第5話
「忘れないでくださいよー」
きのうは撮影旅行のメンバーに入れ忘れられた草一郎だったが、彼の提案に日菜はあっさり同意し、撮影はやはり只見線ということになった。
撮影旅行の計画も結局、日菜のアバウトな指示にぶつくさ言いながらも草一郎がしっかりと立てた。
2011年夏の豪雨で一部が寸断された只見線は2023年10月に全線復旧した。
「ハイライトは何と言っても、多くの鉄道写真ファンを魅了してきた絶景スポット、第一只見川橋梁ですよね。夏の風物詩、幻想的な川霧が出ることを期待して、ここで夕方と朝の撮影にたっぷり時間を取りたいと思います」
《乗り鉄》草一郎の綿密な計画による1泊2日の行程が組まれた。
1日目は沿線で一番古い1926年の開業当時からの駅舎が残る会津坂下駅に向かう。ただ、只見線のダイヤは少なく、午前の下りは早朝の2本だけ。高校生が駅で列車を撮影するには、始発で行って次の列車を待ち構えるしかない。
「七日町駅を午前6時11分発。ぜったい遅れないように」
計画を最終確認した金曜日のミーティング。日菜はそう厳命したのだが……。
◇
土曜日。曇りの天気予報通り、朝から太陽は見えないが、幸い雨は降らなそうだ。
午前6時、七日町駅に陸人の姿はない。草一郎がスマホに掛けても呼び出し音が鳴るばかりだ。
「今あわてて向かってるんじゃないでしょうかね」
「まあ、山下君らしいかな」
日菜は肩をすぼめた。
「さて、ホームへ移動しましょうか」
「何だか遠足みたい」
空太は半袖の白いブラウスに、薄いピンクのキャミワンピース姿。アクセントの麦わら帽子が夏の旅行気分を醸し出す。この日のために森がコーディネートし、転ばないように靴はかわいい水色のスニーカーでまとめた。
「空太が元気になってホントに良かった。山下少年に感謝しないとね」
森が空太にほほ笑んだ。
「うーん……まだ来ないけどね」
そうこうしているうちに、会津若松駅からの列車が七日町駅に近づいてきた。
「しょうがないなあ」
機材はケース三つに三脚2台。草一郎だけでは抱えきれず、日菜も持とうとしたところに空太が手を出した。
「ボクも持つよ」
「いやいや、モデルに持たせるわけにはいきません」
そう言って日菜は、ジュラルミンケース一つと三脚を軽々と持ち上げた。
「3月までは全部ひとりでやってたんですから」
「日菜ちゃん、力持ちなんだね」
「そういうこと女の子に言っちゃだめじゃない」
森がたしなめた。
「えー、そうかなあ?」
「森ちゃん、ちょっと考え方が古風だったりするところもあるからね。私は空ちゃんより力持ちなんです!」
日菜がおどけた。
「すいません、部長。重いっす」
ケース2個と三脚1台を何とか抱えた草一郎が情けない声を出したところで、カラフルな2両編成のキハE120形が到着し、黄色いドアが開いた。
「来ないね。山下君……」
そう空太がつぶやいて、4人が列車に乗り込んだ時、ホームの向こうにマウンテンバイクを押した陸人が駆け込んできた。自転車を置き、慌てて走り出した陸人だったが、無情にもドアが閉まった。ドアの向こうで振り向いた空太が気付いて「あっ、山下君!」と声を上げたが、列車はゆっくりと走り出した。
と、陸人のスマホが鳴った。日菜だ。陸人は慌てて電話に出た。
「山下君。自分のカメラ持ってるわよね」
「はい……すいません遅れてしまって」
「それは大丈夫。というか好都合ね。次の撮影は会津坂下駅だから」
「え?」
「そのまま自転車で追いつけるかしら」
「はあ!?」
「そこから真っすぐ自転車を飛ばせば、少し先に着くはずでしょ」
「そんな無茶な……」
