いざムハンド王国へ(3)
「そ、そういえばアルマンはどこに?」
気恥ずかしい雰囲気から抜け出すために、あえて従兄弟の名を出してみた。すると、サリュ殿下の目つきが鋭くなる。
「アルマンが気になるのか?」
「そりゃまぁ、旅の仲間ですから」
「ふんっ、巨木のところだ。あいつ火よりも水系が得意だっていうから、火が大きくなりすぎたら消せるように置いてきた。もう真ん中は一気に燃やしたから馬車一台くらいだったら通れるし、両端も順調に燃えてるから夕方には道が全部空くはずだ」
すごい。本当に私やアルマンの力など必要なかったのかも。いや、アルマンの水系の力はいざという消火のときに必要だから、いらなかったのは私だけだ。
落ち込んでいると、ギシッとベッドがきしむ。視線を上げると、サリュ殿下が腰掛けていた。手を伸ばせば触れられる距離だ。
「へ? サリュ殿下?」
「なんでそんな泣きそうな顔をする」
「泣きそうなんて、そんな」
これくらいの距離は一緒に歩いていれば当たり前の距離だけど、ベッドの上だと妙に圧迫感を感じた。
サリュ殿下が少し近寄ってくるだけで、緊張で体が熱くなってくる。
「逃げるな。ベッドから落ちるぞ」
「じゃ、じゃあ距離を詰めてこないでくださいよ」
「それは無理だ」
「なんでですか!」
「ユスティーナに触れたいから」
切なげな表情で言われた一言に、心臓が止まるかと思った。
もしかして、今のサリュ殿下も私のことを好いてくれているの?
「サリュ殿下?」
「なぁ、抱きしめても良いか?」
すっとサリュ殿下の手が私の頬を撫でる。くすぐったくて、私は首をすくめた。
サリュ殿下はじっと私を見つめてくる。その視線に焼かれてしまいそうだと思った。
「……だめ、です」
「どうしても?」
まるで迷子の子犬のような寂しそうな表情をしないでほしい。こっちが悪いことを言っている気分になる。
「ぐっ……そんな顔しても……」
「なぁ、ダメか? ユスティーナは俺が辛いときに側にいてくれた。だから、辛そうなユスティーナを放っておけない」
私のため、なの?
てっきり迫られているのかと勘違いしていた。ちょっと恥ずかしい。
「ちょっとだけなら、いいですよ」
「ちょっとって、どれくらい?」
「ぎゅっ、くらいです」
「短くないか?」
「むしろ、もうお言葉だけで胸いっぱいなくらいですが?!」
ベッドがきしむ。サリュ殿下が目の前に来たのだ。
ふわっと背中に両手が回された。そして、少しずつ腕の輪が縮んでいく。みるみるうちに近くなるサリュ殿下の顔を見ていられなくて視線を落とす。
サリュ殿下の肩あたりに顔を埋めた。呼吸するたびにサリュ殿下のまとう香りが体に充満していくよう。体を抱きしめられ、内から香りに犯され、全部がサリュ殿下のものになってしまった感覚に陥る。
「も、もう、ぎゅっ、で終わりの約束です」
これ以上、密着していたら危険だと腕を突っ張るもびくともしない。
「なぁ、もう少しこうしてていいか?」
「ダメですぅ……」
「そこをなんとか。ずっとこうしたかったんだ。兄上の手前、指をくわえてみているしか出来なかった。でも、今はジャマするものは何もない」
ん? んん? なんて???
まてまてまて、背中の手がそわそわと動き出してないか?
「サリュ殿下! もう、終わり、です!」
私はサリュ殿下のおでこに向かって頭突きをかます。
「あがっ、痛ってえな。もうちょっと可愛げのある止め方しろよ」
「私にそのようなものを求められても困ります!」
このハグって私を慰めるためってことだったよね? でも、やっぱりサリュ殿下がハグしたかっただけじゃないって気もしないでもないんだけど。そこんとこどうなのよ。怖くて聞けないけどさ!
「あー、お二人さん、そろそろ入ってもいいかな」
アルマンが気まずそうに部屋の入り口から顔を出していた。
「いつからそこに?!」
「いや、その……うん、今来たとこ。決してサリュ殿下に言いくるめられてユスティーナはちょろいなとか思ってない」
見てるじゃん! しかもちょろいとか酷い!
「アルマン、もう少し空気読めよ」
サリュ殿下が不機嫌を煮詰めたような声で言った。
「いやぁ、これ以上読んだらユスティーナお嫁に行けなくなっちゃいそうだったから」
「ちゃんと責任は持つ」
「うーん、それは当然なんだけど。やっぱ同意は必要だと思うよ? 今のはグレーだと思うけどな」
いや、グレーじゃなくてほぼ黒です。混乱に乗じて流され掛けただけです。
「アルマン、倒木の方はどう?」
サリュ殿下を押しのけながら、アルマンに話しかける。サリュ殿下が面白くなさそうに口をとがらせているけれど無視だ。
「順調だよ。もう道幅分は燃えたから消火した。あんまり端まで燃やすと山火事になりかねないからね。一応火種がくすぶっているといけないから、一晩村に泊って欲しいって言われてさ。俺の一存で返事するのも気が引けて、相談しに来たってわけよ。決して邪魔しに来たわけじゃないからな」
アルマンは苦笑いを浮かべながら説明してきた。
「そうか、なら今晩は泊ろう。もし何かあったら燃やした俺の責任だからな」
「分かりました。村長にそう伝えるますけど……サリュ殿下、俺がいなくなっても襲ったらダメですからね」
アルマンが怖い一言を残して去って行った。
「アルマンの奴め……おい、こら、ユスティーナ。こっそりと逃げようとするな」
「だってアルマンが怖いこと言うから、一応警戒しておこうかなって」
「俺はちゃんとムードを尊重するんだ。こんなムードが消し去られた状況では何もしない」
偉そうに言っているけど、そういうムードになったら襲うってこと? めっちゃ怖いじゃん。サリュ殿下って感情で生きすぎだろう。そりゃ感情にまかせて光から闇に一気に落ちるわけだ。
なんとか情緒を保ってもらわねば。光のサリュ殿下のままで旅を終えられるように、ムードとやらはぶち壊すしかない。
って、私、肝心なところを確認してなくないか?
そう、サリュ殿下の気持ちだ。
襲いたがっているということは、私のことをそう言う意味で「好き」なのだと思うけど、はっきりと言葉にして言われたわけではない。
いやでも、こっちから「私のこと好きなんですか?」ってなかなか切り出せないよね。生死がかかってる場面だからこそ前は言えたのだ。今はそれを問う勇気が出ない。
たぶん、ほぼ確実に好いてくれているのだ。わざわざ確認してどうする。返せる答えが自分の中にあるわけでもないのに。
そうだ、このままでいいのだ。
今、最優先にすべきなのはサリュ殿下のお母上を救い出すこと。私のもやもやなど後回しだ。




