第9話
「山下君て、野鳥の写真撮るんだ。ちょっと尊敬しちゃう。そのうち『野鳥と鉄道』をテーマに斬新な写真撮ったら、どこかで賞獲れるかも」
中学時代、陸人は会津中を回って野鳥の撮影をしていた。
「いや、それメチャメチャハードル高くありません?」
とはいえ日菜の無茶ぶりに応えられるわけもない。
「そんなことないと思う。それより、よく考えたらあなたと私の2人だけの部活って、とーってもまずいと思うの」
「え……」
部室には陸人と日菜の2人きり。状況を陸人は理解した。
「ということで、最低もう1人、部員を探さなきゃ。で、お願いがあるんだけど……」
「はあ……」
陸人は「活動写真部・部員募集」と書いたプラカードを持ち、「話だけでも聞いてください」と叫びながら1年生の教室周辺を回ることを約束させられた。ただ、その恥ずかしい仕事は翌日の昼休みだけで済んだ。なぜか隣のクラスの草一郎が声を掛けてきたのだ。
「俺さ、部活まだ決めてなくて。まあ趣味は乗り鉄なんだけど」
「鉄道写真は撮る?」
「いや、乗り鉄のポリシーとして写真は撮らない。記憶に残す」
「はあ? まあいいか。後で部室に来てくれるとうれしいんだけど」
「いいよ。きょうは旅館の手伝いないし、話だけなら」
写真は素人だろうが背に腹は代えられない。放課後、陸人は草一郎を部室に連れて行った。
「この人、乗り鉄だっていうんですけど、写真は撮ったことがないらしくて……」
「乗り鉄? ちょっと趣旨と違うけど、しょうがないか。写真は勉強してもらえばいいからね」
草一郎は呆然と日菜の顔を見ていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「あ、はい。ははは……」
草一郎のほほが緩んでいる。
「入部してくれるのよね?」
「あ、はい! 喜んで!」
「写真とか動画を撮るんだけど」
「あ、はい! 喜んで!」
「居酒屋のバイトじゃないんだけど」
「あ、はい! 喜んで!」
陸人はあっけに取られるばかりだったが、とりあえず部員が見つかったことに胸をなでおろした。
◇
会津川口駅の駅舎を出たところで3人が待っていた。
「部長、こちらです」
草一郎が大型タクシーの前でかしこまって手を差し伸べた。
「何だか日菜ちゃんの会社の部下みたいだね、一ノ瀬君」
空太がそう言い、「確かに、部長だしね」と森が笑った。
「いえいえ、私は部長のしもべでございます。足蹴にされてもついていく所存でございます」
草一郎がおどけた。
「いーちーのーせーくーーーん」
「ふわいー!」
日菜が怖い顔になり、草一郎は悲鳴を上げた。
「まあ、許してあげなさいよ、面白かったから」
笑いながら森が場を収めた。陸人はまだ寝ぼけて目をこすっている。
運転手が降りてきた。
「そろそろ出発します」
そう言ってジャンボタクシーのスライドドアを開けてくれた。みんなの旅の荷物は既に、手際良く草一郎が車の後ろに乗せていた。
「うわー、広いね」
最初に車に乗り込んだ空太はそう言って、一番前の2人掛けの窓側に座った。撮影機材を持った草一郎は一番後ろの1人席に座り、2人席側に機材などを置いた。2列目の2人掛けにはカメラを持った日菜、1人掛けには森。ぼーっとしていた陸人は最後に車に乗った。
「山下君、ここ空いてるよ」
空太が言った。
「え?」
座れる席は空太の隣か日菜の隣しかない。
「あ、と、一ノ瀬のとこ空かないかな……」
「出発しますのでシートベルトをお締めください」
運転手がそう呼び掛け、スライドドアがゆっくり閉まった。陸人は慌てて空太の隣に座り、シートベルトを締めた。
「……今さ、ボクのこと避けようとしなかった?」
空太が少し不機嫌っぽい声で言った。
「え、えと、さっき、寝ちゃって迷惑掛けたから……」
「えー、ぜんぜん迷惑じゃないよ」
「あの後も俺、寝ちゃってたし……」
「疲れてたんでしょ。しょうがないよ。そうだ、またボクに寄っかかって寝てもいいよ」
空太がいたずらっぽい笑顔を見せた。
「え……」
陸人の心臓がバクバク言い始めた。
「ボクね、みんなが鉄道好きなの、ちょっと分かってきたかもしれない。景色がすごくきれいだし、みんなで乗ってると楽しいよね」
「あ、うん……でも、俺の場合は鉄道に乗って一人で撮影に行くばっかりだったからなあ」
話題がそれて陸人はほっとした。
「ふーん。そう言えば一ノ瀬君も一人で乗り鉄やってたみたいだしね。ロマンなんだって」
「ロマン? まあ俺はどっちかというと野鳥撮影がメインだったし。去年の今頃、一番凝ったのはアカショウビンだったなあ」
「アカショウビン?」
「うん、赤くてきれいな鳥。カワセミの仲間だけど、ちょっと大きいんだ。このへんにもいると思うけど、見つけるのはけっこう大変なんだ」
「そうなの?」
小さな分岐点のスペースにタクシーが停車した。
