狐の嫁入り
「プロポーズの言葉はなんですか?」
結婚式で司会をしていた友人にそう問われ、僕はどうしたものかと冷や汗をかく。
この程度の質問なんて予想できていたのに、結局僕は何も言えなかった。
すると彼女が「はいはいはい!」とウエディングドレスを振り乱して子供のように手を上げて言った。
「私をお嫁さんにして連れていってよ。って、私から言いました!」
式場が歓声と黄色い声に包まれる。
「ははは……」
何一つ上手く出来ていない僕の乾いた笑いに彼女がニヤニヤ笑いながら小突いてきた。
「頼りないねぇ、旦那さま」
小声だ。
「ごめんって」
僕も小声で返す。
しかし、それでも情けないがこの状況にしり込みをしてしまっていた。
両親、友人、恩人、知人……集まった者達は皆、今、純粋に僕の事を祝福してくれている。
何せ、女っ気のなかった僕に突如気立ての良いお嫁さんが出来たのだから。
そりゃ、皆祝福してくれるだろう。
孫の顔を見るなんてとっくに諦めていた僕の母なんてもう既に大泣きだ。
友人なんか先ほど彼女の目の前であるにも関わらず下品な冗談を言ってきたくらいだ。
尤も結びの言葉は「こいつをよろしくお願いします」なんて心温まるようなものだったが。
「任せてよ!」
けたけたと笑いながら人懐っこく手を振っていた彼女は今も僕の隣に座っている。
少しずつ進行していく式をどこか他人事のように見つめていた僕の体を再び彼女が小突いた。
「今更後悔してんの?」
やはり小声だ。
「いや、後悔はしていない」
その気持ちは事実だったがどこか不安げに聞こえたか、彼女がぶっきらぼうに言う。
「諦めな」
ちらりと横目で見た彼女の顔は見事なほどに無垢な女性を演じている。
「私だってあんたで妥協しているんだ」
口の動きと出てきている言葉が全く一致していない。
いや、今この瞬間も彼女は式場に居る皆に声をかけながら、それと同時に僕だけに聞こえる声を出しているのだ。
「それにあんたの器量じゃ人間の女は無理。運動も勉強もコミュ力もない。そんな人間を誰が好きになるって言うんだい」
事実だ。
わざわざ言われなくともそんなこと分かっている。
だが、流石に面と向かって言われると腹が立つ。
「そんなダメ男に救われた死にぞこないが何を言っているんだ」
精一杯の反論のつもりだったが、彼女はさらりと言葉を返してきた。
「そんな死にぞこないに情を抱いた馬鹿が何を言っているんだい?」
ぐうの音も出ない。
「ま。百戦錬磨の私と女とまともに手を繋いだことさえないあんたじゃ勝負は元々見えていたようなもんだがね」
「僕は下心抜きに君を助けたんだけどね」
「ご立派。心だけ」
「性悪狐にピッタリだと思うけど」
憎まれ口を返しながら、僕は彼女と出会った日を思い出していた。
今更だが隣に座っている彼女は見事なほどに人間そっくりに化けているが人間ではない。
去年、僕が旅行をしている際に偶然見つけた死に瀕していた狐なのだ。
本人の言葉を信じるのであれば既に齢は三百を超えているらしい。
元々はとある神社で人と神を繋ぐ使者をしていたと言うのが本人の談だが、実際に何をしていたかと聞けばどう考えてもただの使い走りだったが。
使者にしろ、使い走りにしろ、何で神様の下に居た彼女が死にかけていたのか。
「社が取り壊された」
狐はそう話してくれた。
と言うより、それ以上を話してくれなかった。
この手の話にありがちな人間を恨むというような感情はないらしい。
「主様は寿命を全うした。だから、私は誰も恨まない」
それ以上の感情はない。
そう言い切る狐に僕は何も言うことは出来ず、その場を立ち去ろうとした。
「えっ、置いてくのかい?」
混乱する僕に対して狐はさらに言う。
「このまま置いていったら私、今度こそ確実に死ぬよ?」
正直に言えば考えてもいないリアクションだった。
この手の話はしれっと双方が別れて終わるのが常のはず。
僕は動揺しつつも「うちのアパートはペット禁止なんだ」と言うと狐は大きくため息をついて言った。
「なんだいその言い方。さてはあんた仕事出来ないだろ」
言い返せずに居ると狐はさらに言う。
「反論する度胸もなし。いや、そもそも言葉が浮かんでいないか? 頭の回転も鈍いのかい」
「うるさいな。普通の狐として生きてきゃいいだろ」
その言葉に狐は俯いて言った。
「あんたは辛い思い出が残る場所で独り生きていけるかい? もう周りに知り合いなんて誰も居ないし、そもそも話し相手になるような輩だって居ない場所で」
そう言われて僕も言葉に詰まってしまう。
