第2話
星野空太と名乗った「少女」は女子の制服を着ている。驚きで固まっている陸人にはお構いなしに、森が口を開いた。
「部長って日菜よね」
森はどうやら日菜と知り合いのようだ。
「一緒に部室に行きましょう。いいよね、空」
「うーん、森ちゃんが言うならしょうがない」
それにしても女の子にしか見えない空太にどう声をかけていいやらと陸人は固まった。目のやり場にも困ってしまうが、もしかしたら空太の顔をきちんと見たのはこれが初めてかもしれないと陸人は思い返した。
「えーと……その」
陸人は何とか声を絞りだし、空の足もとを見た。
「ああ、このスカート? 森ちゃんのお古なんだ。生徒会ではこれ着ろって言うから。あ、森ちゃんはボクのいとこで、生徒会で見習い書記をやるように誘ってくれたのも森ちゃんなんだ」
空太は言葉を弾ませる。
「う……」
教室とは立場が逆転したように、陸人の方がうまく言葉が出ない。
「けっこう似合うでしょ? 髪も森ちゃんがセットしてくれたんだ」
廊下を歩きながら、空太は手を広げたり、クルクル回ったり、うれしそうにポーズを取ったり。
「んう……」
「何か変だけど、大丈夫? 山下くん?」
「ははは……」
陸人は力なく笑うしかなかった。
「あっと、言っておくけど、無理に着せているわけではありませんから。念のため」
森がそう言ったところで部室の前に着いた。陸人は扉を開けるのをちゅうちょしたが、森が開けてしまった。
「あら、森ちゃんいらっしゃい」
日菜が少し驚いた顔でそう言った。
「あなたまでちゃん付けで……」
森が不服そうな顔をした。
「だって森ちゃんは森ちゃんでしょ」
「すいません、部長、俺ヘマしたみたいで」
情けない声で謝りだした陸人に、日菜はけげんな顔を向けた。
「何言ってるの? そこにいるの空ちゃんでしょ?」
「へ?」
「空ちゃんに目を付けるなんてね。さすが私が仕込んだだけのことはある」
「いや仕込まれてませんけど……ていうか部長、星野と知り合いだったんですか」
「まあ、生徒会長の星野さんとは昔からいろいろありましてね」
そんな日菜の言葉を無視するように森が続けた。
「空がモデルになるなら、やっぱり私がスタイリスト兼マネージャーをすることになるのかしら」
「そうね。私は美しい映像さえ撮れればそれでいいし。空ちゃんがやってくれるなら問題ないかな」
日菜はあっさり同意した。
「いやいやいやいや」
とんとん拍子に進む話に戸惑う陸人が口を挟んだが……。
「もう! ボクを置いてきぼりにして勝手に話を進めないでよ!」
空太が口をとがらせている。
「そうですよ、2人とも星野の意向も聞かずに」
陸人がフォローしたが……。
「でも、言い出したのはあなたでしょ」
森に突っ込まれた。
「いや、それはそうですけど……。星野もさっき無理って言ってたし、だよね星野?」
そう言って陸人は空太に水を向けた。
「うーん、まあボクを置いてきぼりにしないなら、やってもいいかな。まあ、ホントは日菜ちゃんに頼まれて一度やっているし」
「へ?」
陸人の思考は混乱した。
「そうだったの?」
森も知らなかったようだ。
「そうそう。一次審査の映像も空ちゃんだったから通過したのかもしれないもんね」
日菜はあっけらかんとしている。
「はああああああ? いやいや、それなら俺、探しに出るの意味なかったじゃないですか」
ちょっとむっとした陸人が抗議の声を上げた。
「時刻表と撮影計画は任せて」
そんな陸人を無視するように、やり取りを見ていた草一郎が我が意を得たりとばかりに空太に握手を求めた。
「俺、一ノ瀬草一郎っていいます。よろしく」
「あ、はい。こちらこそ。山下君と同じクラスの星野空太です」
「た? ……ん?」
「いやいやいやいや」
陸人はろうばいした。
