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虎の衣を借る狐  作者:
1/1

~~

 その日の放課後は、快晴な割に気温は高くなく、開け放たれた窓からは心地よい風が吹き込んでいた。それなのに、穂高(ほたか)は手に汗を握っている。

 今現在、クラスメイトが()けた教室に偶然想い人である女子と二人になっている。告白するにはいい日和、最高のタイミングだと思えば、次第に鼓動がどんどんとうるさく鳴り響き出した。背中にも汗が(にじ)み、今にも心臓が口から出てきそうだ。


 この時間はいつも通りなら、彼女はバイトに行くまでの時間潰しとして仲の良い女友達と一緒にいつも教室に残っていると穂高は知っていた。しかし今日はその女友達は病欠であり、穂高は帰るためのバスが1時間に1本という不便な場所に自宅がある為、いつも通りに教室で資格試験の勉強をして時間を潰していた。


 すう、と一度大きく息を吸って、ふうっと息を吐いた。

 勝算はないかもしれない。それでも早く気持ちを明かして少しでも近付きたかった。何せ、彼女に想いを寄せてる人間は自分だけではないと知っていた。

 檜山(ひやま)咲紗(ささ)の座る机の前に立つと、想い人は穂高を見て目を丸くした。耳からワイヤレスイヤホンを外す。その薄く柔らかそうな耳介が桃色なのに目がいく。


「佐々木君、どした?」

「今、ちょっと良い?」

「ん?良いぜー」


 相手はこちらの緊張に気付いてるのかは分からない。穂高はおどけるように笑いながら話を聞こうと見上げてくる咲紗の大きな目をじっと見つめた。

 糸目の自分と違って、この真ん丸の目なら視界の広さが違うんじゃないかと思う。この目には今どんな風に自分が写っているのか。


「俺、咲紗ちゃんが好きだ」

「お、おう。…ありがとな」


 これが告白というやつだと、気付いてくれてはいるだろうか。語調はいつも通り男っぽいが、目を逸らして照れくさそうに口元を手で隠していた。

 こちらの心臓はもはや早鐘のようで、顔の平静を保つのに必死で中々「付き合ってください」の一言が続けられない。妙な沈黙が続いたところで、咲紗が口を開いた。


「えっと、ちなみに自分のどういうとこが良いんだろ?佐々木君とはあんま喋ったことないよな」

「………可愛いとこ」


 女子を可愛いと褒めるのは初めてだった。思っていても中々出ない言葉なので、一瞬言葉に詰まってしまった。


「かわ…こんなんが?」

「うん。俺、咲紗ちゃん可愛いと思うよ」

「えええ?そーかー」


 二回目の“可愛い”はすっと出てきて良かった。

 咲紗が言わんとしていることは分かっている。彼女はいつも男物と分かるオーバーサイズのシャツやトレーナーを着ていた。しかしそのだぼっとした服から覗く白い華奢な首筋を見るのが穂高は好きだと思うが、気持ち悪いと思われそうなのでそれは言わない。


「もしかしてやっぱり彼氏いるの?」

「や、いないっすね」

「それとも男避けにメンズもの着てるの?」

「や、避けてないっす」

「男になりたいとか?」

「や、中条あ〇みみたいになりたい」


 自分にないものを求めているのか、身長や鼻の高さが圧倒的に足りていないだろうとは思うがそれも言わない。


「俺が好きだと迷惑?」

「迷惑じゃないっすけど、自分オンナノコっぽくないし」

「そう?お化粧も髪の毛もきれいにしてるし似合ってるよ」

「でもこれ、ガッコ来てからやってるし。佐々木君いつも早く来てるし、自分がいつも朝来た時はスッピンで髪の毛テキトーなの知ってるでしょ」


 咲紗と穂高のどちらが早いとは決まっていなかったけれど、2人とも毎朝20分ほど早く来る。もっと早く来ているクラスメイトがいるので毎朝教室に2人きりということはない。

 咲紗は確かに、朝は髪を下ろしたり一つに纏めただけでキャップを目深に被って来ている事が多い。それが15分ほどで頭の両サイドでお団子や三つ編みになり、顔が色付いているのを確認するのは密かな楽しみだった。


