四度目の正直(4) サリュSIDE
【サリュSIDE】
あれは俺が六歳の頃だっただろうか。母が療養のために帰国してしまい、一人ぼっちで城に取り残されていた。あの当時の俺は、母に捨てられたのだと絶望していた。
母は息子から見ても美しい人だった。だけれど、この国の人達とは違う美しさのせいで、容貌を王妃や他の側室達がくすくすと笑ってきたり、そのせいでメイド達さえも母を軽んじるようになった。母が追い詰められてどんどん痩せ細っていくのが俺は怖かった。母が死んでしまったら、俺は独りぼっちになってしまうから。
だから、母が療養をするために帰国すると聞いてほっとした。これで母は死なないって。でも、まさか置いて行かれるとは思っていなかった。そう、俺は一緒に母の国へ行くのだと思っていたのだ。
「ごめんなさい、サリュ。王子であるあなたは連れて行けないの」
涙ながらに母は言った。
今なら理解できる。友好国とはいえ自国の王子を渡すなど、人質を出すようなものだ。有事の際に俺がいることで足枷になってはならないという、陛下の判断だったのだろう。
帰国の前夜、母は俺を抱きしめて一晩中泣いていた。俺を連れて行きたかったに違いないのだ。
でも、幼い俺にとっては母に捨てられたとしか思えなかった。
まわりから嫌がらせを受ける母を見て、どうにか守ろうと俺は頑張っていた。ムカつくことを他の王子達に言われても我慢したし、あなどられて殴られても殴り返さなかった。口出しをすることはないが助けてもくれなかった兄はどうでもいい存在だったが、俺の方が優秀だと王妃が嫌がるから、兄よりも出来ないふりをした。とにかく自分の振る舞いで母が叱責されないよう必死だった。
でも頑張った結果がこれ……まさか守ろうとした母に捨てられるとは思ってもいなかった俺は、六歳にして絶望を知った。
独りぼっちになった俺は、何もする気になれずに部屋に閉じこもっていた。おかげで兄弟達に絡まれることもなくなったのは嬉しい副産物だったが。
そんなある日のことだった。俺付きの侍女が言ったのだ。
「本日、サリュ殿下の婚約者になられる方が城に来ますので、準備なさってください」
ちなみにこの侍女はかなり割り切った性格で、仕事は仕事、給金分はしっかり働きますというやつだ。なので、俺に対して優しくしたり助けようともしないが、代わりに無駄な嫌がらせをすることもない。当たり前の世話だけをするという態度で、今でも俺付の侍女をやっている。
「婚約者などいらない」
そう、俺がいて欲しいのは母なのだから。
「いけません。これはもう決定事項ですから。それに、すっぽかしたりして未来の家族に悪い印象を持たれても良いのですか」
侍女の言葉に、俺は驚いた。まさに雷を受けたかのような衝撃だった。
そうか。婚約者というのは、将来結婚する相手。つまり俺の家族になる奴だ。独りぼっちの俺に、俺だけの家族が出来る。そう思ったら、会ってやっても良いかなと思った。いや、本当はだいぶ会ってみたかった。
だから、用意された正装を久しぶりに身につけた。白いシャツに、リボンタイ、グレーのベストに黒い膝丈のズボン。髪もちゃんと整えて、見苦しくない格好になる。
準備が整い、広間へと向かった。だが、途中で王妃に会ってしまった。残念なことに隣に父上はおらず、王妃とその侍女達だけだ。
「あら、最近見かけなかったから、あの女と一緒に消えたかと思っていたのに残念ね。にしても相変わらずその肌、目の色、慣れないわねぇ。見れば見るほど気色悪い」
王妃が汚らわしいとばかりに睨みにつけてくる。その嫌悪に満ちた目が怖かった。周りの侍女達もこれ見よがしに笑ってくる。
俺は気色悪いのか。人前に出るのもダメなくらい? だったら俺がいる意味ってなんだよ。いらないなら捨ててくれよ。そしたら俺は自由になれるのに。母に文句を言いに行けるのに。
「うるせぇ、ばばぁ!」
俺は気がついたら叫んでいた。
あたりは先ほどまで満ちていた嘲笑が嘘のように静まりかえる。
「な、な、なんてことを! 私に対して暴言を吐くなど。陛下の御子でなければ死罪ですよ。いいえ、むしろ四人も王子がいるのです。一人くらい消えてもいいかもしれませんね」
王妃が怒りのあまりわなわなと震えている。
いいさ、殺すならば殺せと思った。どうせ俺はいらない奴なんだから。
「殺したいなら殺せよ。そしたらばばぁは人殺しだな!」
俺は怒鳴り散らしてその場を走り去った。もうこれ以上、ここにいたくなかったから。
背後ではまだ王妃がなんか叫んでいたけど、どうせ耳障りなことだろう。聞いたところでムカつくだけだ。
走り疲れて、城の外に出た。なんとなく母と散策した庭園へ向かう。そして、生け垣の前で座り込んだ。
涙が止まらなかった。なんの感情の涙なのか分からなかった。王妃に言われたことが悔しかった、ムカついた、怒れたし、悲しかった。
何で俺がこんな酷いことをいわれなきゃいけないんだ。ふいに母に対しても怒りがわいた。俺を残して行くからいけないんだ。一人だけ逃げてずるい。
「俺、母上が大好きだったはずなのに……」
大好きな母に対してこんな感情を持つ自分が、何よりも気色悪いと思った。そうだ、俺は気色悪いであっている。王妃の言うことは正しかったんだ。
絶望の中、そんな自己完結を迎えようとしていたときに、小さな靴が視界に入ってきた。見上げると、そこには綺麗な空色のワンピースを着た少女がいた。
「どうしたの? お腹痛い?」
少女が声をかけてきた。まるで小鳥のさえずりのような、明るくて躊躇いのない声だった。
そして、座り込む俺と目線を合わせるように、少女も座り込んでくる。
「誰だよ、お前」
「ユスティーナよ。今日は王子さまとお会いするためにお城へ来たの。でも探検してたら迷子になっちゃった」
迷子だというわりには泣いてもいないし、不安がっている様子もない。なんなんだ、こいつ。たんに図太い性格なのか?
