目指せ婚約破棄(3)
三日後の新入生歓迎パーティーの当日、私はしょんぼりしながら学園の大広間にいた。何故ならば、張り切ったニーナに押し負けて立派にドレスアップさせられてしまったのだ。地味なドレスで失笑を買おうと思っていたのに、とんだ誤算だ。
あたりを見渡すと、学園内に婚約者がいる子達はエスコートされている。私はというと、一人でこの場にいた。シベリウス殿下は王族としての公務があるらしく、ギリギリの到着になるらしいのだ。
だが、一人でいてもさほど浮いてはいない……と思っている。婚約者がこの学園にいない子も多いし、そもそも貴族だとしても姉妹が多かったり爵位が低かったりすると、婚約者がいないことも多いのだ。
「おい」
このペットでも呼ぶかのような声は、サリュ殿下だ。ここ数日ですっかり慣れてしまった。
「あ、あの、サリュ殿下。ユスティーナ様に失礼では……あっ、すみません。なんでもないんです」
そして消え入りそうなボリュームの可愛らしい声がした。サリュ殿下の婚約者であるエリサ様だ。そして、シベリウス殿下と駆け落ちした人物でもある。
正直、どんな心境で相対して良いのか分からないが、今の彼女には関係のないことだと思うようにしよう。
どうやらサリュ殿下が私に向かって「おい」と偉そうに呼んだので、それを彼女がたしなめようとしたが、じろりと睨まれたので謝ったという流れらしい。
エリサ様はほっそりとした儚げな美少女だ。ミステリアスなサリュ殿下と並ぶと、美男美女で肖像画として飾っておきたいくらいお似合いだなと思った。なんでこのまま結婚までたどり着けなかったのだろうか。謎である。
前回の時は、サリュ殿下同様にエリサ様ともあまり深い交流はなかった。さすがに同い年で一緒の学園に通っていたから、話すことはあったけれど。でも、表面上の付き合いに始終していたように思う。
今にして思えば、こっそりとシベリウス殿下と恋心を育んでいたのだから、彼女が踏み込んでこないのは当然だったのだろう。
「エリサ、俺はただこいつに呼びかけただけだ」
「は、はい。出過ぎた真似をいたしました」
「だから、怒ってないし。そんなにビクビクするなよ」
うーん。黙って並んでいればお似合いだが、口を開くとこれは全然お似合いではない。
「サリュ殿下、私に何かご用があったのではないですか」
空気を変えようと、サリュ殿下に話しかける。
「兄上はどうした。何故一人でいるんだ」
「あぁ、それでしたら王族としての公務があるとか。聞いていませんでしたか?」
「……叔父上にでも代理を頼むかと思っていたが、ご自分で出席されたのか」
サリュ殿下が顎に手を当てて考え込んでしまった。
「到着はギリギリになるとおっしゃっていましたが来てくださる予定です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「別にっ、俺はお前の心配などしていない。兄上の姿が見えないからどうしたのかと思っただけだ」
サリュ殿下が慌てたような口調で言い放ったときだった。大広間にざわつきが広がったのだ。不思議に思いあたりを見渡すと、入り口にシベリウス殿下の姿が見えた。
「兄上が来たようだな。エリサ、悪いが兄上をこちらへ呼んできてくれないか」
サリュ殿下の頼みに、エリサ様は小さく頷くと入り口の方へと向かっていった。
「なぜエリサ様に頼んだのです? 自分で行きましたのに……」
不思議に思い首を傾げる。
「お前は自分のことを全く分かってない。今日のお前は目立つ。そこら辺の男どもが、音楽が始まったらダンスを申し出ようとそわそわしているというのに。俺がいなくなったらすぐに誘われる。兄上より前にその辺の男と踊るなど許せん」
出たよ、兄上大好きっ子理論!
でもまぁ目立つのは確かにそうかもしれない。元が平凡とは言え、ニーナがとても頑張って飾り立ててくれたのだから。それに、第一王子の婚約者ともなれば、仲良くしておけば今後何かと融通が利くと考える輩もいるだろうし。
「ご配慮、恐れ入ります」
だけど……シベリウス殿下のもとにたどり着いたエリサ様、とっても素敵な笑みを浮かべてますけど大丈夫ですか?
まぁ私は婚約破棄して欲しいから良いのだけれど、サリュ殿下はどうなのだろう。
「サリュ殿下。もっと女性には優しく接しなくてはいけませんよ」
思わず言ってしまったが、出過ぎたことだったかもしれない。その証拠にサリュ殿下が睨んできた。でも、エリサ様が浮気をしたのはサリュ殿下の態度も要因だと思うよ?
