救いたい人(4)
サリュ殿下が過去をすべて知ってしまったことが悲しかった。ループで無くなったはずの過去など、本当なら知らなくても良いことなのに。今のサリュ殿下は何もしていないのに、過去の行いを悔やむ必要なんて無いのに。
むしろ、私を傷つけることなどせず助けに来てくれる。今もそうだし、森で迷子になったときだって私を探してくれた。
今世のサリュ殿下は闇落ちすることなく、素直に心情を打ち明けてくれた。私はそれがすごく嬉しかった。ずっと不可解だった彼にやっと近寄れたのだから。
それなのに、目の前のサリュ殿下の何もかもを受け入れたような、諦観を漂わせる微笑みが痛々しくてたまらない。
サリュ殿下は、私に対し「怪我はないか」と問いかけたあとは多くを語らず、すっと立ち上がってムハンド王に視線を向けた。本当は吐き出したい気持ちが山ほどあるに違いないと思うのに。
ムハンド王と家臣達は広間の奥、玉座の方に固まり、王を守るように壁を作っている状態だ。だが、人数は二十人ほどしかいない。
逆にサリュ殿下が連れてきた騎士団は広間の中にいるだけでも倍以上いるし、おそらく別働隊もいるはずだ。壁越しに走る音や怒声などが聞こえることから、離宮を制圧しているのがうかがえる。
「サリュ殿下、これからどうするのですか」
「戦争を回避するためにムハンド王と話をする」
「この状況で、ちゃんと話が出来るでしょうか」
「するんだ。ここでけりをつける。もうユスティーナを狙うようなことはさせない」
頼もしく宣言するサリュ殿下に、きゅんと胸が締め付けられた。
だが、伝えておかなければならない。
「殿下。もう私は狙われないです」
「は? 何故だ」
「実は私の持つ、その、本当は言ってはならないのですが、さきほどムハンド王にも言ってしまったのでもう白状します……私が持っていた賢者の石を砕いたのです」
「は?! 賢者の石?! まさか本当に存在するのか。しかも、ユスティーナが…………いや、だからこそ陛下もユスティーナには特に目を掛けていたのか」
サリュ殿下は目をまん丸に見開いて驚いていたが、思い当たる節があったのかすぐに納得したような表情になった。
「国に繁栄をもたらすと占いに出てた理由が賢者の石のようなので、争いの根源を絶とうと、先ほどムハンド王の目の前で石を粉々に破壊しました」
「ということは、もう無いということか」
「えぇ、ま、まぁ」
まだ一つ石は残っているけれど。だが、それは言えない。ムハンド王もいる広間で言ったら意味が無いからだ。
「そうか、アルマンが何やら言葉を濁していたのはこれのことか」
え、アルマン、もしかして石のことしゃべったの? まったく口が軽いんだから。
というか、私の方が完全にしゃべっているのでダメだけれど。
「個人的に思うことは山ほどあるがムハンド王とはまずは武力ではなく対話をする。話を聞かないようなら武力もやむを得ないが。陛下から全権を任されているんだ、俺はきちんと責務を全うしなければ」
陛下から?
確かに騎士団の人達の紋章は、彼らが王家付きだと示している。エリート中のエリートが集められた騎士団だ。普段は陛下の身の回りを護衛している騎士団を任せる……それはサリュ殿下を信頼し、ムハンド王国との交渉を任せたということなのだろう。
サリュ殿下はムハンド王の前まで歩み出た。ムハンド王を死守しようと護衛達が剣を向けるが、こちらの騎士達も剣を構えるので完全に膠着状態だ。
私は後ろからそっとその姿を見守った。
「ムハンド王、手荒なことをして申し訳ない。だが我が国の民を拉致したことは許せることではない」
サリュ殿下が、ムハンド王に向けて言い放つ。
「この裏切り者が。そなたの母と同じようにルシール王国に魂を売りおって。汚らわしい!」
ムハンド王は怒りのあまり顔が真っ赤になっている。
でも、サリュ殿下は冷静な表情を変えない。
「魂を売るもなにも、わたしはルシール王国の第二王子ですから。確かにムハンド王国の血を受け継いでもいます。だからこそ、二つの国の橋渡しをしたい。決して諍いのもとにはならない。そのためにわたしは今ここにいるのです」
「ふん、若造が綺麗事を言いおって。そなたら母子がルシール王国でどのような目にあったのか忘れたわけではあるまいに。そのような扱いをする国を守ることに意味があるのか」
「そうですね。確かに心ないことを言われましたし、命の危険を感じたことも多々あります。ですが、ムハンド王国だって似たようなものでしょう? 療養のために帰国した母上に対して、どのような扱いをしていたのか」
「チッ、もう知られているのか。なら仕方ない。おい、あいつを連れてこい」
不機嫌そうに舌打ちをしたムハンド王は、近くの護衛に命令をした。
このタイミングで『連れてこい』とは、まさか……ディークシャ様?