「学校でやってると駄目なの?スッピンも髪下ろしてるのも可愛いと思うよ」

「や、そーじゃなくて。ふつー家でやってこいとか思うんじゃないの」


それが女子の普通なのか世間の普通なのかは穂高には分からない。


「よく分かんないけど、咲紗ちゃんってお家この辺だって聞いたよ。家出る時間は余裕あるのに理由があってわざわざ早く来てやってるんでしょ?」

「んー…まぁ、そう」


姉がいる穂高には男の自分の身支度とは違うのだろうと分かる。それをする場所を学校に選んでいるということを批難する程穂高はマナー論みたいなものを知っている訳ではない。


「…言葉遣いだって男っぽくて可愛くない自覚はあんだけど」

「声高くて可愛いと思うし、気になんない」

「ぅおお…。そんなん言われたら照れる」


 わざと照れを誤魔化すようにおどけて言う姿は、やっぱり可愛いと思う。今まで何かのきっかけで複数人で会話をする中でしかそういうところを見てこなかったが、1対1で目の前にいる咲紗はやっぱり可愛い。

 クラスの男子に密かに人気があるのを彼女はきっと知らないのだろう。


「俺は、咲紗ちゃんが男っぽいカッコして男っぽい喋り方してても可愛いとしか思えないし。

…その、良かったら俺と付き合ってください」


噛まずに言えただけ自分を褒めたい。しかし彼女は何か物言いたげに口を開き、言葉を飲み込むように唇を結び、また戸惑いながらも口を開いた。


「あの、自分このカッコやめられないんだ。

あー…っと、別に誰かに強制されてる訳じゃないんだけど」

「ん?…うん」

「自分、お兄ちゃんがいてさ、いてって言ってもいないんだけど」


 少し気まずそうに言うのは、こちらの申し出を断りたい意図があるからだろうか。フラれるにしても話はしっかり聞こうと、穂高はまっすぐに咲紗を見つめた。


「…お兄ちゃん、10年前に死んでるから、もういないんだけど」

「うん」


 咲紗は普段明るく、ガサツに見える素振りとは全く違う寂しげな表情をしていた。断るためだとしても、こちらに対して真摯に向き合いたいのはよく分かる。

咲紗の前の席を拝借しそこに座り込むと、咲紗は一瞬面食らったような顔をしたが言葉を続けた。


「うちはお父さん自分が小さい時死んでて、歳離れたお兄ちゃんが事故に巻き込まれて死んだ時、お母さん立ち直れないんじゃないかってくらい落ち込んでてさ。

お兄ちゃんのものぜーんぶ捨てられなくて、それこそ小さいゴミとかお兄ちゃんが使ってた勉強道具とか、本とか、服まで全部。

お兄ちゃんの気配が消えそうな気がするって家の中のものも全部動かせなくてさ。

思い出のもの見てたら自分が迎えに行っててやればって後悔して落ち込むのに、捨てられないことや変えられないことでも余計に落ち込んでさ。もう、どうしようもなかったんだ。

だから、自分がお兄ちゃんのもの使ったりしてたらお母さん喜んでて。そしたらそれが当たり前になっちった」

「うん」


 咲紗の視線が今着ている服に向いた。つまり、いつも着ている服はその亡くなった兄のものということなのだろう。


「自分が大きくなって、お兄ちゃんが小学生ん時の服とか着られるようになったら“あんたも大きくなったね”って喜んでくれたから、お兄ちゃんの服をいつも着るようになってさ。

別にお母さんだけのためじゃなくて、自分もお兄ちゃんいっぱい遊んでくれたし大好きだったから忘れたくない気持ちもあんだけど。

お兄ちゃん身長高くて、20歳で死ぬ頃には190くらいあったんだよね。頭金髪だしイカツイしで虎みたいでさ。

自分も来年には20歳になってお兄ちゃんの歳追い越しそうだし、身長もうとっくに止まってるからお兄ちゃんが死んだ頃に着てた服はもう多分着られないんだけど。

なんて言うんだろ。お兄ちゃんの分補いたいけど補えなくなってる感じ?」

「うん、なんとなく分かる」


 小柄な咲紗の身長は155cmあるかないかくらいだろう。確かに190cmの男物を着るのは難しいかもしれない。


「お母さん今はすげー元気だし、別にそんなカッコしなくて良いよとか、女の子らしく喋れとは言うんだけどさ。なんて言うか…こういうカッコやめられないのは、意地じゃないし、信念でもないし、…どちらかと言えば惰性な気もすんだけど」


