第15話 揺れる灯り
次に名古宵へ辿り着いたとき、
最初に気づいたのは、音だった。
――静かすぎる。
石畳を踏む足音が、
やけに、遠くへ響いていく。
灯りは、いつも通り、そこにあった。
けれど、どこか、弱々しい。
「……?」
胸の奥が、わずかにざわつく。
空気は、やさしい。
街並みも、変わっていない。
それなのに、
“満ちていない”感じがした。
通りを進む。
いつもなら、
自然と人の気配を感じるはずの場所。
今日は、少ない。
カフェのテラス席に、人はいる。
水路のそばにも、誰かはいる。
でも、どこか、間が抜けている。
まるで、
街そのものが、呼吸を浅くしているみたいだった。
「……おかしいな」
自分に言い聞かせるように呟く。
そのとき、
背後から、聞き慣れた足音がした。
「来られたんだね」
振り向くと、
名古宵のあっちゃんが立っていた。
いつもと同じ、顔。
いつもと同じ、声。
なのに――
少しだけ、違う。
「……久しぶり」
そう言うと、
彼女は、少し間を置いてから、微笑んだ。
「うん。少し、だね」
その一瞬の“間”が、
胸に、引っかかった。
「……この街、静かじゃない?」
思い切って、聞いてみる。
彼女は、すぐには答えなかった。
視線を、街の灯りへ向ける。
「気のせい、じゃないよ」
ぽつりと、そう言った。
「でも、まだ、大丈夫」
――まだ。
その言葉が、
耳に、残る。
二人で、歩き出す。
石畳の感触は、変わらない。
灯りも、消えてはいない。
それでも、
どこか、不安定だった。
「最近、来られない日、あったでしょ」
彼女が、前を向いたまま言う。
「……うん」
正直に、うなずく。
「現実が、少し忙しくて」
言い訳のように聞こえないか、
一瞬、迷った。
でも、彼女は、責めなかった。
「それは、悪いことじゃないよ」
そう言ってから、
少しだけ、声を落とす。
「でもね……名古宵は、心の動きに、正直だから」
足を止める。
「どういう、意味?」
彼女は、こちらを見た。
その瞳に、
かすかな揺らぎが映っている。
「あなたが、現実で踏ん張るほど、
ここは、少しずつ、薄くなる」
胸が、きゅっと締めつけられた。
「それって……」
続きを聞くのが、怖かった。
「消える、とかじゃない」
彼女は、すぐに言葉を足す。
「ただ、揺れるだけ。
まだ、保たれてる」
――でも、確実ではない。
その含みを、
私は、はっきりと感じ取ってしまった。
街の灯りが、
ふっと、揺れた。
「……ごめん」
思わず、そう言っていた。
彼女は、少し驚いた顔をしてから、
小さく、首を振る。
「謝らなくていい」
「名古宵は、あなたを縛る場所じゃない」
「それでも……」
言葉が、詰まる。
この場所を、
失いたくない。
その気持ちが、
はっきりと形を持ってしまった。
彼女は、やさしく笑った。
でも、その笑顔は、
どこか、儚い。
「今は、まだ大丈夫」
「だから……今は、ちゃんと、歩こう」
名古宵の灯りの下、
私たちは、並んで歩き続けた。
静かな街。
揺れる光。
そのすべてが、
いつか失われるかもしれない、という予感だけが、
胸の奥に、静かに沈んでいた。
(つづく)