にしても、こいつが例の婚約者か。ふん、見た目はまあまあだな。
「あそこに見えるアーチをくぐって、遊歩道にそってすすめ。分かれ道の右に行けば誰かがいるから、親のもとへと連れてってもらえるはずだ」
「一緒に行かないの?」
「行かない。行ったら俺殺される」
「えっ!」
俺の言葉に顔色を青くして、目を丸くしている。その素直な反応がなんか可愛いなと思ってしまった。
「なにしたの? 悪いことしたら謝ろう? きっと許してくれるよ」
「嫌だ、謝らない。俺悪くないもん。王妃がばばぁなのは本当だし、俺を死罪にするんならあいつは人殺しだ。俺は間違ったことは何も言ってない」
「……王妃さまに何か言われたの?」
「うん」
すると、内緒話をするように俺の耳に手を当ててきた。王妃のことを話すから内緒にしなければいけないと思ったのだろう。柔らかな手が俺の耳にこすれ、どうにもくすぐったい。
「あのね、王妃さまってちょっと変な人だと思うの。初めてお会いしたときね、急にじろじろ見て来たと思ったら、ユスティーナは面白いこと何もしていないのにいきなり笑ったのよ。あと、勝手に怒り出したりもするし。あんなにぷりぷり理由もなく怒っている人初めて見たもん。ね、変でしょ? だから、王妃さまは変だから、変な人が変なことを言っていても、それは当たり前でしょ?」
びっくりして耳元のユスティーナを見た。
まん丸の目がきらきらとしてて、本心で言ってるのが丸わかりだった。
なんだこいつ、めちゃくちゃ面白れぇ。
こいつの目から見たら、王妃なんてただの変な人なのだ。そう思ったら、変な奴に言われた変なことで絶望に浸っていた自分がアホらしく思えた。
「王妃は変なやつだから、気にするなってことか」
「うん、そう!」
伝わったことが嬉しいのか、ユスティーナはにこにこと笑みを浮かべた。
その笑顔がびっくりするくらいまぶしくて、この笑顔をもつ少女と俺は家族になれるのかと思うとソワソワした。
でも、現実は悲惨なものだった。
広間に行くと、一人の少女がソファーに座っていた。
後ろ姿しか見えないが、あれ……ワンピースの色が違う。でも、探検していたといっていたから、きっと汚れて着替えたのだろう。そう思った。そんなことなかったのに。
「サリュ殿下、こちらが婚約者に決まった方ですよ」
横に控えていた侍女に促されて、少女が立ち上がりこちらを向いた。その瞬間に浮かび上がった彼女の表情が忘れられない。驚きと、嫌悪と、悲しみに満ちたその表情を。
俺の婚約者だと紹介されたのはエリサだった。小柄で美しい少女だとは思う。きっと、蝶よ花よと育てられて、何の不自由もなく暮らしているのだろう。
彼女は俺の容姿を聞いていなかったらしい。ただ第二王子との婚約だと聞いて浮かれていたに違いない。だが実際に姿を現した俺は、褐色の肌に紫の瞳を持つ、ほぼ異国人の見た目だ。驚いただろうし、自分とは違う見た目に嫌悪しただろうし、将来俺と結婚しなければいけないことに絶望したんだろう。エリサの気持ちは想像がつく。
だが、俺だって絶望した。なんでユスティーナじゃないんだ。お前なんかじゃない。俺に対してそんな表情を浮かべる奴と、家族になりたくない。こっちから願い下げだ。
何か理由をつけて婚約は断ろうと思った。そして、ユスティーナとどうにかして婚約しようと。でも、あれっ……と嫌なことを思い出した。ユスティーナは『王子に会うために城に来た』と言っていた。つまり、俺以外の王子に会うためなのか?
どくどくと心臓の音が妙に鮮明に聞こえた。まさか、ユスティーナは別の王子の婚約者なのか? いや、まだそうと決まったわけじゃない。ただ会いに来ただけかもしれない。
そんな俺の淡い希望を打ち砕くように、広間の扉が開いた。
「そちらの顔合わせは終わったようだな。ではシベリウスとその婚約者を紹介しよう」
陛下、つまり父が入ってきた。その後ろには王妃と兄上と……ユスティーナがいた。ユスティーナは俺の姿を捉えると嬉しそうに笑った。
俺は思わずユスティーナとエリサを見比べてしまった。なんなんだ、この差は。俺の婚約者は俺に対して嫌悪を浮かべ、俺の手が届かない兄の婚約者はこんなにも無邪気な笑みを浮かべているなんて。
さっきまでユスティーナと家族になれるのだと浮かれていただけに、その絶望感は酷かった。
サリュ殿下が恋に落ちた瞬間、それは幸せが見えかけていただけに、より絶望が深かったようです。




