四度目の正直(2)
サリュ殿下とは、空き教室での会話以降、膠着状態だった。話しかけようとするとさりげなく逃げられる。かと思えば、視線を感じて振り返ると慌てて目をそらすサリュ殿下がいたりする。
「サリュ殿下って意外と奥手なのねぇ」
イリーナがお茶を飲みながら言う。作戦会議と称して、我が家のテラスでお茶をしているのだ。
「奥手というのかしら……」
「でもまぁ、まだお互いに婚約者がいるから変に近寄るのは倫理的に良くないわよね。さっさとシベリウス殿下と婚約破棄しましょ。そうすればユスティーナとサリュ殿下を邪魔するものはなくなるわ」
イリーナは楽しそうに焼き菓子に手を伸ばしている。
「イリーナ、なんだか楽しそうね」
「だってぇ、恋愛話ってうきうきするじゃない?」
これは恋愛話だろうか? 私の生存戦略の話だと思うのだが。
「イリーナだって恋すればいいなじゃい。今のところ婚約していないんだから」
「今ね親が婚約者を選び始めているのよ。諦めなくちゃいけない恋をするのはつらいし、婚約する相手にも失礼かなって思うから、恋はしないって決めてるの。でもまぁ恋は落ちるものっていうし、落ちてしまったら分からないけれどね」
ふふふっと笑うイリーナは、少しだけ寂しそうでもあった。
恋をした相手と結婚できる人が、世の中にどれだけいるのだろうか。そう思うと、シベリウス殿下とエリサ様はとても恵まれている。だからこそ、ちゃんと幸せになってもらいたいし、まわりに祝福される行動をしてほしい。三回目のときのような浮ついた行動はやめてもらいたいものだと思ってしまうのだった。
イリーナとの作戦会議のあと、もみの木での噂を流した。そして、案の定、早朝にやってきた二人を捕まえ、婚約破棄をさせたのだった。
今回はサリュ殿下が登場することはなかったが、シベリウス殿下が話をして頭を下げると、すんなりとサリュ殿下もエリサ様との婚約を破棄したそうだ。
これで、私を縛るものはなくなった。そしてサリュ殿下を縛るものも、だ。
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シベリウス殿下との縁も切れて晴れ晴れとしていると、学園長から養護院への慰問に言って欲しいという依頼を受けた。一年生から数名選抜して慰問に行くのが慣例らしい。
今までは声をかけられていなかったのにどうしてだろうかと疑問に思ったが、前回まではまだこの時期に婚約破棄出来ていなかった。第一王子の婚約者ともなると公務に付き添ったり将来に向けての教育があったりで、なかなかに放課後も忙しかったりしたから。
四回目の今回は、これまでで一番早く婚約破棄をすることが出来たので、今の私は一介の令嬢にすぎない。むしろ公爵家のものとして率先して慰問などには取り組むべきだ。そう思ったからこそ、意気込んで参加を快諾したのだった。
だから、こんなことになるなんて想像もしていなかったのだ。
「サリュ殿下! お待ちください、なんで脱ぐんですかぁぁぁぁ」
私は森の小屋の壁に張り付いて叫ぶ。
どうしてこんなことに。そう、何故か私はサリュ殿下と二人きりで小屋の中にいる。外は大雨、雷が鳴り響き、とても小屋から出ることは出来ない。
話は養護院の慰問へと遡る。
選抜された六人のメンバーの中にサリュ殿下もいたのだ。だが、これ自体は話が出来るチャンスかなと前向きに捉えていた。
そして、いざ慰問当日。朝早くから馬車に揺られて養護院へと向かい、元気な子供達と触れ合った。だが、いくら元気だろうと、養護院にいると言うことは何かしらの理由がある。親がいない子、いたとしても育てられないと預けられた子達だ。
「ザックなんて母ちゃんいないくせに!」
「いなくて悪いか。ワシュみたいに捨てられるより最初からいない方がマシだろ」
「おいらは捨てられてない! 母ちゃんは迎えに来るって言った」
「そんなの信じてるなんてバカだな。そう言って迎え来る親なんて俺見たことねえよ。赤ん坊のときからここで生きてる俺が言うんだから間違いねぇ!」
「嘘言うな! 母ちゃんは絶対に迎えに来るもん」
7,8歳くらいの少年二人が喧嘩を始めてしまった。
