第6話 羊飼いの嘆願(被害者視点)
『ニルニアス王国マーラン伯爵領下、イスト村の村民、タッドの嘆願』
私は長年牧羊に携わっております。
放牧というと、皆さんのんびりしたものをご想像なさるかも知れません。
しかし、その内実はトラブルの連続です。
羊の群れを襲うのは、何も猛獣だけではありません。
武装した盗賊がその日の食料や、勿論売りさばく目的で羊を狙ってくることなど日常茶飯事です。
そのため我々イスト村の村民は、腕に覚えのある村人⋯⋯まぁ、私もそうですが、放牧する際には羊の世話人兼護衛として放牧に同行します。
イスト村では武芸の腕を磨くため、幼いころから訓練し、王都に兵隊として出稼ぎに出るというしきたりがあります。
実際私も、王都で三年ほど従軍経験もありますし、竜狩りの任務に付き、自慢ではありませんが二頭ほど仕留めた事もあります。
もちろん、当時の同僚と協力してですが。
口調が村人らしくないのは、その従軍経験のせいかも知れません。
⋯⋯その竜を見て、瞬時に「これは無理だ」と悟りました。
単に身体が大きい、とか、そういうことではなく、身に纏った風格と申しましょうか⋯⋯浅学な私には『王者の風格』としか表現できません。
御伽噺に出てきた『竜王』とは、おそらくあのようなドラゴンを指しているのでしょう。
あれに比べれば、私が今まで見てきた竜など、蜥蜴も同然です。
なんせその竜が、翼をはためかせただけで突風が舞い上がり、殆どの羊が倒れました。
その後に聞こえたのは、快晴であったにもかかわらず、激しい落雷のような音でした。
そのドラゴンの発した、鳴き声です。
竜が一鳴きすると、羊たちは逃げるどころか起き上がりさえしませんでした。
ショックで気絶してしまったのです。
獲物が逃げる心配が無くなったからでしょう。
竜は私が見てる前で、まるで見ているものなど存在しないかのように、ゆったりと、上等なフルコースを優雅に食べ進める王侯貴族の方々のように、我々の羊を貪り始めました。
と申しましても、貴人の方々の御食事風景など、伝聞や物語でしか存じ上げませんが⋯⋯。
しばらく茫然として、羊たちの骨が砕ける、どこか非現実的な音をただただ聞いていました。
するとそのドラゴンの背から、一人の男が降りてきました。
大きな体躯に、後ろで束ねた長い白髪、褐色の肌の持ち主です。
袖から覗く腕は、尋常な鍛錬では得られない程の高密度な筋肉を感じさせました⋯⋯まさに、暴虐を体現するかのような。
男は、私の側に来ると言いました。
「俺の竜が先走ったようだ、許せ」
その表情は、とても許しを乞う態度には見えませんでした。
まるで、全てを睥睨するような⋯⋯。
そのような態度は当然でしょう。
男の言葉を信じるなら、あの恐ろしい竜を従え、手懐けているのですから。
「悪いドラゴンではないのだがな、たまに『おいた』が過ぎるところがあってな」
その男は「クックック」と、自分の言った質の悪い冗談に笑い、次に懐から袋を取り出すと、そこから何かを取り出し、私に向かって放り投げました。
その時は何かわからなかったのですが⋯⋯後で拾うと、それは黄金でした。
実際、食べられた二匹の羊の対価としては過ぎたるものでしたが⋯⋯戯れに行われた施しなのは、その後のやりとりで明白です。
「足りるか? 足りなければ⋯⋯」
こちらを試すような男の言葉に、私は必死に、何度も頷きました。
男の目が語っていたのです。
「足りなければ、仕方ない、お前もドラゴンの餌にしてやろう」
と。
あまりの恐怖に、私は震えを抑えることができませんでした。
次に男が獰猛な笑みを浮かべたその時、太陽に雲がかかりました。
男の顔から視線を離せなかったからでしょう、私は、僅かな変化に気が付きました。
薄暗くなったことにより、起こる変化⋯⋯恐らく、ご想像の通りです。
そう、虹彩です。
ご存知のように、闇に生きる魔族たちの、人間とは違う一番の特徴です。
薄暗くなったにも関わらず、その男の目は、「ギラリ」と、光を強くしたように見えました。
同時に男は言いました。
「────助けてやろう、俺は義理堅いからな」
瞳の変化によって引き起こされた恐怖のためか、最初の部分はちゃんと聞こえなかったのですが、恐らくこう言ったのでしょう。
『命ばかりは助けてやろう、俺は義理堅いからな』
と。
その様はまさに、人の命を気分一つで弄ぶ、そう⋯⋯神官様の話に聞いた「魔王」そのものでした。
竜の食事が終わると、彼らは東へと飛び立ちました。
命が助かった事に安堵する暇もなく、羊を起こし、急いでそこを離れました。
そこに止まれば、あの男の気まぐれ一つで、我々は殺されるかも知れないのですから。
私以外の護衛は何をしてたって?
居ませんでしたよ。
全員、その竜を遠目に見た瞬間逃げ出したのです。
私はよくその場に留まった?
勇気がある?
ご冗談を。
恥ずかしながら⋯⋯竜を一目見て、腰を抜かしていたのです。
そんな私を誰も顧みず、皆、一目散に逃げだしたのです⋯⋯。
お願いです、どうか! 勇者様に、あの竜と、あの恐ろしい男の存在をお知らせ下さい!