30.ギルドマスター
あれほどの騒ぎになったというのに、俺たちは部屋もそのままで宿泊できることになった。
更に店主の計らいで追加料金を支払うことなくもう一泊できることになったのだ。蜘蛛討伐で本来寛ぐはずの時間に寛ぐことができなかったから、と彼女は言ってくれた。
休みたいところではあるが、放置しておくわけにもいかないか。
残念ながらハムちゃんのことではない。ケラトルのことでもない。馬車を引いてくれたケラトルもアイテムボックスの中で時が止まったままだ。
ケラトルを労いたいところではあるが、後からだな……。
放置しておくわけにはいかないのは、アリアドネである。
洞窟から出る前に彼女にはアイテムボックスの中に入ってもらったんだ。彼女は人間社会で認識されている種族には含まれていない……はず。
穴の中から見知らぬ種族が出て来たら職質を受けることは確実。なので、見えないところにいてもらったというわけさ。
『おい、ヨシタツ。まさか、アリアドネを出そうとしておるまいな?』
「え、そうだけど?」
何を言ってんだこいつ?
駄竜ときたら、小さく炎を吐き俺の腹をペシペシと尻尾で叩いてくるではないか。
『一度出すと、二度と入らんぞ。あ奴は』
「そうは言っても、ずっと止まったままってのはさすがに……」
『我も経験したから分かるが、時が止まるというのはどれだけ長い時を留め置かれようと認識しない』
「まあ、そうだよな」
『ニンゲンの世界というものを理解せぬ我でさえ、望ましくないと分かるぞ?』
駄竜に言われずとも俺だってそれくらい分かっているよ。
言葉が通じぬ異形の姿をしたアリアドネが街中を歩いたとしたら、トラブルしか想像できない。
フード付きのローブを上から羽織れば、遠目には誤魔化せるだろう。
言葉が通じれば尚良し。うーん、でもなあ。
自分の立場になって考えてみると、時の止まった空間で外の時間が過ぎることを認識できぬまま放置される……絶対嫌だ、となる。
こんな時は一番人間社会に詳しいベルヴァに聞いてみるに限る。
ベッドにちょこんと腰かけた彼女に目を向けた。
「アリアドネの見た目で何とか誤魔化せそうな種族っているかな?」
「獣人は様々な見た目がございます……が、アリアドネ様のような触覚? が生えた種族となると」
「触覚は帽子をかぶるなりすれば隠せる。鎧のような甲殻も上から服を着るか鎧として誤魔化せると思うんだ」
「服装で、となりますと手袋をはめる、袖の長い服を着る……などすれば肌の質感も隠せますね」
「……ベルヴァさんもアリアドネにはしばらくアイテムボックスの中の方がいいと思う?」
「……ヨシタツ様のご判断が最良かと」
うん。ベルヴァの意見はよおく分かった。尻尾が「アリアドネを出すな」と言っている。
彼女の凛とした顔は真剣そのもので、俺の意思を尊重すると言ってくれているが、本音は尻尾が示していた。
ベルヴァの考えを整理すると、服装を何とかすれば街に溶け込むことは可能。俺が当初考えていたフード付きローブより自然な格好でも大丈夫だと分かったのは収穫だ。
とはいえ、現時点でアリアドネ用の服はない。
彼女には申し訳ないけど、もうしばらくアイテムボックスの中に入っててもらうか。ハムちゃんたちも時が止まったままなんだよね……。
スローライフ空間が整うまでは止まったままでいてもらうしかない。苦渋の決断である。
ハムちゃん……。
「ふああ。ごめん、ベルヴァさん、朝までそんなに時間はないけど、寝よう」
「はい。ヨシタツ様」
目を擦ったベルヴァはこてんとベッドに寝転がり、横向き(俺の方を向く)になるとすぐに寝息を立て始めた。
ベルヴァの息がかかる悩ましいシチュエーションにもすっかり動じなくなってきた俺がいる……。習慣の違いって恐ろしいよね。
向かい合わせで眠っていたら、何だか悶々としてしまうものじゃないか? 俺は既に克服したがな、ふふん。
彼女のおっぱいがもう少し大きかったらやばかったかもしれんがね。むにゅんがもにょんして服の隙間から見えたりしたらもう……。
◇◇◇
寝る前に何か変な事を考えていた気がするけど、考え始めたところで意識が遠くなって寝てしまったよ。
まあ、大事なことだったら、そのうち思い出すだろ。思い出さない考え事はどうでもいいことに違いない。問題ない、問題ない。
まず最初に向かったのは鍛冶屋である。ここで残った素材を売却して、ウサルンの店へ移動した。
翻訳のマジックアイテム「言葉の赤」を二個発注して、一路冒険者ギルドに向かう。
昨日と同じ調子で受付のところまで行くと、「お待ちください」と受付嬢が血相を変えて奥へと引っ込んで行く。
戻って来た彼女から「こちらへ」と個室に案内された。
蜘蛛の件がもう伝わっているのかな? と思い椅子に座って待っていたが、もしかしたら何かやらかしたのかもと不安がよぎる。
昨日の今日だし、無意識に犯罪行為に手を染めていたなんてこともないはずだ。ベルヴァも一緒だったから、問題ない。蜘蛛の件以外は有り得ない……よね?
ガチャリと扉が開く。
受付嬢の後ろからスキンヘッドの大柄な男が姿を現す。いかにもって感じの人だな。
ギルドマスターといえば、こんな風だろってのを体現したかのような見た目をしている。
「ギルドマスターだ。お前さんらの話は聞いているぜ」
ほら、やっぱりギルドマスターだよ!
内心、漫画で見るいかにもなギルドマスターに小躍りしながらも立ち上がって会釈をした。
俺に釣られるようにしてベルヴァも俺と並んで頭を下げる。
「はじめまして。良辰です。こちらはベルヴァです」
「初めまして。ベルヴァと申します」
「おう。昨日二人揃って登録してくれたんだよな。登録早々大活躍だったな!」
そう言って愉快そうに笑うマスターが座るのに合わせ、俺たちも腰を降ろす。
うんうん。そうだよな。やっぱり蜘蛛のことだった。
ホッとする反面、この後どんな話が飛び出すのか内心戦々恐々としている。
座るなり単刀直入にマスターが問いかけてきた。
「さっそくだが、穴の中にいた蜘蛛の体を持って帰ったと聞いている」
「はい。持って帰ってきてます」
「そいつを買い取らせてくれねえか? 街中にまで穴を掘って侵入してくるモンスターなんて前代未聞なんだよ。ちょいと研究をしとかなきゃってな」
「多少のお金になればくらいに考えていたので、買い取りでしたら喜んで売らせて頂きます」
「助かる。袋に詰め込んでいたものを全部買い取りでいいか?」
「もちろんです」
ドンと机の上に大きな袋を置く。
袋を手に取って中身をチラ見したマスターが満足そうに頷いた。
「見たことあるモンスターではあるな。こいつが穴を掘るのか」
「そうみたいです。俺は会ったことがないモンスターだったので、穴の中以外にどこにいるかとか知らないですが……」
「どんな動きをしていたかとか覚えているだけでいい。教えてもらえるか。……の前に。全部で5万ゴルダでいいか?」
「そんなに!? ありがとうございます!」
お、おおお。
焼却しかないかもと思っていた蜘蛛がこれほどの高価格で売れるとは。
鍛冶屋に寄ってお金を作る必要もなかったな。




