目指せ婚約破棄(2)
「うーん……」
入学式後のオリエンテーションも終わり、屋敷に戻ってきた私は自室で悩んでいた。制服から普段着の質素なドレスに着替え、ベッドの上で枕を抱え込んでいる。
シベリウス殿下に嫌われるべく、悪女になろうと決めた。だけど初っ端からつまづいている。
「悪女って、具体的にどんな人間なのかしら……」
悪女になるとは言っても、他人の心を深く傷つけるようなことはしたくない。婚約破棄を狙っているとはいえ、現状は第一王子の婚約者なのだ。私が何か言ったりしたことが、その人に深刻な影響を与えてしまうことは大いにあり得る。
これでも公爵令嬢として、そして王子の婚約者として、自分の言葉や行動には気をつけてきた。今も両親から口を酸っぱくして言われ続けている。だからこそ、自分が助かるためとはいっても、その業を関係のない人にまで与えたくないと思ってしまう。
でも、良く思われたいという保身を捨てきれない日和った考えでは、立派な悪女にはなれないのではないだろうか。
とにかく婚約破棄さえ出来ればいいのだ。短期決戦でさっさと破棄してもらえれば、傷つける人も少なくてすむはず。今の私に出来る最善は、濃く短く悪女になることに違いない。
考え込んでいると扉をノックされた。
「ユスティーナお嬢様、そろそろ晩餐の時間でございます」
ニーナが夕食だと声をかけてきた。
「もうそんな時間なのね。あまり食欲はないのだけれど……」
私は脱力して、ベッドのごろんと寝転ぶ。
「食欲がないって珍しい。しかも、また気の抜けた格好をしていらっしゃるし。仮にも第一王子の婚約者なのですから、普段からもっとお召しものにも気を遣っていただかないと。私がお手伝いしないとすぐよれよれのワンピースを着てしまうんですから、困ったお嬢様ですこと」
私は自分のワンピースを見る。確かに家族にしか会わないから着心地の良さを優先していた。
ニーナは眉間にしわを寄せている。
あれ、これって嫌がられてるよね?
**********
翌朝、私は身支度を最低限にした。
昨日は入学式だからとニーナが張り切って見事な巻き髪に仕上げてくれたし、化粧も時間をかけてやってくれた。でも今日は寝癖を直しただけだし、化粧もうっすらである。
「お嬢様、こんな地味なお姿で登校なさるんですか?」
ニーナが日和っている。それもそのはず。私はどちらかというと平凡な容姿をしているのだ。それを大人っぽく華やかに見えるようにニーナがいつも仕上げてくれているのだ。
普通は派手すぎるものが嫌がられると思うし、悪女っぽいような気もする。だけど、いつもシベリウス殿下の婚約者として恥ずかしくないようにと、精一杯身なりにも気をつけてきただけに、今以上に派手にしようがないと思うのだ。
「えぇ、これでいいのよ」
だから私は、あえて逆方向へ行くことにした。相手に悪印象を与えるという意味では、これも『悪女』に違いない。
この気合いの抜けた格好をみたら、第一王子も「なんてやる気のない女だ」と印象が悪くなるに決まっている。そして、さっさとエリサ様でも他の令嬢でも好きになって、私との婚約を破棄してくれたら大成功だ。
学園の正門へ馬車が着いた。
私が意気揚々と降りると、タイミング良くシベリウス殿下と弟のサリュ殿下も来た。同じ馬車から二人で降りてくるあたり、仲の良い兄弟だ。
「おはよう、ユスティーナ。今日は……寝坊でもしたのかい?」
シベリウス殿下がちょっと戸惑ったように挨拶をしてきた。
よしよし、良い感じにマイナスな印象を与えられたようだ。
シベリウス殿下は王族に多いシルバーブロンドの髪に碧眼という、まさに王子様といった容姿をしている。もちろん、実際に王子様なので何も間違ってはいないのだが。背も高く、護身のために剣術もしており程よく鍛えているため、若い女性からはかなり人気があるようだ。
私は幼い頃から知っているだけに見慣れてしまって、特に何とも思わないのだが。
「兄上、俺は先に行きます」
横からサリュ殿下が口を挟んできた。思わずビクッと体が動いてしまう。
