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第17話

 旅館の部屋に戻った陸人は空太に話し掛けられないように、普段は見てもいない午後5時半からのテレビアニメを上の空のまま見詰めていた。


 空太は布団にうつ伏せになり、テレビを見たり、スマホを触ったり。手持ちぶさたの様子だ。


 草一郎は窓際の広縁のイスに座り、何やらさっきからスマホで書き込みをしていた。


「一ノ瀬君、さっきから何してるの?」


 空太が草一郎に聞いた。


「きょうの記録。乗り鉄の時にもつけててさ、日記みたいなものかな」


「へえ、マジメなんだね」


「いやあ、ただの習慣だから」


「ふーん」


「あ、そろそろ15分前だから、お風呂に行く準備しないと。タオル類はかごの中にあるし、二人とも着替えを用意しなきゃね」


 時計を見て草一郎がそう言ったが、陸人は聞こえてないふりをしてテレビを見ていた。




「あ、でもこの恰好で男湯行っても大丈夫?」


 空太は自分の浴衣の袖を引っ張った。


 三人ともさっきから女性物の浴衣を着たままだ。


「他のお客は食事時間って言ってたし、別に見られても大丈夫でしょ。それにしても、急に星野君らしくないこと言うなあ?」


「あはは、そうだね。気にすることないよね。山下君じゃあるまいし」


「あ、俺、眠いからやっぱ……」


 二人の会話を無視するようにテレビを見ていた陸人は、振り向きもせずにつぶやいた。


「あ! 山下君、またそんなこと言いだした」


 陸人の言葉に空太はすぐに反応した。


「温泉、さっきもう入ったし……」


「もう、なんでそんなに嫌がるのさ! ……もしかして、ボクが女の子みたいに見えるから?」


「あ、はは……いやその」


 図星を突かれた陸人は言葉を返せなかった。


「何回も言うけどさ、ボクは男子だからね」


「うーん……」


「裸になればさ、ちゃんと男子だってわかると思うよ。筋トレだってしてるんだから」


 そう言って空太は立ち上がり、また右手で力こぶを作って見せた。ほとんど筋肉は盛り上がらなかったが。


「……」


「もう、男らしくないぞ! 山下君」


「あ、なんだ星野、またそういうこと言うんだな。だいたいさ、こないだ俺がそれ言ったら怒ったくせに」


「え? あ……はは」


 空太は苦笑いをして肩をすくめた。




「ああ、もうわかったよ。入ればいいんだろ」


 陸人は少々ヤケクソ気味になってきた。


「え? ホント?」


「俺もいい加減怒ったからな! くすぐり倒してやるから覚悟しろ」


「いいよー、受けて立つからね!」


 空太がうれしそうに言って右手のこぶしを握った。


「ほえ面かくなよ」


「あはは。なにそれ?」




「なんか決着したみたいだね。じゃあ行こうか、もうすぐ6時半になるし」


 あきれ顔で見ていた草一郎はそう言って、タオル類の入った行李を持って来て二人の前に置いた。


「いざ出陣だー!」


 空太がおどけた声を上げ、タオルを手に取って部屋を出た。


 陸人も無言で後に続いた。




 男湯ののれんの横には女将さんが約束してくれた通り、貸し切りの札がかかっていた。


「ぜいたくだよね。貸し切りって」


「無料でしてもらったからね。女将さんに感謝しなきゃ」


「そうだね」




 陸人は仏頂面で無言のまま、そそくさと脱衣場に入って行った。


「あれ、待ってよ山下君」


 そう言って空太も脱衣場についていった。




「くそ―、帯がほどけない……」


 陸人は浴衣の帯に悪戦苦闘していた。


「ボクも……」


「ああ、飾り結びにしちゃったからね」


 後から入ってきた草一郎が陸人の帯をほどくと、陸人は脱衣場の隅に行ってあっという間に裸になり、タオルを腰に巻いて浴場に駆け込んでいった。




「何あれ?」


 あきれる空太に草一郎が言った。


「年頃の男の子ってことでしょ」


「あはは、一ノ瀬君、おじさんみたいなこと言うね」


「ああ、時々言われる」


「そうなんだ。はは」


「じゃあ、俺たちも入りましょうか」


「うん」




 空太たちが浴場に入ると、陸人は広い湯舟の端で窓の外を向いてあごまで湯に浸かっていた。


 一年で一番日が長い季節だけに外はまだ明るく、只見川の支流と木々の緑が一面の窓の外にパノラマのように広がっていた。




「うわあ、この温泉、景色がいいんだね」


「ホントだね」


 空太と草一郎も体にお湯をかけ、湯舟に入った。


「山下くーん。ボクにほえ面かかせるんじゃないのー?」


 空太がいらずらっぽく、陸人を挑発した。


「う、うるさい!」


 陸人は空太の方を見ようとしない。


「じゃあさ、こっちから行くよ」


 そう言って空太は湯舟の中を歩いて陸人に近づいた。


「ば、ばか、こっち来るんじゃない!」


 湯が揺れるのを感じて陸人は慌てた。


「そんなこと言うともっと意地悪したくなっちゃうじゃん」