 咲紗は言葉を探して言い淀んでいた。


「良いと思うよ。咲紗ちゃんがお母さんやお兄さんのこと思ってやってきたこと、無理に理由つけてやめる必要はないと俺は思う」

「お、おぉ。…ありがと」


 咲紗が少し目を潤ませながら笑う姿が健気に見えて、不謹慎ながらそれがまた愛しいと感じた。

 男物を着て男っぽく振る舞うことを母親のせいにしたくないのだろう。それでも、化粧や髪を整えることを家でしないのは、母親から隠れて女の子っぽさを見せないようにしていると穂高は感じた。しかしその男っぽさと女の子っぽさがちぐはぐなのが咲紗の魅力の一部だとさえ思う。


(むしろ今の咲紗の姿に惚れた俺からすれば、可愛いんだから今のままで良いだろうとしか思えないんだけど…自己中すぎるかな)


 多分、本人の中では大きな葛藤の中で止めるに止められないでいるのだ。それを鑑みた上で自分は彼女に何をしてあげられるだろうか。


「……」

「……」


 断られる訳でもなく感謝で終わってしまった会話の後で、ただ続く沈黙の中最善の提案を穂高は模索していた。この場を何となく後にしてしまえば確実に明日会う時が気まずくなってしまう。

 咲紗も同じようにどうしたものかと迷っていると感じた。


「えーっと…」

「あのさ、咲紗ちゃんが女の子っぽいカッコしたくなったら俺がお兄さんの服着るよ。180はあるし、っても俺ももうこれ以上伸びないかもだし190cmの人の服はジャストサイズでは着られないかもしんないけど。

友達にあげることにしたってなれば、お母さんや咲紗ちゃんの気は少しでも晴れないかな」

「えっ?佐々木君が着んの?」

「あ、やっぱだめ?」


(我ながら陳腐な申し出だよな。ぽっと出のクラスメイトが着てるのを見て晴れる気はないだろな)


せめて笑い飛ばしてくれたらと穂高は思うが、咲紗は唖然としていた。


「その…」

「うん」


これはお断りコースだろうと、そう思った。


「ほんとに着る?佐々木くんの服とシュミ違うし」

「ライブTシャツとか着てみたいと思ってたし……取り敢えず、男友達からでいかがですか」


これは嘘だった。グッズはタオル以外買うことはないし、別に着てみたいなんて思ったこともない。今は亡き虎のようなお兄さんには悪いが咲紗が着た服を着たいという気持ちが若干あるくらいだ。

 お友達からお願いしますなんて常套句、好意が分かっている相手とただ友達付き合いなんて無理だろうと思っていたが、いざこういう時になれば自分から言わざるを得ない時もあると分かった。それはつまり、どうにかして食い下がろうという立場になれば、ハードルを下げてもらいたくもなるということだ。

 相手にお友達からと言われたなら、正式な断りは保留にしようと言うことなのだからその後頑張るしかないだろう。

 咲紗の反応を伺うと、考えるように斜め上を見てから、視線をこちらに戻した。


「お兄ちゃんの服誰かにあげることにしたってお母さんに言うなら、ただの男友達にってのは若干気まずい」


(そりゃそうだよな)


 そもそも提案がおかしかった。せめて友達という下げたハードルも今の己では越えられないのだろう。まずは存在を認識したクラスメイトからといったところか。


「…なので、彼氏でお願いします」

「え!?良いんですか!?」

「え?やっぱり嫌?亡くなった身内の遺品お下がりとか重すぎよな。そこは無しで良いですよ」


焦ったようにほっぺたを手で押さえ、唇を一文字にする仕草が可愛すぎる。


「いや、全然嫌じゃない。嫌じゃないです」

「なら良いけど…つか、さっきからなんでデスマスになってんだうちら」

「そりゃ、照れるような話してるからでしょ」

「ふはは、ちげーねえな」


 隠した頬を赤くして笑う咲紗はやっぱりどう見ても可愛い女の子としか思えなかった。

必死に抑えていた感情が溢れ出す。喜びが頬をだらしなく緩ませそうになのを堪えると、自分の顔がおかしなことになっている気がした。


「じゃあ、お付き合いということでいい?」

「おう、いいよー」


 お互いに照れ臭さを笑いで誤魔化していたと思う。

 今まで接してきた中で一番顔が近い。吹き込んだ風がさらさらと咲紗の明るいモーブブラウンの髪を揺らしている。

 何となく、咲紗のまっすぐで艶やかな髪に触れたくなった。姉以外の女子の髪に触るのは初めてだった。

 風に遊ばれた髪を耳にかけると、咲紗はまつ毛を伏せた。











 その男子は、身長が高いために咲紗の視界で存在を主張しているように感じていた。

 佐々木穂高という名の通り山のようだ。かつて死んだ兄に対しても同じように思っていたことを思い出す。

 清潔感のあるシャツから覗く骨ばった腕がいかにもオトコっぽい。その大きな背に見ているのが、死んだ兄の面影なのか同年代の男子に対する憧憬なのか咲紗には区別が付かなかった。

