救いたい人(5)
私は首から提げた残りの石に服の上から手を当てた。
慎重に、そっと、少しずつ、繊細な加減で魔力を流し込む。
あと少しで完成のはずなのだ。お願い、完成してと切に祈った瞬間、石がほかほかと温かくなった。
さっきのやけどしそうな攻撃的な熱さではない。じんわりと芯から温まるような慈愛に満ちた優しい温かさ。
完成したんだ。
今この瞬間、祖母が育て始めて私が受け継ぎ、何十年とかけてきた賢者の石が完成したのだ。
「ムハンド王、その交換条件のみましょう!」
私は恐怖に震えそうになる足を踏ん張り、大きな声を出す。
「ユスティーナ! あんたがこれ以上身を削ることはない」
サリュ殿下が泣きそうな表情で怒鳴ってきた。
あぁ、泣かないで。大丈夫だから。きっとすべて上手くいくから。死ぬのはいつだって怖いけど、今度こそ幸せな未来にたどり着いてみせる。
「私にお任せください。これでも公爵家の娘です。皆のために働くのは当然のこと」
私は笑みを浮かべて言うと、そのままムハンド王とディークシャ様のもとへと歩き始める。広間にいるルシール王国の騎士達は悔しそうに俯きながら私の道を空けた。
「ユスティーナ」
途中でサリュ殿下の横を通過するとき、腕を掴まれた。でも、そっと手を当てて外すと、そのまま進む。
そして、ムハンド王とディークシャ様の前に着いた。
「約束です。私がこうして来たのですから、ディークシャ様をサリュ殿下にお渡しください」
ムハンド王をキッと睨み付ける。
「ふん、いいだろう」
ムハンド王の手がこちらに延ばされた――――そのとき、信じられない光景が目の前に広がった。
「母上!」「ディークシャ様!」
サリュ殿下と私の声が重なる。
「私が生きているから、足かせになる。だから、これでいいの……あなたは、国に帰って……サリュを、お願い……」
息絶え絶えにディークシャ様が私に向かって言葉を紡ぐ。そして、言い終わると、パタリと力が抜けて床に手が落ちた。足下にはおびただしい量の血が広がっていく。
ディークシャ様は自分が生きているから足かせになると、自らムハンド王の剣に飛び込んだのだ。本当は動くことも出来ないくらい衰弱している状態なのに。子を思う気持ちが勝り、体が動いたのだろう。
「違う、こんなはずじゃない。私が死ぬつもりで」
衝撃のあまり体が動かない。
私こそが剣に飛び込んで死ぬ、いや死にそうになれば賢者の石でループできるはずだったのだ。それなのに、何故自分じゃない人が血にまみれて倒れているのだろう。もう、頭の中が真っ白だ。
「ユスティーナ、バカなことを考えるな!」
サリュ殿下の声が聞こえたと思った瞬間、後ろにぐっと引かれる。そして、サリュ殿下に抱きしめられていた。
「お前達、母上の行動を無駄にするな! 一気に制圧しろ!」
サリュ殿下の号令に一気に広間が騒然とする。
「あ……ディークシャ様が……」
私はサリュ殿下の腕から抜け出し、ディークシャ様に駆け寄った。
血の気の引いた顔、ピクリとも動かない体、目を背けたくなるほど首から血が流れだしている。ただでさえ今にも死にそうな状態だったのだ。生きているはずがない。
手を取って必死に声をかけながら握ってみる。でも、握り返してくることはなかった。
いくら賢者の石があろうとも、死んでしまっては生き返らせることは出来ないのだ。
「サリュ殿下、私を殺してください!」
振り向いてサリュ殿下に叫んだ。
「ユスティーナ! しっかりしろ。そんなことは誰も望んでいない」
「私が望むんです。私が戻ればやりなおせる。今度こそ必ず救って見せますから」
「ダメだ。戻れる確証がない。戻れずに死んだらどうする。それに、俺はもう二度とユスティーナを死なせないと誓った」
「じゃあ、このままディークシャ様を諦めるんですか? やっと再会できたのに。まだ親子らしい会話も何も出来ていないのに」
悔しくて涙がとめどなくあふれてくる。
嫌だ嫌だと、ディークシャ様の手を握りながら駄々っ子のように首を振る。
「えっ?」
私は動きを止めた。
「どうしたユスティーナ」
「今、手が……ディークシャ様の手が動いたような。もしかして!」
「母上! 母上!」
サリュ殿下が呼びかけると、またピクリと、ほんの微かだが指が動いた。
生きてる。虫の息かもしれなくても生きてる!
