第11話 少しだけ、前を向ける朝
目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。
カーテンの向こうが、うっすらと明るい。
「……あれ」
昨日までなら、朝はいつも、少しだけ憂うつだった。
体を起こすのに、理由が必要で、
布団の中で、何度もため息をついていた。
なのに今日は、
不思議と、胸が重くない。
名古宵の中区を歩いた感覚が、
まだ、体のどこかに残っている。
高い建物。
広い道。
それでも、息が詰まらなかった、あの感じ。
洗面所で顔を洗い、鏡を見る。
「……大丈夫そう」
根拠はない。
でも、昨日よりは、そう思えた。
通勤電車に揺られながら、
いつもの街を眺める。
ビルの並び。
人の流れ。
足早な空気。
名古宵の中区と、よく似ている。
――でも、今日は。
「立ち止まっても、いい」
あの言葉が、胸の奥で静かに響いた。
オフィスに着き、席に座る。
パソコンを立ち上げる手が、
昨日より、少しだけ落ち着いていた。
午前中の作業を進めていると、
先輩が、ふと声をかけてくる。
「昨日の件、ちゃんと対応してくれて助かったよ」
一瞬、言葉に詰まる。
「……いえ」
反射的にそう答えてから、
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
評価されることより、
責められなかったことが、
こんなにも、心を軽くするなんて。
昼休み、屋上に出て、空を見上げる。
高いビルの隙間から見える、青。
中区で見た空と、
同じ色をしていた。
「……戻ってきてるんだ」
名古宵から、現実へ。
でも、何も失っていない。
むしろ、
大事なものを、少しだけ持ち帰ってきた気がする。
午後の仕事で、
小さな確認ミスに気づいた。
以前なら、
それだけで、胸がざわついていたはずなのに。
今日は、深呼吸をひとつして、
静かに修正できた。
「……大丈夫」
誰に言うでもなく、そう呟く。
完璧じゃなくていい。
間違えない自分じゃなくていい。
帰り道、夕暮れの街を歩きながら、
ふと思う。
また、行きたくなる夜は、きっと来る。
でもそれは、
逃げたいからじゃない。
「……戻るために、行くんだよね」
名古宵は、
心を預ける場所。
現実を、生き続けるための。
そう思えた自分に、
少しだけ、驚いていた。
(つづく)