なんとかなだめようと思うも、激しく取っ組み合いをしていて、どう止めたら良いのか分からない。
「ふ、ふたりとも、落ち着こう。叩いちゃだめだよ」
頑張って声をかけるも、怒りで頭がいっぱいの二人には聞こえていないようだ。
「迎えに来るっていうなら、どうして手紙の一つも送ってこない? ほらな、捨てられてんだよ!」
「違う。きっと手紙を出せないくらい忙しいんだ」
「眠る前の十分でもありゃ『元気か?』ぐらい書けるだろ。お前はそんくらいの時間すらさいてもらえない存在なんだよ」
「うるさいっ! ザックなんか知らねぇ。絶交だ!」
ザックの頬を思い切り殴ったワシュは、泣きながら森の方へと走って行ってしまった。
この養護院は森の側に建っており、森の入り口付近までは遊びに行っても良いことになっているが、奥に行くと狼がいるかもしれないから気をつけてとも言われている。
「ザック、大丈夫?」
「……平気。それよりあいつ、森の奥に行っちゃった」
自分でも言いすぎたと思っているのか、殴られたザックはしょんぼりとしていた。
「私が探してくるわ。他の人にワシュが森に入ってしまったこと伝えてくれる?」
「うん、分かった」
そうして私はワシュを探しながら森の中を歩いた。しかし、ワシュを見つけることが出来ないばかりか、自分がどこにいるのかも分からなくなってしまったのだ。
「もしや……私が迷子?」
子供達の喧嘩をなだめることも出来ず、森に入った子供を見つけることも出来ず、あまつさえ自分が迷子って……何やってるんだと悲しくなってしまう。
森の中は薄暗く肌寒い。羽織るものも何もなく、戻る方向すら分からない。こういうときは下手に動かない方が良いとは言うが、何か自分がここにいると示せる方法はないだろうか。
「音を立てるとか、火をつけて煙をあげるとか……?」
声は体力を消耗するからずっとは無理だろう。じゃあ木の枝とかで音を出すか。でも、それは近くに来ないと場所の判断が出来なさそうだ。
「じゃあ煙でおおよその位置を伝えて、音を出してみよう」
そうと決まれば、さっそく火がつきそうな枯れ葉を集める。燃え広がると危険だし、風の影響を受けないようにと地面に穴を掘った。そして枯れ葉をいれて、魔力を込める。あまり日常生活に出番はないが、これでも賢者の石を育てるくらいには魔力を有しているのだ。授業でも火をつけることは習ったし。
「むんっ……火よ、ついてちょうだい」
両手を枯れ葉にかざし、魔力を込める。てのひらがじんわりと温かくなってきた。
ちりちりと枯れ葉が音を立て始めた。もう少しだと更に集中する。すると、ポッと葉が燃え始めたのだ。
「やったぁ。あとはこの煙に誰かが気付いてくれれば」
やっとついた火種が消えないように、落ち葉を定期的に投入しながら、カン、カンと枝同士をたたき合わせる。
「いつまでやっていれば気付いてもらえるのかな。なんだか暗くなってきたし、雨降りそう」
私がぶつくさと不安を口にしていると、背後でパキッと音がした。
人の声はしない……もしや狼? どうしよう、今度は狼に食い殺されるの?
恐怖でカタカタと手が震えてくる。
パキッと更に音がした途端、私は思いきり枝を持って振り返った。ただで食われてやるものか、少しでも足掻いてやると思って、枝を剣代わりに構える。
「ぷはっ、なんだよ、そのへっぴり腰な構えは」
目の前に現われたのは、狼などではなく、サリュ殿下だった。
「狼じゃなかった……」
へなへなと足の力が抜けて座り込んでしまう。
「野生動物は火を怖がるものだ、狼が寄ってくるわけないだろ。それより、全然帰ってこないから大騒ぎになってる」
「あ、そうですよね。ワシュを見つけられなくて」
「違う、ワシュはもう帰ってきてるから安心しろ。探しに行ったお前が帰ってこないから、ワシュとザックは責任感じて泣いてたぞ」
「そ、それは、なんだか申し訳ない……です」
でも、ワシュが無事に戻っていて良かった。あのまま私のように迷子になっていたらと大変だし。
「ほら、さっさと戻るぞ。雨が降りそうだ」
サリュ殿下がそういった途端、ぽつんと頭に冷たい感触が降ってきたのだった。




