第7話 匂いに敏感な男
「どう考えますか? マーラン伯爵」
「恐らく、網にかかった、かと」
嘆願が上がって来て二日、マーランは教主の元へと報告に訪れた。
普段ならどこぞの村人の嘆願など、ほとんど聞く耳を持たない。
それをこの早さで受け入れ、尚且つ議題に上げたのは、事の重大さもあるが、何より待ち望んでいたことだからだ。
「猊下、不敬ながら申し上げます」
「何ですか? 遠慮なく」
「猊下からこの計画を頂いた時は、正直迂遠だと思っておりました。造船の情報を流し、魔族を釣るなど」
「ふふ、そうでしょうとも。しかし今なお教団には紛れてるのですよ、先代教主の残党どもが」
「必ず食いついてくる、と?」
「ええ。確信しておりました」
「流石のご慧眼です」
教団は一枚岩ではない。
魔族はすべからく誅すべしとした『排斥派』は、今なお最大派閥だが、それでも『融和派』の増加は無視できない。
「我々には護らなければならない教えがあります、そうですね? 伯爵」
「おっしゃる通りでございます」
追従しながらも、マーランは胸中では教えなどクソ食らえだ、と思っていた。
単にマーランが魔族排斥派の教主を支持しているのは、領地経営を考えた場合に利があるからだ。
領地内で莫大な利益を上げる商売、その為ならば魔族との融和などとんでもないことだ。
最近もそのために大金を投資したばかりだ。
魔族は虐げて当然、その常識を維持できるなら何でも良い──それがカビが生えたような教えであっても。
「彼の地には、事前にオラシオンを派遣しております」
「ほう、あの⋯⋯」
「ええ。獣には獣、妥当かと。計画は順調です。これが終われば『融和派』など消え去ることでしょう」
「期待してますよ、伯爵」
「ええ、お任せください」
嘆願によれば、目撃された魔族は『まるで魔王のようだった』とのことだが、流石に魔王自らが動いたりはしていないだろう。
おそらく派遣されるとしても、高位の魔族。
それならば、オラシオンで十分対処できるだろう。
問題の多い男ではあるが、その強さは折り紙付きだ。
計画に支障はない。
伯爵は内心でほくそ笑んだ。
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「お前、勇者だな?」
「えっ、違います」
「そうか。じゃあどこにいるか知ってるな?」
「⋯⋯いえ、知りませんけど」
「ならいい、邪魔したな」
「はぁ⋯⋯」
訝しげな表情を浮かべ、青年は立ち去って行った。
これで三十人連続アウトだ。
今のところ、俺の考案した「取り合えず勇者と決めつけて、違ったら居場所を聞く作戦」は、めぼしい成果を上げているとは言い難い。
グラッツオと別れたあとで思ったのは
「放牧していた奴に色々聞いておけば良かったんじゃね?」
ということだ。
ただ離れすぎたのか、もう彼らは見つからなかった。
仕方なく、爺やに習った地理を思い出しながら、最初に降り立った平原から東に位置する、ニルニアス王国一番の港町である「アレンポート」を目指した。
造船の大義名分に『勇者』が使われているとしたら、造船業が盛んな港町にいるかも知れないと考えたのだ。
実際過去の歴史でも、人類はこの街から暗黒大陸へと遠征をしたらしいしな。
アレンポートは陶板の街として有名⋯⋯らしい。
陶板は潮風による塩害に強く、建物を長持ちさせる効果があるとのことで、色とりどりの陶板で彩られた街並みは見ているだけで楽しい。
これが異国情緒というやつだろう。
しかし、初めて目の当たりにする人間の街で一番驚いたのは、そこにいる人々の数だ。
魔王様が治める城下街「ヴェルサリューム」も、それなりに住民はいる。
だが、ヴェルサリュームより狭い筈なのに、この街にはそれ以上の住民がいる。
しかもここが王都ではないというのだから大したもんだ。
まあ、人間は魔族より繁殖能力が高いのだろう。
ちなみにヴェルサリュームの由来は、魔王様の名「ヴェルサリア」からきている、らしい。
魔将軍含め、部下は「魔王様」と呼ぶのでほとんど聞かないが、爺やだけは「ヴェルサリア様」と呼ぶ。
なんでかは知らんが。
さて。
活気に溢れる街は楽しげではあるが、俺にとってはあまりよろしくない。
人が多ければ、知らない奴を探すのは大変だろう。
何よりも、だ。
この街に到着してすぐ感じた事がある。
この街は──臭い。
最初、人が多いせいだと思ったのだが、どうやらそうでは無さそうだ。
臭いのは、まあ慣れる。
しばらく経てば、気にならなくなることはなる、が⋯⋯。
俺は匂いに慣れるのが嫌いだ。
俺にとって匂いに慣れるってのは、嗅覚が鈍るってことと同義だ。
野生育ちのせいか、本来感じ取れるものが感じ取れないってのは嫌なのだ。
ま、しばらくはこの街で勇者を探す訳だし、匂いの原因を排除出来るならしておこう。
慣れてきたとはいえ、流石に発生源に近づけば匂いは強くなる。
なので、発生源の特定は容易だ。
匂いを辿れば済む。
「クンクン⋯⋯こっちだな」
匂いを辿りながら移動すると、海が見えた。
港だ。様々な船舶が泊まっている。
まあ、港町だから当然か。
俺は更に匂いを辿り⋯⋯どうやら発生源らしい船を発見した。