第4話
月曜日は朝からしとしと雨。間もなく南東北も梅雨入りだ。
「おはよう、山下君」
「あ、お、おはよ」
前の席に着いた空太はいつも通りの男子の制服でぼさぼさ髪に黒縁眼鏡だ。この格好だとドキドキすることもなく、陸人は胸をなで下ろした。
「もしかして、女子の制服で来ると思った?」
振り返った空太がつぶやいた。
「ば!」
陸人は大声を上げそうになったが踏みとどまって自分の口を手でふさぎ、ひそひそ声で返答した。
「星野が女子の制服着てること、ばれたら大変だろ」
「うーん、そうかなあ。山下君に見られてもけっこう平気だったし。どうなんだろう」
「どうなんだろじゃないし……なんか星野、きょうはいつもより饒舌になってる。マスクもしてないし」
「あ、きっと山下君のおかげだよ。何か不思議だね。ずっと教室ではしゃべれなかったのに。あ、そうだ。きょうも放課後、生徒会があるんだけど。剣舞委員会の練習を視察するんだ。山下君も来る? 森ちゃんが日菜ちゃんに撮影をお願いしてるみたいだけど」
「あー、そういうことか。どうせ後で部長から助監督を命じられるかな」
「ふーん。そうなんだ。じゃあ放課後は楽しみだね」
◇
剣舞委員会は部活ではなく有志の集まりで、白虎隊をしのぶ春と秋の墓前祭で剣舞を奉納する学校伝統の活動だ。130年以上の歴史があるらしい。今は秋の墓前祭に向けて練習している。
午後になっても雨は止まず、練習の会場は体育館になった。
「あれ?」
陸人は思わず声を上げた。
「えへへ」
空太は剣舞委員会のメンバーと同じ、上は柔道着、下は袴姿で現れた。
「これ、男子も女子も着るもの同じなんだって。生徒会の特権で着させてもらっちゃった。剣舞はやらないけど」
笑顔に陸人はちょっとドキッとした。
剣舞が始まった。長い髪をまとめて白い鉢巻を締め、男子たちよりもきりりと舞って目立っているのは生徒会長の森だ。生徒会の視察というより、まるで彼女の踊りのお披露目会のようだ。
「森ちゃん、ダンスはホントにすごいんだ。ぜったいプロになれると思うんだけど」
空太は自分のことのように自慢した。
結局、今回も本番の撮影は日菜だった。少し暗い体育館だが、露出調整はお手のもの。レフ板も不自然だからいらないという。またも陸人の出る幕はない。
いつもはレフ板係の草一郎は、家の仕事の手伝いできょうは帰宅した。
草一郎の両親は旅館を営んでいる。震災後、浜通りからの避難者を受け入れて懸命に世話した両親に、草一郎は幼い頃から尊敬の念を抱いてきた。コロナ禍に旅館業を翻弄された両親は先行きの厳しさから他の仕事に就いてもいいと言っているのだが、本人は絶対に跡を継ぎたいと思っている。
◇
「草一郎。部屋から出たごみをまとめておいてね」
女将である母が命じた。
「えー。また? たまには料理の仕込みとかやらせてくださいよー」
「ぶつくさ言わないの。調理師じゃない人に、お客様に出すものは触らせられないでしょ。それに、宿の仕事を基本から教えてくれって言ったのあなたでしょ?」
「ふわーい」
きちんと仕事はする草一郎だった。
中学からはまっている乗り鉄の趣味も、あちこちの観光地や宿を見て回りたいという気持ちがきっかけだ。ただ、「記憶が薄れるから写真は撮らない」というポリシーは、日菜との出会いであっさり撤回した。今は日菜が貸してくれた古いコンデジを宝物のように大切にしている。もっとも大事にし過ぎて、ほとんど撮影できていないようだが。
◇
手持ちぶさたの陸人と空太は、剣舞と撮影を邪魔しないように体育館の入り口に移動した。
「雨、やんできたね」
空を見上げた空太はそう言った後、ちょっとうつむいて話し始めた。
「ボク、ホントは白虎隊ってあんまり好きじゃないんだ」
「え? どういうこと?」
突然の言葉に驚いた陸人は反射的に聞き返した。
「だって、戦に負けたと早合点してみんなで自決するなんて絶対おかしいでしょ。八重さんはお城にこもって最後まで闘って生き抜いたのに。会津は昔から女の子の方が強かったんじゃないのかな」
新島八重、旧姓山本八重は会津戦争の英雄だ。砲術師範の家に生まれ、女性ながら銃の名手として鶴ヶ城にこもって敵を撃ったことで知られ、後に同志社大学創始者の新島襄の妻となった。