いや、ディークシャ様は城で幽閉されているはずだ。だけど、もしやムハンド王がここへ来るときに一緒に連れてきたのか? でも、ディークシャ様は体が弱っていると言っていた。移動だけでも体力を消耗するだろう。
お願いだから、ディークシャ様でありませんようにと祈った。
玉座の奥から連れられてきた女性が、涙をにじませてつぶやく。
「サリュ」
「…………母上」
サリュ殿下の母を呼ぶ声が、ディークシャ様だと決定づける。
私の祈りは通じなかった。
連れてこられたディークシャ様は痩せて顔色も悪い。それでもなお、損なわれない儚げな美しさが目を引いた。だが、ただでさえ体が弱っているところに、城からこの離宮へと移動させられ、体力も限界なのだろう。呼吸も荒く冷や汗もかいており、今にも倒れてしまいそうな様子だ。
このまま何の処置もしなければ、確実に命は消えてしまう。
「そなたの母が死んでもいいのか」
ムハンド王は容赦なく剣を抜き、息も絶え絶えなディークシャ様の首元に当てた。
「何てことを!」
思わず私は叫んでしまった。
「そう思うなら、賢者の石を渡せ」
ムハンド王が私に視線を投げるように向けて言ってきた。
ドクンと、心臓が跳ねる。
どういう意味だ。ムハンド王は何を意図してる? 私は目の前で石を砕いたし、二個目の石があることなど言っていない。
「不思議そうな顔をしているな。だが、我には分かる。お前の話が本当か今占った。占いによると、お前は嘘をついていない。だが、未だに『国に繁栄をもたらすもの』で有り続けている。つまり、先ほどの石とは別にまだ持っているのだろう?」
見抜かれている!
どうしよう。ここで変に焦ると認めたも同然だ。なんとか冷静に、誤魔化さないと。
「何のことだか、分かりかねます。賢者の石は貴重なもの、複数所持など出来るはずもありません」
「……ふん、そうか。まぁ持っていようと持っていまいと関係ない。お前が繁栄をもたらすものである以上、我にとって利用価値はある」
たかが占い、されど占い。悲しいかなすごい当たっている。ここまで当たる占いが出来るのであれば、確かに占いに重きを置くのも納得してしまう。おかげで、せっかく石を一個粉々にしたというのに、意味が無くなってしまった。
「母上!」
サリュ殿下の声に顔を上げると、ディークシャ様が膝を付いて座り込んでいた。どうやらもう立っていられないほど消耗しているらしい。
ムハンド王国の護衛達が無理矢理立たせようと腕を引っ張るが、全然体に力が入っていない。
「やめろ! 母上を乱暴に扱うな!」
「ならば交換条件ですな、殿下。母を助けたくば、その女を差し出してもらいましょう」
ムハンド王がディークシャ様に剣を向けたまま楽しげに告げた。
サリュ殿下の目が驚愕に見開く。そして、悔しそうに口元がゆがんだ。
結局、サリュ殿下にまたこの選択が突きつけられてしまった。
母を取るか、私を取るか。
散々サリュ殿下を苦しめたであろう二択。ループも含めるともの凄い時間、この選択に悩み後悔してきたのだと思う。
「何度繰り返しても、この板挟みからは逃れられないのね」
私はサリュ殿下を見つめて呆然とつぶやいた。
どうしたらこの難題を解決出来るのだろうか。このままディークシャ様を見殺しにするなど出来ない。かといって、私がムハンド王国に行くのも違うだろう。怒りにまかせて戦争を仕掛けるような国に繁栄をもたらすわけにはいかない。
「……やりなおせばいいんだわ」
私はハッと気がついた。
なんでこんな簡単な答えに気がつかなかったのだろう。もうループなどしない、ここでけりを付けるんだって思いこんでいた。でも、ここの時間軸の記憶を持ってループすれば、すべての問題を回避できる。
入学式の日に戻り、ルシール王国とムハンド王国の争いの火種を消せばいい、サリュ殿下と腹を割って話をして、闇落ちなどさせずに仲良くなればいいのだ。そして、二人でディークシャ様を迎えに行く。
賢者の石があるから争いが起きるのだと考えたから、私は石を目の前で破壊した。でも、日和った私は祖母から受け継いだ石は温存した。
ルシール王国のために取っておきたい。いや、本音を言おう。我が身可愛さに助かる為の最後の希望として手元に残しておきたかったのだ。恥ずかしくてみっともないけれど、これが私の弱さだ。
だけど、弱さゆえにまだ手元には完成間際の賢者の石がある。以前は二個の石でループしていたかもしれないけれど、おそらく今は残った石だけで出来るはずだ。だって、あとほんの少しで完成するからだ。
牢獄にいる間にせっせと私は賢者の石を育てていた。おかげで三回目の時間軸と同じ感触まで来ている。ということは、ほぼ完成しているに違いないのだ。
完成さえすれば、賢者の石は命の復活以外はどんな願いでもかなう。だから、きっと大丈夫。