 空太は陸人の後ろから脇腹をくすぐった。


「うわっ、こら星野、こそばゆいって、やめて、はは、こらっ」


「ほら、やり返してみれば。あはは」


 体をよじりながら逃げようとする陸人を巧みに追い掛けて空太はくすぐり続けた。


「やめ、やめてってば、はは、くすぐったいから、やめて……」




「おーい、星野君!」


 頃合いを見て草一郎が声を掛けた。


「湯舟で遊んじゃダメだって言ったでしょ」


「はーい。ごめんなさい」


 空太がそう答えて振り向くと、陸人がお湯の中に沈んでいた。


「え? 山下君、え?……たいへんだ!」


 慌てる空太だったが……。


「ザバーン」


 陸人が突然立ち上がり、助け起こそうと前傾姿勢になっていた空太の頭を押してお湯につけた。


「くそ―!  お返しだからな。あったまきた」


 陸人はすぐ手を離し、空太は慌てて起き上がった。




「ぶはっ、ごほっごほっごほっ……ぷっ。ああもう、山下君ひどいよ、お湯飲んじゃったじゃん」


「あったり前だろ、天罰だよ!」


 湯に浸かって後ろを向いたままの陸人がぶっきらぼうに言った。


「あはは、ごめんね」


「謝っても許してやらないからな」


「はは、ホントは許してくれるくせに」


「許さん!」


「えー、マジで?」


「マジだ!」


「うう……ごめんなさい」


「ごめんで済むと思うなよ」


「う……山下君怖い」


「……もう、嘘だよ。今のでおあいこでいいから」


「ホント?」


「ああ……」


「良かったあ。またやり過ぎて嫌われちゃったかと思った」




「あのさ、星野君。やり過ぎだったと思うけど」


 草一郎がたしなめた。


「あ、はは。ごめんなさい……」


 そう言って空太はタオルを腰に巻き直し、湯舟のふちに腰掛けた。


 陸人は湯に浸かったまま後ろを向いている。




「でも山下君……これまではさ、なんか気を遣ってたよね、ボクに」


 少し間があり、空太は声のトーンを落として陸人に話しかけた。


「え? あ……まあそうかもだけど……」


「そうだよ。なんだかずっと女の子扱いだったし」


「それはさ、あんな恰好してたらしょうがないんじゃ……」


「だから、オレって言ってみたりしたのにさ」




「あれ?」


 裸の空太が後ろにいるのにドキドキしていないことに陸人は気付いた。


「ん? どうかした?」


 空太が聞いた。


「あ、いやなんでもない」


「ん? あやしいなあ。もしかして、オレの筋肉美に気付いた?」


「筋肉美?」


「ほら」


 そう言って空太はまたちっちゃな力こぶを作って見せた。


「腹筋だってシックスパックだぞ」


「え? いやむしろぷにぷになんじゃ……」


「あ、またバカにして。だいたい山下君、こっち見てないじゃんか!」


「はは、じゃあ、まあそういうことにしとくよ」


「くそー。でもボク、なかなか筋肉付かないんだよね」




「ま、その方が星野君らしくていいと思うよ」


 湯舟に浸かったままの草一郎が言った。


「そうかなあ」


「その方がかわいい服似合うでしょ」


「うーん、それはそうだけどさ」


「そうだよ」


「うん……」




「あー、それより山下さ」


 草一郎が今度は陸人に言った。


「タオルあっちに流れてるけど」


「え? あ……」


 陸人は慌ててタオルを取りに行った。


「うう……まずった」


「はは、いいじゃん減るもんじゃないし」


 空太が半分笑い声で陸人に声をかけた。


「くそ―!」


「あ、じゃあさ、おあいこでボクの……」


 空太は自分のタオルに手をかけた。


「うわああああ! 見せなくていいから!」


 陸人は慌ててまた後ろを向いて首まで湯に浸かった。




「あのさ」


 二人の様子を横目に、湯舟に浸かってゆったりと手足を伸ばしていた草一郎がやれやれといった感じで口を開いた。


「俺、さっきから素っ裸だし、ホントは湯舟にタオル付けちゃだめなんだからね」


 草一郎はタオルをたたんで頭の上に載せていた。


「あ、じゃあやっぱりボクも……」


「わああああっ!  と、取らなくていいから。今はお湯から出てるでしょ!」


「あはは、わかったよ。変なの、山下君」


「ふう……」


 陸人は湯に頭のてっぺんまで浸かり、ブクブクと泡を吐いた。




「さ、体洗おっかな」


 そう言って草一郎は立ち上がって洗い場に向かった。




「わーい。背中流しっこしようよ、山下君!」


 空太がほほ笑んだ。


「それ、どうしてもやるの?」


「やる!」


「もうくすぐらないよね?」


「しないよ」




 さっきから空太のやせっぽちの体がちらちら見えてもドキドキしなかったのに、いたずらっぽくほほ笑みかけてきた顔を見て、陸人はまた少しドキっとしていた。




「じゃあ、洗い場行こ」



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