一方の白虎隊は十代半ばの少年たちで構成された部隊だったが、新政府軍の砲撃を受けた鶴ヶ城が陥落したと思い込み、飯盛山の山中で多くの隊員が自刃して果てた。その悲劇は今も語り継がれている。
飯盛山のふもとで育った陸人は、ついむっとして声を荒げた。
「おい、それって男らしく命を懸けた白虎隊への侮辱だぞ!」
少しの沈黙の後、空太も声を荒げた。
「男らしく? だいたい男らしいって何? そういうのがボクは嫌いなんだ」
「なんだよ。星野なんか女の子みたいじゃないか。変なこと言ってないで男なら男らしくしてみろよ」
「なんだ、山下君もそういうこと言うんだ。そうか。それなら……もういい!」
そう叫び、空太は体育館を飛び出していった。
「やっちまったな、少年」
空太の後ろ姿を呆然と見送った陸人に、剣舞を終えた森が声を掛けた。
「君なら大丈夫だと思っていたのだけどな」
「はあ……」
雨はもうほとんど止みかけている。
「空は、ちっちゃい頃からかわいい服が好きでね、近所でよく女の子に間違われたんだ。保育園でも、『ボクの方がかわいい服似合う』って言って女の子と張り合ってた。小学校に上がっても、私のお古をうれしそうに着ていたしね」
陸人は口を開かず、少しの間、沈黙が流れた。
「空は言わないけど、かわいい服を着ていた理由はもしかしたらお母さんのこともあるかもしれないんだ。震災のとき空は会津のお父さんの実家にいたんだけど、訪問看護師をしてたお母さんは仕事があって大熊町にいて、誰かを助けに海岸の方に行ったらしいんだ……空のお母さん、写真見ると空にそっくりでね」
「え…」
そう言って陸人はまた言葉を飲み込んだ。
「空ちゃん、無意識にお母さんを演じてるってこと?」
いつの間にか後ろに来ていた日菜が言葉を挟み、森が答えた。
「うーん、そう単純でもないのかなあ。空が生まれる前に空のお母さん、『女の子がほしい』って言ってたみたいだけど。空がそれを知ってるかどうかわからない。小さい頃はおじいちゃんっ子で、ベーゴマとか男の子の遊びも好きだったし」
「へえ。私も知らなかった。でもまあ、空ちゃんは空ちゃんだからいいんじゃない」
日菜らしいアバウトなまとめが飛び出したが、陸人はうつむいて言葉を出せなかった。
「さて、空を探しに行こうか」
森が言った。
「どこにいるか分かるの?」
日菜が聞いた。
「たぶん。すねてるだけだろうから。雨は、止んだかな?」
森は2人を校舎の屋上へと連れて行った。
屋上はフェンスがないため立ち入り禁止なのだが、生徒会には鍵が預けられていた。森は鍵を持って来なかったが、出口のドアは開いていた。
屋上の隅に、大きく背伸びする空の姿があった。
「やっぱりここにいた。空」
「あ、森ちゃん……ばれちゃったか。生徒会室は誰もいなくて、勝手に鍵持ってきてごめんなさい。ここは会津じゅうが見渡せるから好きなんだ。あそこに飯森山も見えるね」
そう言って空太は陸人の方を向いた。
「……山下君、さっきはごめん。変なこと言って。白虎隊を侮辱したかったわけじゃないんだ。でもさ、どんな理由があったって死ぬのはやっぱり駄目だよ」
「うん……」
陸人はか細い声を絞り出した。
「あの……生徒会長から聞いたんだけど」
「え?」
「お母さんのこと……」
「ああ、ボク赤ちゃんだったから直接はお母さんのこと、覚えてないんだ。でもね、忘れないようにとは思ってる」
「ごめん……オレ、さっきひどいこと言って……」
少し間を置いて、空太が言った。
「うん、ボクもいきなり怒ってごめんなさい」
ほほ笑んだ空太の顔に陸人はまたドキッとした。
「はいはい。仲直りできたみたいなんで、今度の週末はさっそく撮影旅行に行っちゃいましょう」
二人を眺めていた日菜が不敵な笑みを浮かべた。
「また部長、そんな唐突に。それに天気予報は? 梅雨入りみたいですよ」
陸人があきれ声で言った。
「気にしない気にしない。私、晴れ女だし。実は本選制作の補助金が出てるの。森ちゃん入れても4人だから、けっこう豪遊できるかも。あれ、誰か忘れてるかな?」
日菜が首を傾げた。
「ヘクション!」
旅館の裏のゴミ置き場に草一郎のくしゃみが響いた。
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