第16話
「はい、これぐらいのサイズでいいかしら」
女将が女性用のLとMの草履を持ってきた。
「あ、はい。大丈夫です」
草一郎が草履を受け取り、部屋のカギを女将に渡した。
「ちょっと外で撮影してきます」
「ああ……」
そう言って女将はほほ笑んんだ。
「あ、ごめんなさい。お風呂の貸し切りの時間までには戻ってね」
「あ、そんなにはかかりませんたぶん。橋のところぐらいまでなんで」
「ああ、あそこ、車に気を付けてね」
「はい。お気遣いありがとうございます」
草一郎が頭を下げた。
「誰も来なければいいんだけど……」
旅館を出た陸人は気が気でない様子で周囲を見回した。
「たぶん女子三人に見えるだけだよ」
草一郎はそもそも人目を気にするたちではない。
「そうだよねえ、だいたい人いないし」
空太はちょっと残念そうだ。
「山下はさ、気にしすぎ。俺たちのことなんか誰も気にしないから」
草一郎にそう言われても、陸人はどうにも落ち着かない。
「それはそうかもだけど……」
緩い坂を下った先に、只見川に架かる赤い橋が見えてきた。
「うわあ、けっこう雄大だね」
只見川の流れと見渡す山並みに空太が声を上げた。
「なんか朝より晴れてきてるみたい」
雲間に青空ものぞいていた。
「この橋、歩道がないね。だから車に気を付けてって言ってたのか」
空太は先ほどの女将の言葉を思い出した。
「ああ、そうだね。車来ないうちに撮っちゃおうか。順光で撮るから、山下と星野は橋の右側で並んでくれるかな」
草一郎はそう言ったが、陸人は抵抗した。
「あのさ、星野と一ノ瀬が並んでるのを俺が撮れば……」
「だーめだって。部長命令だから、俺に撮れって」
草一郎が部長の言いつけに逆らうわけがない。
「うーん……」
困惑する陸人にはおかまいなしに、空太が草一郎に提案した。
「一ノ瀬君はさ、なんかかわいすぎだから、後でボクがスマホで撮っていい?」
「え? ああいいっすよ。かわいく撮ってくれるなら」
「そうだね。ボクも頑張らないとモデル、一ノ瀬君に取られちゃうかな」
空太がほほ笑んだ。
「はあ? それはないでしょ」
「あはは。さ、山下君、こっち来てよ」
空太が手招きした。
「あ、ああ……」
気のない返事をして、陸人は空太の隣に並んだ。
「腕組んじゃおっかな」
空太はそう言って陸人の左手を両手でつかみ、陸人が逃げられないようにした。
「ちょ……何!?」
陸人が慌てた。
「これもプロレス技?」
「違うよー。仲良しの女の子ってよくこうやって腕組んでるじゃん」
空太は屈託のない笑顔を陸人に向けた。ドキッとした陸人はあらぬ方を見て言った。
「……俺、女の子じゃないし」
「ボクだって男子だけど?」
「それはそうだけど……」
「もう! 細かいこと言わないの。かわいく撮ってもらうだけなんだから」
空太はますます陸人の左腕を強くつかんだ。
「はーい、じゃあ二人とも笑って」
カメラを構えた草一郎が指示を出した。空太はにっこり笑ったが、陸人はこわばった表情のままだ。
「あー、山下の顔が硬いなあ。ちゃんと美少女男子してくれないと」
「そんなこと言われても……」
陸人は情けない声を出した。
「あはは、くすぐっちゃおうかな」
そう言って空太は陸人の腰をくすぐった。
「あ、ばか、やめろって。あはは、くすぐったいって」
「お、今だ」
コンパクトカメラは無音のまま連写シャッターを切った。
「ああ! 今の撮ったの?」
陸人がちょっとむっとした声を上げた。
「そうだけど?」
草一郎はきょとんとしている。
「くそー。それならさ、お前らのツーショットも撮らせろよ」
「いいよー」
空太は調子よく右手を上げた。
「じゃあ、カメラはい。星野君、腕組もうか」
「うん、いいよ」
そう言って草一郎と空太は橋の欄干に寄り掛かって腕を組んだ。
「どうしたの山下君?」
固まっている陸人に空太が聞いた。
「あ、いや……」
まともに返事せず、陸人はシャッターを押した。
「ははーん。俺様がかわいすぎて言葉が出なくなったな」
草一郎がにやりとした。
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「はっはっは、ダテに旅館の息子をやってるわけじゃないぞ。女性客は見慣れてるからな」
「でもさ、一ノ瀬君、ホント浴衣似合いすぎだよね。今も歩き方とか、まんま女の人じゃん。ボクぜったい無理だもん」
「ああ、それもさ、草履も履くの慣れてるからね。男歩きにしてみようか?」
そう言って草一郎は、ガニ股になってどしどし歩いて見せた。
「あはは、ホントだ。なんか変だね」
「あ! 星野だってそういうふうに変って言うんじゃん」
まだ少し固まっていた陸人が空太へ逆襲に出た。
「あ、しまった……えーと、変じゃじゃないよー。どんな格好しててもさ、その人の個性だからね」
「ごまかすなよ」
「はは、怒った?」
「……怒らないよ……っていうか星野さ、俺のことさっきから挑発してない?」