おおっと、一瞬前回の闇落ち姿が脳裏によぎり、背中に悪寒が走ってしまった。
前回の時はサリュ殿下と挨拶くらいの交流しかした覚えがない。サリュ殿下は兄上が大好きすぎて、婚約者の私が邪魔……というか、なんというか、つまり嫉妬対象になっていたようなのだ。私がシベリウス殿下と話していると、すぐに面白くなさそうな表情で離れて行ったので、多分そうに違いないと思っている。
サリュ殿下はシルバーブロンドに紫の瞳を持つ。そして何より目を引くのがその美貌だ。母譲りと言われる中性的な美しさに、これまた母譲りの褐色の肌をしているエキゾチックな容姿だ。兄が正統派なイケメンならば、弟はオリエンタルなイケメンだろう。
彼の母は異国から美しさを武器に嫁いできた(もしかしたら無理やり嫁がされてきたのかもしれないが)数人いる側室の一人だ。
ルシール王国の現正妃は子供を授からなかった。そのため、有力貴族や小国の王族などから側室を迎え入れたのだ。つまり王子達の母親は違うため、水面下ではいろいろ不穏らしい。でも王位に直結する第一王子と第二王子は仲良くしているのでまだ救いがある状況なのだ。
だが、それも三年後にシベリウス殿下がぶち壊すわけだけれども……。
弟王子を見送ったあと、シベリウス殿下が私に視線を戻した。
「派手にしろとは言わないが、僕の婚約者なのだし、もう少し華やかさがあっても良いと思うんだ。三日後には新入生歓迎パーティーがあるし、当日はそれを踏まえた格好をしてきて欲しい」
「もちろんです、パーティーは気合いをいれて参加いたしますわ」
苦言を呈してきたシベリウス殿下に、私はにんまりと笑みを浮かべて返した。
そう、このパーティーは私が婚約者としてふさわしくないというのをアピールする良い機会なのだ。気合いを入れて幻滅されなければと、意気込む私だった。
**********
シベリウス殿下とわかれて、一年の教室へと入る。すると、すっと近寄ってきた人物がいた。
「おい、さっきのことだが」
ぶっきらぼうな声に、私は驚いてその人物の顔を見た。
なんと、サリュ殿下ではないか! どういう風の吹き回しだろう。
「お前、口を開けたまま固まるな。間抜けな顔をしているぞ」
え、なんか口悪いんですけど。
一応王子ですよね、この人。
「も、申し訳ありません。まさかサリュ殿下から話しかけられるとは思ってもいなかったもので」
「……ちっ」
舌打ちしたよ?
柄悪すぎない??
そりゃ確かにサリュ殿下にしたら私は目の上のたんこぶかもしれないけどさぁ、前回は同じつらさを味わった仲間じゃん。まぁそれを知らない今のサリュ殿下にとっては関係のない話だろうけど。
「サリュ殿下、あの何かご用でしょうか」
「だから……その、さっきの兄上のことだが」
サリュ殿下が視線をそれしながら話し始めた。
拗ねているような表情に、何だか微笑ましい気持ちが芽生える。本当に兄であるシベリウス殿下のことが好きらしい。
「俺は別に今の格好が悪いとは思わない。寝癖はついていないし清潔感もある。学園とは勉学をする場だ。それにふさわしい格好をお前はしているだけなのに、兄上はとがめるような雰囲気だったから……その、兄上の言ったことは気にするな」
えっ……まさか私へのフォローですか?
予想外すぎてまた口が開いたままになりそう。てっきり兄にふさわしくなれないのなら離れろとか、苦言を呈されると思っていたのに。
「あ、ありがとうございます……?」
驚きすぎて、一言お礼をいうのが精一杯だった。
「別に、お前のために言ったわけじゃない。ただ俺が気にくわなかっただけだ」
サリュ殿下はそう言い残し、窓際の自分の席へと歩いていってしまった。
何あれ。ツンデレかよ。
サリュ殿下の印象がこの数分で一気に変わってしまった。気分屋で兄上大好きで謎めいているイケメンという印象だったのだが、口が悪くて柄も悪くてでも意外と優しいところもある上にツンデレさんだということが追加された。
いや、ちょっと盛りすぎじゃない?
脳内の処理が追いつきませんが?