10.不意打ち
エリーゼは王宮を出るとトボトボと歩き出した。
先程の令嬢をクラウスはシュナイダー侯爵令嬢と呼んでいた。エリーゼに面識はないが噂は聞いたことがある。シュナイダー侯爵夫妻の一人娘で17歳だったと思う。可憐という言葉が似合う可愛らしい令嬢だった。年齢的にも婿となる婚約者を探しているのだろう。
クラウスはアデリアとの婚約の話は断ったのだろうか。クラウスなら婚約の打診は多数きているはずだ。一番有力な相手は爵位の高さから考えてシュナイダー侯爵令嬢なのは間違いない。あの令嬢なら身分も容姿もクラウスに釣り合う。それを認めればいいようのない苦しみがエリーゼの心を支配する。
クラウスはきっとこの後は彼女と食事に行くのだろう。エリーゼと一緒にいた時の様な笑顔を彼女にも向けるのだろうか。想像すれば胸に重石を乗せたような息苦しさを感じた。
昨日、クラウスがお昼にいなかったのはシュナイダー侯爵令嬢と一緒に過ごす為だったということが心の中をモヤモヤとさせる。それが嫉妬だということに気付いていた。クラウスは断ったと言ったが令嬢はクラウスのことを慕っていた。エリーゼはクラウスへの気持ちを素直に言葉にすることができる身分を持つ彼女が純粋に羨ましいと思った。
彼女はクラウスが文官を辞めていると言っていたが事実なら婿入りの準備に違いない。エリーゼが公爵邸に行くのは週に二回だが必ず顔を合わせていた事を考えるとその頃には文官を辞めていたと考えられる。
最初にクラウスを見たお茶会でもたくさんの令嬢に囲まれていたのだから進んでいる話があってもおかしくないのに、そのことに思い至らなかった。
思えばエリーゼはクラウスの事を何も知らない。それはエリーゼに教える必要がないと判断されたということでもある。自分が彼にとって近い存在だと思っていたことが勘違いだったと証明された……分かっていても寂しさが募る。
エリーゼは侯爵邸に戻ると、翻訳の大変さと気疲れで食事もせずにその日は眠ってしまった。
翌朝、侯爵家の執事から昨夜クラウスがエリーゼを心配して無事に帰宅したか確認に来たことを教えてもらった。責任感の強い人だから気にしてくれたのだろうと自分に言い聞かせたが、心配してもらえたことに嬉しさを感じて単純な心はクラウスの行動に一喜一憂することを止められそうにない。儘ならない感情にエリーゼは途方に暮れた。
そして四日後、公爵邸に行く日が来た。クラウスとシュナイダー侯爵令嬢の婚約が決まったと報告されるのではと怯えながら向かう。結局、エリーゼはクラウスへの想いを諦めるどころか再確認してしまった。自分の意志ではどうにもできない。クラウスから拒絶されれば諦めることができるのだろうか。
玄関に出迎えてくれた執事はいつも通りで慶事があった気配はない。よく考えれば、正式な婚約を交わすまでは公にはしないのだからエリーゼに知らされることはないはずなのに、そこまで考えが及ばず辛い知らせを聞かずにすんだことにホッとしてしまった。そのお陰で午前中は平常心を取り戻して作業を進めることができた。
お昼の時間になったので緊張しながら隣の休憩室に行けば、今日もクラウスではなく侍女がお皿やお茶を並べ準備をしていた。
「エリーゼ様。恐れ入りますが本日もお一人でお願いしますね」
「はい。ありがとうございます」
侍女が下がると溜息を吐き机に突っ伏した。
クラウスがいないことに安心しながらもガッカリもしていた。ここにいないのならシュナイダー侯爵令嬢と昼食に出かけているのではと不安が押し寄せる。エリーゼが思い悩んだところでどうすることもできないのにじっとしていられないような焦燥感が込み上げる。
クラウスに会いたい……会いたくない、やっぱり会いたい。
顔を上げればクラウスの好物のローストビーフのサンドイッチが置かれていた。起き上がり食べ始めれば、初めてクラウスと昼食を共にしたときのことを思い出す。あの頃は無邪気にクラウスと過ごす時間を楽しみにしていた。ただ側にいることが幸せだと思えたことが随分と懐かしい。
食後の紅茶を味わいながらぼんやりと過ごしていると扉をノックする音がする。侍女だと思い返事をすると扉から現れたのはクラウスだった。エリーゼは彼は不在だと思い込んでいたので予想外のことに驚き頭の中が真っ白になってしまった。




