浮気の証拠(1)
イレーネから悪女になるのは無理だと言い切られてしまったうえ、自分でもどうしたら悪女になれるのか分からなかったので、悪女作戦は捨てることにした。
浮気の証拠を見つけて、堂々と婚約破棄をせまろう作戦に変更だ。
本日も午前の授業が終わった。これからお昼の時間だが、ここ数日はエリサ様の姿が教室にも食堂にも見つけられない。以前エリサ様がお昼をともにしていた子達に聞くと、用事があるから一人で食べると言われたそうだ。
これは、かなり怪しいのではないだろうか。
私は今日こそはと意気込んで、エリサ様の後を尾行した。
一定の距離を開けつつ、そおっとついていくと、旧校舎の方へ行くでは無いか。旧校舎など生徒はほとんど用がないため寄りつかない。こっそりと人と会うにはぴったりの場所だろう。
そして、エリサ様の足は蔦の絡まった東屋の前で止まった。
「いたわ」
私は木の陰に身を隠しながらつぶやいた。
すると、それの呼応するように耳元で声が聞こえた。
「そうだな。あれは兄上だな」
「え、だ――――」
「大声出すな、バレるだろ」
思わず出そうになった悲鳴は、褐色の肌を持つ人物に止められた。
そう、私の口を遠慮無しにバンっと手で塞いできたのはサリュ殿下だ。
こんな場所で会うだなんて、サリュ殿下もエリサ様の様子には思うところがあったということか。きっと私と同じように後をつけてきたのだろう。
もう大声は出さないとジェスチャーで伝えると、サリュ殿下は手を離してくれた。
「あんた、のぞきとか悪趣味だな」
サリュ殿下がさげすんだ目で見てくる。
え、私が悪いの? まぁ確かに後つけるのも、のぞき見するのも良くないけれど。でも、こんな風にこっそり二人で会っているあの二人だって悪趣味ではないか?
「サリュ殿下こそ、どうしてこんなところに?」
「あんたが挙動不審だったからついてきただけだ」
何か予想と違った。
エリサ様をつけてきたのではなく、私が怪しいからつけてきたとか……うそ、私のせいでエリサ様の浮気場面を目撃させちゃったの?
「なんというか、私のせいですみません」
「謝罪? 何故?」
「だってエリサ様のこと、信じていらっしゃったのでしょう?」
信じていたからこそ、前の時はあんなに闇落ちしたのでは無いか。
「あぁ、そういうこと。じゃあ何、兄上がエリサと会っているのはあんたのせいってことか」
「いえ、違いますけど。ん? いや違わないのか?」
「どっちだよ」
サリュ殿下がくすっと笑った。
あ、そんな風に笑うの初めて見たかも。常に厳しい表情を浮かべていた印象しかなかったから、驚いて少々心臓がうるさい。
婚約破棄してほしくて、シベリウス殿下に幻滅されるような態度をしばらく取っていたから。あながち違うとも言い切れなかった。
でも、私はそう言う意味で謝ったのでは無い。
「私の行動が怪しくて目についてしまったから、です。そうでなければ、サリュ殿下がこの場に来ることは無かったから」
「あぁ、そういう意味ね。でもまぁ、あの二人は何を考えてるんだか」
サリュ殿下は感情の読めない表情で、二人を見つめていた。
悲しんでいるのか、裏切られたと怒っているのか、はたまたエリサ様を取り返そうと奮起しているのか。
私には判別することが出来なかった。
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翌日も、それ以降の日も、エリサ様を尾行するとほぼサリュ殿下と遭遇した。
「お前また見てるのかよ」
「そういうサリュ殿下こそ、お暇なのですか?」
「別にぃ、婚約者の浮気をのぞき見てる変な奴を見に来ただけだし」
にやっと意地悪く笑って私を見てくる。
「……それは誰のことでしょうか」
あえて素知らぬ顔を浮かべた。
「きょろきょろすんな、お前以外に誰がいるんだよ」
「いたっ」
サリュ殿下にピンとおでこを指ではじかれて、思わず声が出てしまった。
本当に王子殿下なのだろうか、柄が悪い。暴力反対! ちょっとした冗談なのに。それに婚約者の浮気をのぞき見てるのはあなたも同類では??と思うのだが。
でもここでそれを指摘する勇気はなかった。だって、またおでこをはじかれかねないから。
「それより、あの二人、恋人の距離感だと思いませんか?」
「まぁ近いな」
エリサ様に駆け落ちされて闇堕ちしたくせに、あっさりすぎる反応である。
「キスとかしてくだされば証拠になるのに」
「……お前、浮気の証拠を見つけたいのか? 浮気してない証拠じゃなくて?」
サリュ殿下が不思議そうに首を傾げている。
あぁそうか。サリュ殿下はまだ浮気だと本心では信じてないから、余裕ぶっているに違いない。
よし、ここで少し心の準備をさせよう。サリュ殿下の心のケアを怠っては闇堕ちしてしまうかもしれないのだから。
おそらく、前回は駆け落ちされたときに浮気されたと気付いたから驚いたのだ。事前にもしやと思っていれば、いざ浮気を知ったときに少しは衝撃も和らぐはず。
「コホン。良いですか、サリュ殿下。人の心とはままならぬもの。いけないと分かっていても求めてしまうものなのですよ」
「急に謎ポエム? お前って話すとちょっと印象変わるよな」
「えっ、どのようにです?」
サリュ殿下と話すようになって、彼の中の私の印象が変わったとは。
もし仮に、前回の時も今のように交流していたら、あの追放は回避出来ていたのだろうか……。今となっては分からないけれど。
「すました優等生から変なやつへ」
それは素直に喜べないなと苦笑いするしかない。
ちなみにサリュ殿下は不安定な立場ゆえに気難しい性格だが、それは彼の母親が異国出身なことが関係している。
現王妃が異国を毛嫌いしているからだ。純血主義者とでもいったら分かりやすいだろうか。そのせいでサリュ殿下の母親は王妃に辛く当たられて心を病み、療養のために国へ帰った。つまり、サリュ殿下は一人で城に残されたのだ。
サリュ殿下の母親とて、離れて暮らすのは嫌だったろう。だが、王の血をひく王子を国外に連れて行くなど出来ず、かといってこのままこの国に残れば心を病みつくしてしまう。泣く泣くサリュ殿下を置いて帰国したに違いない。
ちなみにこの国には王子があと二人、第四王子までいるが、他の王子にはきちんとした後ろ盾がある。母方の親族がしっかりと支えてくれるものなのだが、サリュ殿下の母親は異国から嫁いできたためにサリュ殿下の後ろ盾となる親族もこの国にはいない。彼は心だけでなく、立場も孤独なのだ。
だからこそ、彼は自衛の意識が高く、とがったナイフ、または手負いの獣とでも言うような性格をしていた。
後ろ盾がないから頼れるのは兄であるシベリウス殿下だけ。
第一王子は皇位継承権一位でサリュ殿下を蹴落とす必要が無い。でも、第三王子と第四王子からしたら第二王子のサリュ殿下は蹴落としたい相手。
つまり、シベリウス殿下だけが唯一信頼できる相手だったのだ。