「絶対に、助ける。絶対に死なせない!」
私は首元から賢者の石を引っ張り出し、血まみれのディークシャ様の手に載せ、挟み込むように両手で押さえた。
「サリュ殿下、一緒に魔力を注いでください。賢者の石を発動させます」
私の魔力だけではきっと足りない。牢獄内で賢者の石を育てるのに使っていたうえ、さっき助けを呼ぶためにほぼ使いきってしまったのだ。
「分かった。母上が助かるのなら何でもする」
サリュ殿下はためらうことなくディークシャ様の手を包んだ私の両手を、更に上から力強く包み込んだ。
「行きます。魔力を込めて、願ってください!」
私の手を通してサリュ殿下の魔力が注がれていく。熱い魔力はまるでサリュ殿下の感情のよう。激しい心を内に押さえ込んで生きてきたサリュ殿下は、外から見ると冷たそうに見えた。でも、本当はこんなに熱い心を持っているのだ。
手の中にある賢者の石がサリュ殿下の熱い魔力に反応するかのように、熱くなり始めた。そして、淡く光り出す。どんどんその光は強くなり、まるで広間に太陽が出現したみたいだ。
ひときわ明るく熱くなったと思った瞬間、虹色の欠片が天井から降りそそいだ。
「…………きれいね」
か細い声だった。でも、私の声でもサリュ殿下の声でもなかった。
「母上」
サリュ殿下がほろりと涙をこぼす。
悲しみの涙ではなく、安堵の涙。透き通ったしずくは、とても綺麗だと思った。
「剣で切ったはずなのに痛みもないし、体がとても楽だわ。いったい、何が起こったのかしら」
ディークシャ様がゆっくりと起き上がった。
賢者の石でディークシャ様の命をつなぎ止めることができたのだ。怪我は治り、どうやら体調もよくなっている様子。さすが賢者の石の力だ。いや、それに加えてサリュ殿下の魔力と願いの力のおかげに違いない。
「サリュ殿下、ムハンド王を捕縛しました。いかがなさいますか」
おずおずとルシール王国の騎士がサリュ殿下に声をかけた。
ディークシャ様を救うことで頭がいっぱいで、まわりのことなど目に入っていなかった。改めて見渡すと、ルシール王国の騎士達によって広間は制圧されており、玉座付近でムハンド王が床に座らされていた。騎士達に剣を突きつけられている状態だ。
サリュ殿下は大きく息を一つ吐くと、ディークシャ様を見る。ディークシャ様は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。それに頷き返したサリュ殿下は、私の方を向いた。私も目を合わせて頷く。
「終わらせてくる。待っててくれ」
そう言うと、サリュ殿下はムハンド王の前に歩み出た。
「ムハンド王、あなたには言いたいことは沢山ある。ユスティーナを狙ったこと、わたしの母上にしたことも許しがたい。謝罪を要求するし、二度とこのようなことを起こさないと誓ってもらう」
サリュ殿下は言葉を句切ると、目を瞑り何か考えるような間を取ったあと、再び口を開いた。
「だが、我が国の王妃が取った無礼な発言は、心から謝罪する。本当に申し訳なかった。だから…………どうか、お互いに謝罪しあったという形で、この諍いを終わらせてはもらえないだろうか」
サリュ殿下の握りしめた拳が、力を入れすぎて震えている。
本当は謝罪だけで水になど流せるようなことではないと思う。怒鳴り散らして、殴りたくてたまらないと思う。それを我慢して、謝罪し合ってお互いすべて水に流そうというのだ。国同士の争いを治めるために。
サリュ殿下の、王族としての強い誇りを感じた。
「そなたはそれでいいのか? 本当は納得してない、いやしたくないのだろう?」
「わたし個人が納得しているかどうかは、関係ない。わたしはルシール王国の平和を守るためにここに来たのだから」
「……ふん。一丁前に言いおって」
ムハンド王は左手の人差し指から指輪を抜いた。大きな赤い石のついたそれに魔力を込めると、空中に浮かび上がりボッと炎を出して燃え尽きた。
えっ? いったい、何をしたかったのだろうか。
「いいだろう。占いでもそなたに乗るが吉と出ている」
今のは占いだったらしい。
私にはただ石が燃えたようにしか見えなかったけれど、ムハンド王には何か違うものが見えたのだろうか。
「ムハンド王よ。では、むやみに争いを起こすようなことはもうしないと約束してもらえるか」
「約束する。我は占いの結果を重んじるからな」
良くも悪くも占いを信じる人で良かった。
占いのせいで命を狙われたわけだけど、占いのおかげで国同士の争いも回避できたのだから。
ルシール王国とムハンド王国との戦争は、こうして何とか回避することができた。
私も無事に屋敷へ帰り着き、両親から勝手なことをするなと雷の如く叱られ、命があって良かったと号泣されたのだった。