エリサ様との仲は上手くいかなくとも、今後、別の女性とまた婚約することになるだろう。その時のためにも、サリュ殿下の性格指導はしていかないといけないし、闇落ちを回避するためにも対人スキル向上は必須だ。
だって、周りに頼りになる人がいれば、もし闇落ちしそうになっても助けてくれると思うのだ。前の時はそういう人がサリュ殿下の周りにはいなかった。信頼していたのは兄であるシベリウス殿下だけだったのだ。だからこそ、今度はたくさんの人が彼の周りにいたらいいなって思う。
「睨まないでください」
「……睨んでない。俺は睨んでいるつもりはないのに、皆、そう言う」
えっ……もしかして、ただ目つきが悪いだけなの?
てんこ盛りのサリュ殿下の印象に、さらに目つきが悪くて睨んでいると誤解されている不憫設定も追加された!
「それは気付きませんでした。申し訳ありません。でしたら、エリサ様にもそのようにお伝えしてみたらどうでしょう?」
「言ったことはある。でも、結局、反応は変わらなかった」
「そう……ですか」
なるほど。一応サリュ殿下も努力はしていたのか。
なかなか上手くいかないものだ。
「きゃあ!」
背後で悲鳴とともに倒れる音が聞こえた。
何事だと振り返ると、眼鏡をかけた令嬢が転んでいた。足下には紙が散乱している。
「大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄り、手を差し伸べる。
すると、彼女のドレスの袖部分が大きく裂けているのに気がついた。転ぶときに引っかけてしまったのだろう。腕部分はレースだったので、簡単に破けてしまったようだ。
「あなた、ドレスの予備は持ってきているかしら」
「どうしてドレス……あ、袖がっ」
自分でも破けていると気がついたようで、真っ青になっている。この様子だと持ってきていないのだろう。
まわりも何事だとざわざわと集まり始めた。これは悪女アピールをする好機では無いだろうか。
必死で何か悪女っぽいことを言おうと考える。
「あなた平民よね、可哀想に庶民くさい一張羅が台無し。仕方ないから私の予備のドレスを恵んであげるわ」
フンっと鼻を鳴らしながら、精一杯偉そうな態度で言ってみた。
「良いのですか?」
「良くなければ言うはずないでしょ。理解力が足りないのかしら? さぁ行きましょう。サリュ殿下、少し席を外しますね」
サリュ殿下に向かって一礼する。
「あ、あぁ。兄上に伝えておく」
殿下は奥歯にものが挟まったかのような、すっきりしない変な表情をしていた。
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控え室に行く途中、気になって彼女に話しかける。
彼女は足下に散らばっていた紙を全部拾って、大事そうに抱えているのだ。
「その紙は何かしら?」
パーティー会場で持っているには不釣り合いなものだろう。
「実は……私は平民ですが特別推薦枠で入学しているのです。研究が認められて試験が免除されているのですが、その代わりに、どんな研究をしているのか発表をすることになっていて」
「じゃあ、今日のパーティーで発表の項目があったけれど、あなたの発表だったのね」
「はい。なので祖父母が奮発してこのドレスを用意してくれたのに……私って何て酷い孫なんでしょう」
今にも泣き出しそうだ。
あぁ私も罪悪感でちょっと泣きそう。彼女の祖父母が頑張って用意したドレスをけなすようなことを言ってしまった。
確かに布は貴族のものより安いかもしれないけれど、丁寧に仕上げられたドレスはとても素敵だと思う。普通に私も着たいと思うようなドレスなのに。
「今日は残念だけど、レースの部分を取り替えればまた着られるわ」
思わず悪女設定のことなど忘れて、フォローの言葉をかけていた。
それより気になるのが、私の予備のドレスでは研究発表にはそぐわないかもしれない、ということだ。
彼女のドレスは祖父母が奮発して用意したとあって、繊細なレースがふんだんにあしらわれた上品なものだ。そして、腕もレースで隠れているし、首元まで布地があるデザインだ。つまり肌の露出が少ない。研究発表をすることを前提として選ばれたドレスである。
一方、私の予備のドレスはデコルテは隠れているが、肩が出ているデザインだ。これはどうしたものかと考える。
控え室に入った私は、鏡に映った自分の姿を見て思いつく。
「私のこのドレスを着ると良いわ。私は予備を着るから」
私の今着ているドレスも肩やデコルテの露出はない。腕は膝から先が出ているけれど許容範囲だろう。研究発表するならこちらのドレスの方が相応しいに違いない。
それに私はドレスのきらびやかさを下げることが出来るし。基本的に予備のドレスを着る機会などほぼ無い。だから、今着ているものよりも質素だ。おそらく、王子の婚約者が着るドレスとしては地味すぎるだろう。
だが、今はそれがいいのだ。シベリウス殿下に幻滅してもらいたいのだから。
シベリウス殿下には事前に王子の婚約者として身なりを気をつけろと言われているので、この質素なドレスはもってこいだ。
彼女も私もWin-Winである。