「え? そんなことしないよ。そう思われちゃったとしたら……ごめん」
空太は少し目を伏せ、唇を噛んだ。
「そうだなあ、星野君。挑発っていうより、きょうは山下のことイジリ過ぎかなって思う」
草一郎も真面目な顔になってそう言った。
「うう……それはさ……ボク、山下君のこと……」
「え?」
陸人はまたドキッとした。
「あ、その……なんでもない。えーとね、朝、山下君と仲直りしたでしょ、それでさ、ちょっと調子に乗っちゃったかもしれないけど……ボク、山下君とも一ノ瀬君とも、もっと仲良くしたいだけだから」
空太が困り顔になった。
「……まあ、それなら」
陸人はそう言って収めようとしたのだが……。
「だからさ、後で温泉一緒に入ろうよ」
空太がいたずらっぽい笑顔になった。
「え? なんでそうなる?」
今度は陸人が困り顔になるしかない。
「だってさ、ボクだちだけの貸し切りにしてもらったんだよね、一ノ瀬君」
空太がまた調子に乗り出した。
「そうだね。あ、貸し切りだから、お風呂は多少ハメ外してもいいかな」
「やった。ボク泳いじゃおうかな!」
「あ、とそれはダメです」
「あはは、だよねー。お湯かけっこは?」
「それぐらいならいいです。あ、あと洗い場走るのも厳禁です」
「はは、それはそうだよね、危ないもんね」
「あと、湯舟にタオル入れるのもだめですよ、温泉は」
「そうだったね。マジで裸の付き合いだ。ね、山下君」
空太が陸人にほほ笑んだ。
「え? あ……俺はちょっとやめとこうかな……」
「あ、またそんなこと言ってる」
「え、と山下、温泉嫌いなの?」
草一郎が聞いた。
「ああ……まあ、そういうわけでは……」
「さっきだってボクの後に一人で入ってたし」
空太が思い出したように
「え? 一緒に入ってないんだ、さっき」
「そうだよ。まあ、さっきは他の人が来たらまずかったからしょうがなかったけどね。貸し切りなら気兼ねなく入れるじゃん。ありがとね、一ノ瀬君」
「あ、ああ、どういたしまして」
草一郎は当惑しつつ答えた。
「じゃあさ、決まりだね。三人で背中流しっこしよ」
空太がうれしそうにそう言ったが、陸人は言葉を出せず、目をキョロキョロさせるしかなかった。
「……」
「ま、そろそろ帰りましょうかね」
「うん。でもその前に一ノ瀬君の写真撮らせてよ」
「あ、そうでしたね。かわいく撮ってくださいよ」
「もちろん!」
そう言って空太はポーズを取る草一郎をスマホのカメラで撮影した。
「……」
二人の姿を陸人は焦点の定まらない目で見つめていた。
「山下君、どうしたの?」
容赦なく空太が声をかけた。
「あ……いや……大丈夫」
陸人はひきつった笑いでごまかした。
「それならいいけど」
「じゃあ、戻ろうか」
草一郎が言い、三人はさっき来た道を戻り始めた。
「あ、そうだ、温泉でフライングボディアタックやっっていい?」
空太はまだ調子に乗っている。
「はい、もちろんダメです」
草一郎がたしなめる。
「はは、そうだよね、じゃあさ、ラリア―トは?」
「ダメです」
「ううーん、じゃあコブラツイストは?」
「うーん、ギリギリいいか……」
「ダメです!」
陸人が声を上げた。
「あはは、山下君マジメだからなあ。ってことはさ、一緒に入ってくれるんだよね?」
「う……」
空太の誘導に引っ掛かった陸人は二の句が告げなかったが、少し間を置いて言い放った。
「……わかったよ! 入ればいいんだろ、入れば!」
もはや自暴自棄だ。
「やった! じゃあさ、長風呂競争しよっか?」
でも空太の暴走は止まらない。
「はい、それもダメですよ」
草一郎がクギを刺した。
「はーい。ごめんなさい。どうせボクが負けるからやりません!」
そう言って空太は小走りに前に出て振り返り、陸人と向き合ってにっこり笑った。
「な、何?」
「あはは、なんでもないよ。先行くね」
そう言って空太はくるりと再び前を向き、小走りで駆け出した。
「はああ……疲れる」
陸人はホッとして肩を落とした。
「なんかきょう、元気だね星野君。教室で前に見掛けた時とは別人みたいだよ。あれがホントの星野君なのかな。自由でいいよね」
草一郎が感心したように言った。
「そのせいで俺は……まあいいや。でもさ、さっきも言ったけど一ノ瀬だって相当自由だと思うけど。あれだけ部長一筋で人目も気にしないってある意味尊敬ものだよ」
「はは。でもまあ、振り向いてくれないからなあ」
「ま、気長に応援するよ」
「応援してくれるのは山下だけかもしれない……オレ、泣くわ」
「大袈裟だなあ。そんなことないと思うけど」
「あ、そうだ。山下って好きな人いないの?」
突然の振りに陸人はちょっと面食らった。
「え? 俺? ああ……まあ今のところはいないよ」
そう言って陸人は坂の先に視線を向けた。
「そうなんだ。まあ、好きな人できたら相談に乗るぜ」
「え? 部長に相手にしてもらえないお前に?」
「う……それだけは言わないで」
すいません。ここまでで一時中断します。再開まで少々お待ちください。