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第1話

 梅雨入り前の福島・会津盆地は蒸し暑い。それでも、天頂近くの雲間から顔を見せていた太陽が西へ傾き始めると、緑のにおいをまとった爽やかな風が吹き抜ける。


 終業のチャイムが鳴り、国語教師が教室を出て行った。福島県立会津三葉高校1年3組の教室に、わずかに西日が差し込み始めた。




「終わったー。星野、きょうは消しゴムありがと」




 窓際の前から2列目の席に座る山下陸人は、教科書やノートを鞄にしまおうとしていた前の席の星野空太に消しゴムを返しながら、そう声を掛けた。


「あ、うん……」


 空太はぼさぼさに伸ばした髪で顔が隠れ、ご丁寧に黒縁眼鏡にマスクまでかけていてほとんど顔が見えず、クラスでは存在感がきわめて薄い。


「星野ってさ、消しゴム余分に持って来てたり、そういうとこ、ほんとちゃんとしてるよな」


「え……そうかな」


「俺なんか小学生の時から忘れものばっかだし、きのうなんか寝坊して慌てて弁当も財布も家に忘れてきて夜まで腹ペコだったよ」


「そうだったんだ……」


 マスクの下の空太の顔が少し微笑んだような気がしたが、言葉は続かない。


 毎日ぼさぼさの長髪の後ろ姿を見ている陸人は、空太のことがどうも気になって声を掛けるのだが、いつも会話はぎくしゃくしてしまう。会話が途切れたところで、空太は鞄から筆箱を取り出し、返してもらった消しゴムを入れた。


「おーい山下。部長さまがお呼びだぞ。早く行こうぜ」


 廊下から声が飛んできた。声の主は一ノ瀬草一郎。陸人と同じ活動写真部に所属する隣のクラスの1年生だ。まあまあイケメンで、一部の女子には人気があるらしいが、本人はあまり自覚がない。


「あ、そうだ俺、掃除当番なんだ。遅れるって部長に謝っといて」


「ええ? 怒られるぞー」


「しゃーないでしょーが」


「あの、ボクも用があるから行くね」


「あ、そうなんだ」


「うん……」


 空太が少し笑みを浮かべたような気がしたが、やっぱり顔はよく見えなかった。




   ◇




 活動写真部の部室はぼろい。とはいえ、2年生で部長の川瀬日菜が去年、1年生の時にたった一人で立ち上げた部活だけに、古い建物の一角を使わせてもらえただけでも御の字というものだ。部の名前も日菜のこだわりだ。映画の古い名称だが、動画は「活動する写真」だという思いが込められているらしい。ゆくゆくは全国の鉄道や風景をカメラに収める映像作家になるのが彼女の夢だ。


 その部室で、日菜はたった2人の部員を前に唐突に宣言した。


「夏に向けての部の活動が決まりました」


 そう言って2人に見せたのは、15秒のCM風動画だった。少女がたたずむ駅にローカル線の2両編成の列車がゆっくりと入ってくる。少女の顔は見えないが、とても雰囲気がある映像に2人は見入った。遠くには会津のシンボル、磐梯山らしい山が見える。


「これって七日町駅?」


 陸人は当然見覚えがある。会津若松駅を起点とするJR只見線と第三セクター・会津鉄道の両方の列車が止まる学校近くの無人駅だ。


「さすがの映像にほれぼれします。ちなみになぜ駅名が『なのかまち』ではなくて『なぬかまち』なのかというとですね……」


 うんちくを語り始めた草一郎の言葉を無視して日菜が続けた。


「福島県が主催する動画コンテストの本選に出場することになりました。『鉄道×少女』のテーマで一次審査を通ったので、これから2人には校内でモデルの女子を探してもらいます」


「はああ? そんな勝手な……」


 父親がレンズメーカーに勤めていることもあって小さい頃からカメラが趣味で、野鳥や鉄道の撮影にいそしんできた陸人だが、人物撮影は苦手だ。つい声を上げてしまった。そこに草一郎が突っ込みを入れた。


