第7話
「パパ、黒いのきた」
「ポーオー」と汽笛が響き、「シュシュシュシュ」という音が次第に大きくなってくる。
「そのカメラで撮ってみな」
「煙出てる」
「そうだね。蒸気機関車、SLっていうんだ」
パシャパシャパシャパシャ。
「ポオオー」
C11が目の前を走り抜けていった。
「日菜、すごいな。今流し撮りした?」
「流し撮りってなあに?」
◇
「一ノ瀬君が今持ってるのが、私が初めて撮った時のカメラ」
「え? そんな大事なカメラだったんですか。そんなの借りちゃったらまずいですよ」
草一郎が慌てた。
「お父さまとの思い出が詰まったカメラを……」
「ちょ……」
日菜が笑い出した。
「それじゃあ何か父さん死んじゃったみたいじゃない。まあ、思い出って言えば思い出か。だいたいあの人、あれ以来、私にさんざん写真のスパルタ教育をしてくれて。現場で泣いちゃったこともあったから、傍から見たら児童虐待と思われたかも。まあ、今は感謝してるけどね」
「す、すいません部長、俺、変なこと言って……」
草一郎はろうばいしたが、日菜は一笑に付した。
「まあ、殺しても死ぬようなタマじゃないしね。そのカメラも父さんと同じく頑丈だから、ガンガン使ってね。だいたい、2人ともうちで会ってるでしょ? プリントしてもらう時」
「あ」
陸人は、がっちりとした体格ながら、とても優しそうで日菜にも面影が似た写真館の主人の顔を思い浮かべ、「なるほど」とつい口をついた。
「山下君、今君が思ったこと分かっちゃった」
「え? 何も思ってませんよ」
「ふーん。目が泳いでるけど」
「泳いでませんよ」
「ふーん」
◇
「空、何飲む?」
会津坂下駅の待合室。自動販売機の前で森が聞いた。
「うん、アイスコーヒーがいいかな。砂糖だけで」
紙コップに一口、口を付けた空太に森は切り出した。
「ねえ、空」
「ん?」
「先週の土曜日、私、遅れて駅に行ったでしょ?」
「うん」
「あの時、実はおじさんに会いに病院に行ってたの」
「え?」
空太の父は内科医で、南相馬市の病院に勤めている時に看護師をしていた空太の母と出会って結婚し、生まれたのが空太だった。父は震災時は大熊町の病院に勤めていた。
原発事故で住民は全員、町を出なければならなくなり、津波で行方不明になった妻を探せないことに後ろ髪を引かれながら、父子で実家のある会津若松に越してきた。今は市内の総合病院の副院長だ。市内には大熊町から避難した高齢者も多く、顔見知りの空太の父は頼りにされてきた。
空太の父の兄が森の父で、会津若松市役所に勤めている。
「おじさんにね、空のことを話しに行ってたの。私の制服を着て、ちょっと元気になってきたって言ったら、すごく喜んでた」
「そうだったんだ。こないだから父さん態度が変だったから、おかしいなと思ってたんだ」
「空のことずっと心配してたんだから」
「うん、それは知ってる……。もしかしてモデルやることも話したの?」
「あ、うん。勝手に言っちゃてごめん。驚いてたけどね。空がやりたいなら、陰ながら応援するって言ってた」
「ああ、それできのう、『まあ、頑張れ』なんて言ってたのか。森ちゃんたちと合宿に行くとしか言ってなかったのに」
「ごめんね、隠してたみたいで」
「うん、いいよ。でも、高校生にもなった息子がかわいい服を着たいってのはやっぱり、親にとってはうれしくないんじゃないかなって思ってた」
「そんなことないよ。おじさんは空の一番の応援団なんだから。それからさっき、乗り鉄君、名前何て言ったっけ。彼も言ってたよ。『服なんか好きなの着ればいい』って」
「うーん、そうなのかもしれないけど…」
「そうだよ。日菜だって空のこと小さい頃から知ってるから、空は空だって。空は空のまま、好きにすればいいんだよ」
「でも、日菜ちゃんは『鉄道×少女』って言ってたよ? 山下君も、美少女を探してるって言ってたし。僕、女の子じゃないのに」
「え、と……それは……うーん……そう、まあ成り行きでしょ、ね」
「あ、日菜ちゃんたち帰ってきた。こっちこっち」
空太が駅の外の2人に気付いたことで、話が逸れた森はちょっとほっとした。
「ごめんねー。だいぶ待たせちゃったかな」
「大丈夫。どこ行ってたの?」
「そこの踏切。SLを私が小さい頃、最初に見た場所なの」
「そうだったんだ」
空太がそう言うと、草一郎が口を出した。
「そうそう、最近は只見線にSL走りませんよね。磐越西線には『ばんえつ物語』のC57が走ってるのに」
日菜が引き取った。