「別にこれは当てつけに言っているんじゃない。助けてくれたことにはしっかり感謝しているさ。だが、正直に言えば私は助けてもらって途方に暮れているのさ」
「……ごめん」
「いや、構わんさ。あんたにとって何の得もない話だ。あんたが断るのも当然さ。それにペットを連れていけないってのもまぁ、仕方ない」
僕の心に罪悪感が浮かぶ。
死にかけの狐を見つけても、助けずに自然の摂理として見て見ぬふりをしていれば良かったのに。
僕が大した覚悟もなく気まぐれで助けてしまったから、今、こうして狐は苦しんでいる。
そう本気で後悔していると、不意に狐の姿が消えて変わりに一人の女性が現れた。
「だが、これでもうペットじゃない」
口をパクパクとしている僕に対して彼女はさらに言った。
「なぁ、私を嫁にしてこんな場所から連れて行っておくれよ」
そう言ってけらけらと笑う彼女を見て、昔話において人間が狐に出し抜かれ続けていた理由を僕は何となく察した。
元々人外を娶るような者達は僕みたいに何もかも受け身の人間だったのだろう……と。
そして、押しかけ女房のような形であれよあれよと二年もしない内に彼女は僕の妻となってしまったということだ。
僕らの間にあるのは妥協だ。
これははっきりと彼女に言われた。
「まさか、あんた種族を越えた愛なんて信じているのかい?」
その言葉は端的に僕と彼女の間にある決して縮まらない距離を表していた。
とはいえ、それは僕らが不仲であるという意味ではない。
彼女からすれば暮らす場所と退屈潰しの話し相手。
僕からすれば孤独に過ごしていた中で突如現れた人生の相方。
二年も共に暮らしていれば別れる機会など何度もあったし、事実その一歩手前にまで行ったこともある。
けれど、僕と彼女は今、こうして共に生きている。
いや、僕が彼女と共に生きることを願ったのだ。
式の二ヵ月前、僕は仕事から帰るなり彼女に思いの丈を伝えた。
「僕たちは別の生物。子供を作ることは出来ないし、きっと寿命さえも違う。それに、いつか後悔だってしてしまうかもしれない。だけどそれでも……」
先ほど友人に問われたプロポーズの言葉。
それは……。
彼女に小突かれて僕は我に返る。
式はまだ続いており、誰が楽しむのか全く分からない余興が始まっていた。
「なにぼけっとしてるの」
「ごめん」
僕の謝罪に彼女は視線と顔を退屈な出し物に向けながら言った。
「前に言っただろう。これからあんたは私と一緒に死ぬまで周りの人間を化かさなきゃいけないんだ」
「分かってるよ」
「ペットは捨てることが出来ても嫁さんはもう捨てることが出来ないんだからね」
今度は僕から彼女を小突く。
「僕がそんなことする人間に見えるの?」
珍しく彼女はバツの悪そうな声で答えた。
「悪かったよ」
しかし、彼女の言う通りだ。
彼女が僕の周りを化かし続けるように、僕もまたボロが出ないように人間達を化かし続けなければならない。
家族になるというのは他の何よりも彼女を大切にするということ。
それ以外の者達を騙し続けるなんて、全て覚悟の上だ。
僕は彼女を見習い友人達が必死に練習して来たであろう出し物を見つめていた。
すると再び彼女が僕を小突く。
「ねえ」
「なに?」
「もう一回、あれ言ってくれない?」
僕は思わず笑みを零していた。
「笑うなよ」
「ごめんごめん」
もう何度言ったか分からない。
だが、彼女は求めた数だけ彼女は不安を抱いている。
ならば、僕はその回数だけ彼女の不安を払拭してやる。
テーブルの下で手を伸ばし、彼女のそれと重ねてあの日伝えた言葉をもう一度言う。
「僕たちは別の生物。子供を作ることは出来ないし、きっと寿命さえも違う」
それは決して変わらない事実だ。
「それにいつか後悔だってしてしまうかもしれない」
彼女にしろ、僕にしろ、二度と外す事が出来ない楔をつける。
本来ならそんなことをしなくてもいいはずなんだ。
「それでも」
それでも、僕は言葉を楔にして彼女に伝える。
「一緒に生きてくれますか?」
僕が重ねていた掌を握り返し彼女が言う。
「こちらからお願いしたいくらいさ」
僕と彼女の間で交わされた細やかな言葉のやり取りは真実を知らずにはしゃぐ人々の声で掻き消され、僕ら二人以外には聞こえなかった。
それでいいのだと僕は思ったし、彼女もまたそう思ったに違いない。
「さて」
彼女はいつもの調子を取り戻して笑う。
「死ぬまで騙しきるよ。人間達を」
僕は笑って頷いた。
「言われなくともそのつもりさ」
式に集まった人々は僕ら二人に化かされることに気づきもせず、新たな夫婦の門出を祝い続けていた。