七日町駅を出た只見線は南に向かった後、西若松駅を過ぎると方向を西に変え、さらに北へと曲がってぐるっと会津盆地を回り込むように走る。七日町駅から会津坂下町に向かう国道はほぼ直線で10キロほどなので、計算上は自転車を飛ばせば少し早く着ける可能性がある。
「ということで先回りして、私たちが乗った列車が入線して、空ちゃんが降りるところを撮ってくれるかしら」
「えええ?」
「早く出発しないと間に合わないわよ」
「もう。分かりましたよ。確かに俺が遅刻したのが悪いんですから!」
カメラリュックを背負い直した陸人は再びマウンテンバイクにまたがり、国道を会津坂下町に向かって走り出した。土曜日の早朝で、車が少ないのは幸いだ。はるかかなたに、稜線に雲をかぶった飯豊山地の黒い山並みが見える。
野鳥撮影のため中学時代は会津盆地を自転車であちこち出掛けており、多少は体力に自信があった陸人だが、七日町駅まで必死でペダルを漕いだのが足に効いていて、10分ほどでへばってきた。始発列車の会津坂下駅着は午前6時47分。あと25分。磐越自動車道が見えてきた。顔から汗がほとばしるが、陸人は漕ぐ足を強めた。
「こうなったら意地でも間に合ってやる」
◇
月曜日の一件の後、陸人は空太と「仲直り」したはずだった。しかし火曜日。教室での会話は元に戻ってしまっていた。
ぼさぼさの長髪、眼鏡にマスク姿で登校してきた空太は無言で陸人の前に座った。
「あ、星野……おはよう」
「あ、うん」
「きょうは消しゴムちゃんと持ってきたんだけど……」
「そうなんだ……」
空太は陸人の方を向かない。
「あ、えと、きょうも雨だね」
「そう……だね」
「あの……」
「……」
「えーと……」
「……」
そんなやり取りが金曜日まで続いた放課後。
「あのさ、星野。きょうは部室であしたからの撮影旅行の最終確認するんだけど……」
「あ、きょうは用があるんだ」
「え……用?」
「日程とかは後で森ちゃんから教えてもらう」
「あ、でも……」
「じゃあ、またあした」
そう言って空太はそそくさと教室を出て行った。
その日の夜、あした空太にどう声を掛ければいいかと考えているうちに陸人は寝付かれなくなってしまったのだった。
午前5時にセットしたスマホの目覚ましも無意識に止めてしまい、はっと気が付くと5時半。あわてて着替えて飛び出したが、荷物を忘れて部屋にUターン。結局、列車には間に合わなかったという次第だ。
もちろん、そんな言い訳は日菜には通用しない。とにかくペダルを漕ぎ続けるしかない。ようやく「道の駅あいづ」が見えてきた。阿賀川に架かる宮古橋を渡れば会津坂下町だ。息が切れ、心臓はバクバク言っているが、陸人は必死にペダルを漕いだ。
町役場前を左に曲がる。6時41分。会津坂下駅が見えてきた。陸人は自転車を放り投げるように置き、駅舎に走り込んで背中のバッグを下ろし、一眼レフカメラと財布を取り出した。
「ごめんなさい! おつりと入場券は後でもらいます!」
必死の形相で200円を手渡した陸人に改札の駅員は驚いたが、何か事情があるのを察してか、「危ない撮影はだめだよ」と言って通してくれた。
列車が着くのは反対側の2番線ホームだ。6時44分。線路を横切る通路を渡り、ホームの端でカメラを構えたところで踏切の音が鳴り響き始め、木々の間を列車がこちらに向かってくるのが見えた。
「間に合った。でも手持ちの動画撮影か……ふう」
中学生の時に小遣いと新聞配達のバイト代を貯めて買った愛用のカメラだが、古い一眼レフなのでファインダーをのぞきながらの動画撮影はできない。息を整えて、できるだけ揺れないように液晶モニターが見える位置にしっかりと構え、陸人は慎重に録画ボタンを押した。
七日町駅で見送った2両編成のキハE120形が2番線にゆっくりと入ってきた。
次の第6話は5日午後4時50分に投稿します