「いや、モデルは部長が一番なのでは……」


「私はあくまでカ・ン・ト・クです。だいたいあなたたちが演出できないでしょ」


「えー、部長、こんなにお美しいのに……」


「お世辞はやめてね」


「うう……」


 ピシりとやられて落ち込む草一郎を横目に、陸人は机に置かれた書類を見つけた。


「福島県観光プロモーション・高校生動画コンテスト一次審査通過のお知らせ……ってマジですか。俺たちに何の相談もなく」


「まあ、鉄道なら、俺に任せとけですけどね」


 立ち直りの早い草一郎が得意げに口を挟んだ。彼は中学2年までに福島県内どころか東北中の全路線を制覇したバリバリの「乗り鉄」だ。


「そうね、一応は期待しておくけど」と日菜がほほ笑んだ。


「よしっ」


 草一郎は小さくこぶしを握ったのだが……。


「まあ、乗り鉄君よりも撮影スポットに関しては私の方が詳しいでしょうけどね」


 日菜にそう言われ、「うー」と再びうなだれた。


 無茶ぶりは陸人に飛んできた。


「それじゃあ、美少女探しは山下君に担当してもらおうかしら」


「へ? 何かいつの間にか『美少女』になってません? ってかムリムリムリムリ! 無理です! やっぱモデルは部長じゃだめなんですか?」


「だめです。部長命令です。学校一のかわいい女の子を探してもらいます」


「それは部長なのでは……」


「いーちーのーせーくん」


「はひ!」


 日菜は再び草一郎を黙らせた。


「どうしても探すんですか」


 陸人はまだ抗おうとする。


「どうしても」 


「ええー」


「ならぬことはならぬものです。ってね。あいづっこ宣言」


「もう、それはこっちのセリフですよお」


 抵抗を続けた陸人だったが、結局は「はあ……」とため息をつくしかなかった。


 日菜は言い出したら聞かない。一人で部を立ち上げたのもダテではなく、行動力は人一倍だ。しかも、6歳の時からカメラにいそしんできた腕はピカイチ。小学生の頃から数々の写真・動画コンテストで賞をものにしてきた。先ほどの動画でもそれは明らかで、陸人たちが逆立ちしても撮れそうもない。当然2人は頭が上がらず、言うことを聞くしかないのだ。


「ま、頑張って山下。その間に俺たちは撮影計画を立てましょう、部長。一押しはやっぱ只見線ですよね。世界的に有名な絶景スポットもいっぱいありますし」


 めげない草一郎の言葉に追い立てられるように陸人は部室を出た。


「探せって言ってもなあ」


 陸人はあてもなく校内をさまようしかなかった。


「いるわけないよ」


 グラウンドを見渡してため息をつき、窓に手をついた陸人の目に入ってきたのは、成績は常にトップクラス、運動神経抜群な上に背が高く、颯爽とした風貌で女子からも絶大な人気を集める生徒会長の星野森だ。


「彼女は確かに美人だけど、どっちかと言うとかっこいい方だよな」


 そうつぶやいた陸人だったが、隣に見たことのないかわいらしい生徒がいるのに気付いた。1年生だろうか。楽しそうに生徒会長と談笑しながら歩いている。


「あれ? あんな子いたっけ?」


 階段を駆け下り、体育館に続く渡り廊下に掛け出して、陸人は2人を追った。


「あの、待ってください、生徒会長とそこの……」


呼び止めに驚いて2人が振り向いた。


「誰ですかあなたは?」


 生徒会長の森のきつい口調に気おされた陸人だったが、ここでひるむわけにはいかない。息を切らしながらも声を絞り出した。


「あ、突然すいません、活動写真部の山下といいます。実はあの、うちの部で制作する動画のモデルになってもらいたいんですが。部長が、美、美少女を探せって言ってて……」


「何ですか唐突に。私は生徒会長ですよ。しかも、いきなり美少女とか言われても」


「いや、それは知ってますというか、あの、会長ではなくて、こちらの……」


「空?」


 一瞬戸惑った森だったが、すぐに何かをたくらむような表情になり、頬を緩めながら一緒にいる「少女」の方を向いて言った。


「それはなかなかいい考えね。モデルねえ」


「もう、やめてよ森ちゃん。モデルなんて無理だよ。ごめんね山下くん」


 陸人は突然自分の名前を言われて混乱したが、どこかで聞いたことがある声のような気がした。


「ところでこの子、男子だけど」


 森が言葉を続けた。


「え? 会長、今何て? てか君、何で俺の名前を?」


 陸人は激しく戸惑った。


「やだなあ、ボクだよ。前の席の星野空太。分からなかった?」


 とても長い時間に思えた一瞬の沈黙の後、陸人は思わず叫び声を上げた。


「ええええええええええええええええ!?」 

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