとも、自分にか。
彼女は、やさしく笑う。
「こちらこそ」
石畳を歩くたび、
足元の感触が、少しずつ軽くなっていく。
街の灯りは、
遠くなるのではなく、
近づいてくる。
外側の景色が、
内側へと溶け込んでいくようだった。
「もうすぐだね」
彼女の声が、静かに響く。
「うん」
何が、とは言わない。
でも、わかる。
名古宵は、
形を変えながら、
私の中へ戻ってきている。
やがて、通りの先が、
やわらかな光に包まれた。
境界線が、曖昧になる。
石畳も、灯りも、
すべてが、光の中に溶けていく。
それでも、
私は、はっきりと感じていた。
失っていない。
むしろ、
取り戻しているのだと。
名古宵は、もう、外の街ではない。
私の中で、静かに灯る場所へと、変わり始めていた。
(つづく)