「じゃあ、あしたは土曜日だから、七日町駅でもう一回テスト撮影しましょう!」
日菜が声を上げた。
「オーケー!」
陸人以外の声がそろった。
「何なんだこれ。置いてきぼりは俺になってるし……」
◇
「山下くん、だましていてごめんなさい。ボク、ホントは女の子だったんだ」
夕暮れの1年3組の教室。陸人と女子の制服を着た空太以外には誰もいない。空太は目をつぶり、陸人に顔を近づけてくる。
「わー、星野! だめだめだめ! 俺だって心の準備が……」
押しとどめようとした手が空太の胸に当たり、ふわっとした感触に驚いた陸人は飛び退いた拍子に後ろにひっくり返ったところで目が覚めた。
「いててて」
陸人は自分の部屋のベッドから落ちていた。
「はあ、夢か。そりゃそうだよなあ」
窓から朝日が差し込んでいた。きょうも晴れで梅雨入りはまだのようだ。
陸人の家は、幕末の会津戦争で白虎隊の少年たちが自刃する悲劇が起きた飯森山のふもとにあり、高校の近くに住む空太や日菜たちとは違う中学校から進学した。
猪苗代町にあるレンズ会社の工場に勤めている陸人の父は、予定のない休みの日の午前中は起きてこない。母は小学校の教師をしており、きょうは土曜日なのに学校行事があるらしく、早朝から出掛けたようだ。
「集合は10時だったよな」
陸人は通学にも使っているマウンテンバイクにまたがった。道は通学路とほとんど同じだが、学校の方には行かず、七日町通りを西へ進む。江戸時代には会津五街道のうち日光、越後、米沢街道が通り、西の玄関口として賑わったらしい。今も古い蔵造りの家が並び、大正ロマンを感じられる通りとして観光スポットになっている。
七日町駅の駅舎はレトロな雰囲気だが、建物は実はけっこう新しい。無人駅だが、通路の脇はカフェと会津地方のアンテナショップになっている。
陸人は早めに着いたつもりだったが、日菜たちはもう待っていた。
「遅い! 助監督なのに」
日菜が一喝した。
「まだ9時50分ですよー」
息を切らしながら陸人は自転車を降りた。
「おはよう、山下君」
空太がほほ笑みながら近づいてきた。
「え、ほ、ほ、ほしの?」
陸人は思わず声を上ずらせた。
夏らしい白いワンピースをまとい、赤いリボンが付いた白い帽子を持った空太はあどけなさの残る整った顔立ちで、すっと伸びた色白の手足も細く、どこからどう見ても女の子にしか見えない。
「これも森ちゃんの中学時代のお下がりなんだけどね。かわいいでしょ」
「あ……えーと、うん、まあ……」
陸人は今度は声を落としてそう答えつつ、紅潮する顔を見せないように目をそらしながら辺りを見渡して、森がいないことに気付いた。
「あれ、生徒会長来てないの?」
「うん、きょうはちょっと寄る所があるんだって。朝、ボクの髪のセットと軽くお化粧はしてくれたんだけど」
「そうなんだ…」
「さ、移動、移動。一ノ瀬君が先にホームに行ってレフ板持って待ってるから」
日菜は完全に監督になり切っている。
陸人がかわいい「女の子」2人をエスコートしているような格好だが、居心地はあまり良くない。けさの夢のこともあって、まともに空太の顔も見られない。
「こっちこっち!」
ホームの端で草一郎が手招きした。
「そこで待機してて。会津若松行きが到着するのは10時29分だから」
そう言って日菜は、草一郞と一緒に撮影アングルを決める作業に取りかかった。
陸人はとりあえず置き場に自転車を止め、空太とホームのベンチに座った。
「きょうも暑いね」
空太が左手で自分の顔をあおぎながら言った。
「あ、うん……」
陸人は空太の白くて細い腕を見てドキっっとしてしまった。
「でももうすぐ梅雨入りかな」
「あ、そ、そうだね」
空太から目をそらそうとする陸人だったが、胸のドキドキは収まるどころか高まるばかりだった。
第3話はあした午後4時50分に投稿します