「前に只見線を走った『C11 325』は今、東武鉄道で走ってて、線路はつながっているんだけどね」
何か思うような顔をしてそう言い、話を続けた。
「きょう通る会津柳津駅、駅前にC11があるの。あしたの帰りに撮影する予定だけどね」
草一郎が引き取った。
「もう動かないから、『静態保存機』って言います。で、今も走っているのが『動態保存機』で……」
「じゃあ、そろそろ撮影準備でホームに行ってるから。今8時前だから、10分ぐらいしたら来てくれるかな?」
草一郎のうんちくが始まるのを遮り、日菜は支度を始めた。
次の下り列車の入線は8時19分。上り列車との入れ替えを行い、8時25分に発車する。その間に、空太が列車に乗り降りする映像を撮るつもりのようだ。
「森ちゃんはお化粧直ししてあげてね」
「分かってる」
冷たい飲み物を買いに行っていた陸人が戻ってきた。
「あ、お疲れさま。山下君は2人をエスコートしてね」
「あ、はい」
「部長、待ってくださいよー」
草一郎は何も言われなかったが、機材を担いでいそいそと日菜についていった。
◇
「ちょっと手を洗ってくる」
化粧直しを終えた森が席を外し、待合室は2人だけになった。
「あ、あのさ星野」
陸人がおずおずと切り出した。
「なに?」
「あ、いや……何でもない」
「うーん、何かやだなあ。今はちゃんと話すから、言いたいことがあるなら言ってよ」
「あ、うん……。えと、あ、あの時、星野が女子の制服を着てた時、俺、美少女探してるって言ったでしょ」
「……うん」
「あれって、俺が星野のこと女子と勘違いしたわけで」
「何だ、そんなこと気にしてたんだ。前も言ったけど、ボクはかわいい恰好が好きで、自分で言うのも変だけど、まあまあ似合ってるでしょ? だからあの時、女子に見えたんなら、それはそれでいいやって思ったんだ」
「……それで、モデルを引き受けてくれたの?」
「うーん……どうだろう。日菜ちゃんの撮影に一回付き合って無理だと思ってたんだけど……。そうだ、お願いされたのが山下君だったのが大きいかも」
「え……」
空太の言葉に陸人はまたドキッとした。
「ボク、ずっとマスクに逃げてたんだ。人と距離取るのが当たり前になって、コロナに助けられちゃったんだよね。高校入っても……山下君のこと最初、実はうざかったんだ。でも、あんまりしつこいから、つい話しちゃってさ」
「ええ、それひど」
「あはは。それもごめんね」
「楽しそうだね。仲直りできたのかな」
森が戻ってきていた。
「あ、うん。もう普通に話せる」
空太はそう言ったが、陸人ははぐらかした。
「あ、と、そろそろ行きましょうか。切符買わなきゃいけないし」
◇
会津坂下駅を出た只見線は大きくカーブした後、会津坂本駅から先は只見川沿いを走る。
日菜に借りたカメラで写真を撮るのに夢中な草一郎は車両の中を行ったり来たりしている。残りの4人はボックスシートに座ったが、疲労困憊の陸人はいつの間にか寝てしまっていた。
「ちょっと寝させてあげましょうね」
日菜がそう言ったところで列車が揺れ、陸人の頭が隣の空太の肩にもたれかかった。
「何か寝てるとかわいいね」
空太は起こさないように小声でつぶやいた。
「傍から見ると恋人同士みたい」
森がそう言うと、空太は「えー、それちょっと面白い」といたずらっぽく言い、陸人の頭の上に自分の頭をもたれかけた。
「写真撮っちゃお」
日菜はそう言って手にしていたカメラのシャッターを押した。バシャバシャバシャバシャ。連写音が響いた。
「うーん」
「あ、おはよ、山下君」
陸人の頭は空太の肩にもたれかかったままだ。
目の前に空太の顔があった。
「うーん……て、え、え、え、わあああ」
驚いた陸人は通路に飛び上がった。
「わ、ご、ご、ごめん、ほ……」
言葉が詰まった。
「ほ?」
空太が聞いた。
「ほれた?」
森がちょっと意地悪した。
「ほげた!?」
陸人が舌をかんだ。空太は笑いをこらえている。
「ほんのちょっと寝ちゃったのよね。山下君」
珍しく日菜が助けに入った。
「あ、は、は、はい。そ、そうです。えと、ごめん星野、寄っかかっちゃって。ほは星野のほだから……」
「ぷっ……なにそれ? ドレミのうたじゃないんだから。それより、起こしちゃってごめんね」
「あ、いや大丈夫。はああ……」
陸人は真っ赤な顔になって反対側の1人掛けシートに移ってへたり込んだ。
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