 ただ、筋肉質で大きいために「虎」とあだ名される兄に対して、佐々木は細身でイラストの狐を思わせる糸目だったので心の中で「狐くん」と呼んでいた。

 佐々木とは出席番号が遠い上に属するグループも違っていて、接点がまるでなかった。たまに話しかけているのを見る女子は色気のある大人っぽいタイプの子ばかりなので、彼は咲紗とは違う部類のオンナノコが好きなのだろうと思った。


 朝から放課まで一番長く同じ空間にいるので話をしてみたいと思わないではなかったけれど、自分から話しかけるような会話の糸口はなく、たまに何かのタイミングで話すことはあっても相手を知れるようなものではなかった。

 居るとは知りつつも積極的に関われる訳ではなく、それでいて存在があることが意識の端から離れることはないという、そんな相手だった。

 どうした訳だか、相手も同じように咲紗の存在を気にしてくれていたようだ。好きだ可愛いと言われ、自分の行動を許してもらった気がした。気が緩んで、聞かれてもないのに自分の話をあれこれ沢山してしまったことを後から気恥しく思う。

兄のことは置いておいたとしても、自分に女性的な魅力がない自覚はあったし、抗う努力をしない言い訳だとも気づいていた。それでも、佐々木は咲紗が好きだと言ってくれた。

 自分のことを知って欲しいとまでは言わないけれど、佐々木を知りたいと思っていた。仲の良い友達にとまではいかなくても、クラスメイトとして気軽に話せるようになりたいと今朝までは思っていた。


(一足飛びに、カレシにしちったな)


 本当に良かったのかと咲紗は思う。入学から今まで会話は本当に数えるほどしかなく、以前から気になっていたと言い出せないほどに咲紗は佐々木を知らなかった。気になりだした理由も笑うと消える目がなんだか可愛いと思っていただけだ。

 佐々木が自分のことを、他のクラスメイトがするように下の名前にちゃん付けで呼んいるなんて知らなかった。

 相手にとっても大体同じようなものだろうと思えば、彼が言った常套句通りに「オトモダチから始める」方が良かった気もする。


 佐々木が言うには、咲紗はそれなりに男子に人気があり、ただそこにいるだけのクラスメイトの関係をさっさと壊したくて焦っていたらしい。

 ほぼ女子としか絡まない自分に気があるというほかの男子とやらに心当たりはまるでないので、焦らなくても良かったんじゃないだろうか。ずっと硬派なタイプだと思っていた佐々木がそんなに女子と付き合うのに必死になるものなのかと不思議でならない。

 告白の後の帰り道で、横に並んで歩いている佐々木をちらりと見ると相手もじっと咲紗を見ていて、心臓が跳ね上がる。


「ごめん、可愛いし嬉しくて見ちゃってる」

「いや、可愛くはない」


 照れを隠して苦笑いをしてみるけれど、佐々木はにこにこと細い目を糸のようにして嬉しそうに笑っている。目が合って話すことなんてなかったのに。


(彼氏とはこんなに降って湧いたようにできるものだったのか) 


 このこそばゆさは未知の感覚だ。胸がさわさわと落ち着かない。

 少し夕暮れが早くなった空の下、橙がかった陽光に明るく染められた佐々木の髪が揺れている。


(彼女という立場になる心構えができてなかったな)


 目を細めて“彼氏”を見ていると、また目が合った。


「ところで咲紗ちゃん、今日バイトは?」


 咲紗は内心でぎくりとしつつ、平静を装った。気まずさから目を泳がせた。


「…今日は店長の用事があって休み」

「休み?なんで今日は残ってたの?」

「な、何となく?」


 “今日はいつも居る友達がいないから佐々木君と二人きりになる気がして残った”そう言ったならどういう反応をするだろうか。咲紗は口には出せなかった。

 もう少し親しくなったら言ってみようと思う。




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