浮気の証拠(3)
ある程度二人から離れると、サリュ殿下が立ち止まった。
「ずっと聞きたかったんだけど。あんたはさ、自分の婚約者が裏切っているかもなんて、嫌じゃないのか?」
サリュ殿下がぽつりと問いかけてきた。今までのからかうような雰囲気ではなく、真剣な声音だった。
「もちろん嫌に決まっています。でも、自分に心が向いていないのを承知で一生を共にするかと思うと、それはそれで嫌だなとも思うのです。だから我慢して一緒にいるくらいだったら、一緒になる前に言って欲しい」
「……ふーん」
どこか納得のいかないような不満げな相槌だ。
「サリュ殿下。お互いに愛のない政略結婚でも、最低限の誠意は必要だと思いますよ」
「お互い……あんたは兄上のこと好きなんじゃないのか?」
サリュ殿下がハッと目を見開いた。
そんなに過剰反応するところだろうか。びっくりするではないか。
「いえ、シベリウス殿下に恋愛感情は持ち合わせていませんね」
「だが先ほどから面白くなさそうな、ふてくされた表情をしてる。それは兄上に対する嫉妬ではないのか」
確かにもやもやイライラした。
でもそれは、純粋に心を通わせている二人がどうして結ばれないのだろうか、と思ってしまったからだ。
もちろん、お互いに婚約者がいる身なので罪になるのは頭では分かっている。でも、怒る権利を持っている私が、そう思ってしまったのだ。
きっと、あの二人の恋心にあてられて、同情してしまったのだろう。
「嫉妬ではなく、友人のような、戦友のような、そんな情ならあります。だから、何だか可哀想に思えてしまって」
「そう……なのか。恋愛の感情ではないのか」
サリュ殿下が目に見えて安堵しているのだが何故だろう。
「それにですね、シベリウス殿下もきっと悩んでいると思うのです。あの方は根が真面目ですから、婚約者である私と結婚しなくてはならないと分かっている。でも、心がエリサ様に惹かれ始めてしまった。頭ではいけないと分かっていても心がエリサ様に揺れてしまう状態なのです」
だからこそ、シベリウス殿下はぎりぎりまで国のために私と結婚しようとしていたのだろう。でも、結局はエリサ様を想う心を抑えきれず駆け落ちしたのだと想像がつく。
真面目だからこそ自分の気持ちを誤魔化せない不器用な人なのだ。白か黒かどちらかしかありえなくて、灰色は受け入れられないのだろう。
まぁだからと言って、私がそれを許せるかどうかは別問題だ。前回のようなことになるのだけは勘弁したい。だからこそ、ここはさっさとエリサ様を好きだと認めさせて私との婚約は破棄してもらわないと。
「じゃあさ、あんたは自分のためにも兄上のためにも、婚約が白紙に戻ってもいいって本気で考えてるのか?」
サリュ殿下は真っ直ぐな眼差しで私を射抜いてくる。
その真剣さに思わず気圧されそうになるが、ぐっと己を保つ。ここで怯んでいてはいけない。サリュ殿下には私の心意気を知っていてもらわなければ。だって私と彼は今同じ立場にいるのだから。
「はい。シベリウス殿下に好きな人が、それもすぐ側にいるエリサ様なのだと分かっていて、政略結婚とはいえ割り切れますか? 私は無理です」
「……」
「今だったらまだ間に合います。結婚後だとしたら流石に我慢するしかありませんし」
「そうだな、国王と王妃が離婚だなんて外聞が悪すぎる」
「そうです。それにエリサ様であれば王妃として身分も申し分ありませんし、何より愛があります。きっとシベリウス殿下をお支え出来ると思うのです」
「それがあんたの、ユスティーナの気持ちなんだな」
あっ……初めて私の名を呼んだ。
今まで『あんた』とか『お前』だっただけに、なんだか認められたような気分だ。
「はい」
「ならば尊重しよう。俺も概ね同意だ」
サリュ殿下は踵を返すと、つかつかともみの木の二人の方へと戻って行ってしまう。
はっ? 何をする気?!
私は冷や汗を垂らしながらサリュ殿下の背中を追いかける。そして、少し離れた場所で身を隠すように立ち止まった。愛を語り合う二人の前に出て行く勇気は私にはなかったから。
サリュ殿下はためらうことなく、二人の前へと出て行き、右手をまげて軽く会釈をした。
「歓談中に失礼します」
「ど、どうした?」
サリュ殿下とシベリウス殿下の声が聞こえてくる。
やましい気持ちがあるせいか、シベリウス殿下の声が慌てているように感じた。
サリュ殿下がエリサ様の方に向き直る。そして頭を下げた。
「エリサ殿、申し訳ないが婚約を解消したい」
「えっ、サリュ殿下、急にいかがされたのです」
エリサ様の驚いたような声がするが、私も驚きだ。私が言い出すならまだしも、あのサリュ殿下が言い出すなんてどういうことだ。駆け落ちのせいで闇堕ちしたくらいエリサ様のことが好きだったんじゃないのか?
「急ではないし、ずっと考えていた。今踏ん切りがついたところだ。それに、エリサ殿もその方がいいのでは?」
サリュ殿下はシベリウス殿下の方を見た。
シベリウス殿下とエリサ様は気まずそうに顔を見合わせている。
サリュ殿下は続けて言った。
「ですから兄上も、ユスティーナ殿との婚約を白紙に戻していただきたい」
もしかして、私の話を聞いてこんなことを?
闇堕ち王子と憤っていたけれど、それは環境のせいで、もともとのサリュ殿下は優しい方なのかもしれない。ちょっと口は悪いし柄も悪いけれど。
「し、しかし、これは僕達の独断で決められることではないだろう」
「でも、兄上はユスティーナ殿よりもエリサ殿と人生を歩みたいとお思いなのでしょう? 永遠に結ばれるという噂のあるここに、二人で、しかも誰もいない早朝を狙って来ているのですから」
「うぐっ、それは……もし仮に思っていたとしても口に出してはいけないことだ」
あきれたもんだ。口に出さなくても、二人きりでここに来たことを突きつけられた時点でもう観念すべきだろう。あれ、シベリウス殿下ってこんなに頭悪そうな人だったっけ? これが世間でよく言われている『恋は盲目、人を駄目にする』ってやつ?
「さようですか。ですが、俺はエリサ殿との婚約は破棄します。彼女は素晴らしい女性ですから、すぐに新たな婚約者が名乗りでるでしょうね。でも残念、兄上はユスティーナ殿という婚約者がいるので手も足も出ない」
サリュ殿下が煽っている。とても楽しそうだ。逆にシベリウス殿下は絶句したまま、どんどん真っ青になっていくけれど。
「兄上。俺は婚約破棄のことを伝えに父上のところへ向かいます。この時間でしたら公務が始まる前に会えますからね。では、お先に失礼します」
慇懃無礼な様子でサリュ殿下は頭を下げると、シベリウス殿下に背中を向けた。
そのときだった。
「待ってくれ!」
ついにシベリウス殿下が陥落した瞬間だ。
サリュ殿下がにやりと笑ったのが見えた。