「右手に見えるのが2011年の豪雨で被災した第五橋梁。今は完全に復旧しています」
運転手が言った。5人は車を降りた。
「あそこをC11が走るところ、撮りたいのよね」
日菜がつぶやいた。
「キュルルルルウウウウー」
どこからか甲高い鳴き声が聞こえてきた。
「アカショウビン!」
陸人が声を上げた。
「え、どこ?」
空太が聞いた。
「まあ、姿はなかなか見えないんだ。川の向こうに飛んでったような気がするけど……」
「あ、あれ。あの木に赤い鳥がとまってない?」
草一郎が言った。
「えー、どんだけ目がいいんだ一ノ瀬は」
そう言って陸人はカメラバッグから超望遠コンパクトデジカメを取り出し、ファインダーのぞいて探した。
「あ、確かにいるいる。珍しいなあ。道路から見えるなんて」
そう言って陸人はシャッターを押した。
「え、どこどこ。ボクにも見せてよ」
「見つかるかなあ」
陸人は空太にカメラを手渡した。
「赤い点みたいなのが見えたら、それを真ん中にして」
「あれかな」
「そこからカメラ動かさないで」
陸人が横からズームレバーで望遠にしていく。
「あ、いた。真っ赤な鳥! きれいだね」
「真っ赤か。たぶんオスだ」
「オスが真っ赤なの?」
「うん、メスは腹がちょっと白い」
「オスの方がおしゃれなんだね」
「まあ鳥はオスの方がきれいな傾向があるかな。マガモなんかもそうだし」
「へえー。ボクも鳥だったら良かったのかなあ。山下君に追い掛けてもらえそうだし……なんてね」
「え……」
陸人はまたドキッとした。
「はいはい。バカなこと言ってないで。あとで空ちゃんのこと、ちゃんと山下君に撮ってもらいますから」
「あ、アカショウビン飛んでっちゃった」
一行は第六橋梁を見た後、町内の観光スポットの沼山湖、大志集落が見えるふれあい広場を回り、大志集落の旧五十島家住宅でタクシーを降りた。江戸時代の民家で、県の重要文化財になっている。
「そうだ。ここでね、少女は幼馴染の男の子と偶然再会するという設定にしようかしら。ということで、山下君、幼馴染役をやってくれない?」
「へ? またいきなり……はあ……。はいはい分かりました。やりますよ」
陸人はもうどうにでもなれという感じだ。
「えーと、ボクはどうすればいいの?」
空太が聞いた。
「空ちゃんはね、住宅の中から出てきてね。そこに幼馴染の山下君が道の駅の方から現れるの」
「分かった」
「で、2人はお互いに『あ……』って言ったまま見詰め合って」
「はいはい」
マジメな空太に比べ、陸人はヤケクソ気味だ。
「ここは一ノ瀬君、レフ版で空ちゃんに光を当ててくれる?」
「は、はい、喜んで!」
「ちょっと待って、空の髪を直す」
森はそう言って、空太の髪をすいた。
「暑くない?」
「うん、大丈夫だよ。さっき麦茶飲んだし」
雲が多いが太陽は既に天頂近くに上り、気温はぐんぐん上昇している。
「終わったら道の駅でお昼にするからね」
日菜がそう言って、三脚に乗せたカメラの位置取りを再確認した。
「じゃあ、撮影始めるね」
「はーい」
そう言って空太は住宅の中に入っていった。
「山下君は住宅の後ろから歩いてきてね。カメラバッグは背負ったままで、カメラを持って撮影に来た感じで現れてね」
「はいはい」
陸人は一眼レフを取り出し、住宅の後ろに回っていった。
「空ちゃーん、ゆっくり出てきて!」
「はーい」
「山下君も歩いてきてね」
日菜の指示通り、曲がり家の馬屋を出たところで、空太は陸人と鉢合わせのような形になった。
「あ……」
「あ……」
日菜に言われたセリフだったが、自然に2人の口から言葉が出た。見詰め合う2人。ところが、カットの声が日菜から出ない。
空太がアドリブのセリフを言い始めた。
「山下君、久しぶり。ボクのこと覚えてる?」
「え?」
陸人は突然のことに呆気にとられた。
「ボクだよ、星野空太。あ、そうだよね。こんな恰好してるから驚かせちゃったかな」
「え? え?」
「実は……この町に君がいるから、来てみたんだ。まさか、こんな風に再会できるなんて思わなかったけど…」
「は?」
「君にはホントのボクを見てもらいたかったんだ。だから……」
「え?」
迫真の演技の空太に対し、陸人は満足に言葉を返せずきょとんとしている。
「もう、お芝居にならないよー。次は山下君が壁ドンするとかしてくれなきゃ」
「空ちゃん。山下君にそんな器用なこと求めても無理。はい。カットカット」
「な、何だったの星野?」
「あはは。ごめんね。森ちゃんの影響で、家で時々即興劇やってたから、ついね」
「即興劇?」
「うん。インプロとも言うんだ。森ちゃん、ダンスやってるでしょ? それでね、表現力を鍛えるのには即興ってとても大事なことなんだって」
「こらこら、私をだしにしない。舞台じゃないんだから、イタズラ始めた空が悪いぞ」
「はーい。ごめんなさい」
「そろそろお昼にしましょうか。列車の時間もあるから」
日菜が声を上げた。