第32話 俺の奢りだ
「ん? この匂いは⋯⋯」
アレンポートに到着前、オッサンを預けたのとは別の、街道沿いの村を通りがかった時、甘い匂いが俺の鼻を刺激した。
そちらに目をやると、こぢんまりとした建物の前に、長椅子が置いてある。
店の軒先には「茶屋」との表記。
茶を飲む場所ってことか。
店からちょっと離れた、開けた場所に数人の男女がいた。
集まって何やら話しているが、俺は地獄耳だからって、人のプライバシーにまで侵害しない。
だから聞き耳を立てたりしない。
以前、魔王様がトイレに入っている時に、中の音を聞いたのがバレて、三日三晩の連続魔法地獄を味わったからな。
「お腹の調子悪いんですか?」
なんて、変な優しさ出して聞かなきゃよかったぜ。
普段は俺の粗相なんて軽く笑う鷹揚な魔王様も、あの時ばかりはずっと無表情だったからな。
まるで罰を執行する機械のような責め苦。
永遠に続くかと思われた気絶のループ。
もうあんな思いはしたくない。
男女から視線を店に戻し、メニューがかかれた木板を眺める。
茶。
団子。
シンプルだ。
「ふーん、スイーツも置いているみたいだな」
ふふふ、こういう小さな店に思わぬ名品があったりするものだ。
まぁ、そんな経験ないけどな。
店の中を覗くと店員が待機していた。
おばちゃんだ。
「おーい」
「はいはい、何にしましょう」
「団子と茶をくれ」
「はい、銀貨一枚です」
ふっふっふ。
実は前回の訪問の時、オラシオンに渡したのは黄金の袋だけ。
金貨と銀貨は少量だが確保してある。
できる男は備えも万全。
俺は銀貨を払い、茶と団子を受け取る。
茶を啜り、団子を口にした。
うむ、シンプルだが、素材の旨味が生きている。
どうしても色々足したくなる菓子作りにおいて、あえて余計な味を足さない勇気。
あのおばちゃん、ああ見えてなかなかの職人と見た。
なんせ俺は数百年、素材しか味わうことがなかった男。
この判定は間違いないだろう。
「どうですか? お口にあいますでしょうか」
おばちゃんが俺に評価を求めて来た。
「ああ、うまい。素材の味が生きている。色々な味を足すのも職人の腕だろうが、できるだけシンプルに作るのも職人の腕。つまり、職人の腕が良い⋯⋯」
「あ! すみません! タレを付け忘れてました!」
「そうだろうと思った」
おばちゃんが団子を一旦下げた。
正直、もう一味足りないな、とは感じていた。
なんせ俺は数百年、素材しか味わって無かったせいで、物足りなさには敏感だ。
団子を待っている間暇なので、茶を啜りながら男女の集まりを再度見る。
なんか盛り上がってるな。
プライバシー? 知るかそんなもの。
俺は見たい物を見て、聞きたい音を聞く。
耳を傾けた瞬間、聞こえて来たのは⋯⋯。
「では、天が遣わした我らが救世主、魔王ウォーケン様に祈りを!」
ぶっ。
茶を吹いた。
救世主?
ウォーケン?
どういうことだ?
「お待たせしました、ごめんなさいね」
おばちゃんがタレ付き団子をもって戻ってきた。
良いタイミングだ。
「なあ、アイツらは何をやってるんだ?」
「ああ。私は最近東国からここに来て、ここに店を出したばかりだから詳しくは知らないんだけどねぇ、なんか魔王ウォーケンを信仰する人がいるみたいですよ」
あー、なるほど。
過去存在したって最強の大魔王、ウォーケンを信仰してるのか。
同じ名前だから焦ったわ。
俺、魔王じゃないし。
「なんかすごい人みたいですよ。強いのに、とっても優しいんだとか」
「ふーん?」
俺が聞いた魔王ウォーケンとはちょっと評判が違うが⋯⋯まあ、信仰ってのは人の目を曇らせるって言うもんな、そんな捉え方する奴も出てくるのだろう。
まあしかし、俺もいつか信仰の対象になるような男になりたいもんだ。
せめて魔将軍筆頭くらいにはならんとな。
とりあえず団子と茶を平らげる。
味はまあまあだったな。
絶品! とまではいかないが、まあまあ。
まあ、所詮はおばちゃんがやってる小さい店ってことか。
「ごめんなさいね、まあまあだったでしょ?」
「ん、まあ、そうだな」
わかっとんのかい。
「どうしても材料がねぇ。材料さえあれば、絶品団子を食べさせてあげられるんだけどね」
ふーん、絶品団子⋯⋯。
食いたいな。
「それは旨いのか?」
「まあ、東国では、おかげさまで毎日列ができてたねぇ。でも、いっぱい作んなきゃいけないから大変で、この辺でこぢんまりやろうと思って移ってきたのさ」
なるほど。
これは食わない訳にはいかないな。
「材料はどこで手に入るんだ?」
「うまっ! 団子うまっ!」
数週間後。
俺はおばちゃんの故郷まで材料を調達しに走り、おばちゃんに団子を作って貰った。
盗賊に絡まれたり、人間同士の戦争、その戦場を突っ切ったりと道中色々あったが⋯⋯まあ、些事だ。
邪魔する奴は全員ぶっ飛ばした。
幸いな事に、盗賊や戦場で出会った奴らに魔法使いはいなかったしな。
俺の旨いもの食べたいという欲求は、奴らごときには止められないぜ、はっはっは。
団子をムシャムシャ食っていると、おばちゃんが首を傾げながら言った。
「普通の人だと、数ヶ月から数年かかるんだけどねぇ?」
「俺は足が速いからな」
「そんな問題じゃない距離のはずだけどね、しかもこんなにいっぱい荷物抱えて⋯⋯数年分はあるよ、本当にお代は良いのかい?」
「ああ。そのかわり俺が来たときは、タダで団子作ってくれ」
「お安いご用だよ」
黄金の粒一つで買えるだけの材料を持って来た。
防腐用の魔法もかけてもらったし、しばらくもつだろう。
団子用の材料が足りなくなれば、俺がまた調達してもいい、そう思えるくらい旨い。
茶と団子。
素晴らしい組み合わせだ。
それぞれ単体でも旨い。
組み合わせるともっと旨い。
何よりこの団子だ。
今回はタレ無しだ。
おそらくあのタレを付けていたのは、素材がイマイチだったからだろう。
東国から用意した材料だと、どうやらタレに頼る必要もないみたいだ。
素材の味がそのまま生きている、シンプルながら奥深い味わい⋯⋯。
「あ、ごめんなさいね、またタレ付け忘れて!」
「そうだろうと思った」
タレ付きは、これはもう格別に旨かった。
おそらくタレも、材料で製造の工程が変わるのだろう。
団子だけでなく、タレも俺のおかげでバージョンアップ。
良い事をした。
そんな事を考えていると、おばちゃんが茶のおかわりを持って来てくれた。
「タレの材料は、この辺でも良いのがあるから、ここに店を出したんだけどね。やっぱり団子そのものは、材料次第だねぇ」
「ほう、ではタレは⋯⋯」
「食べてわかるだろうけど、前と同じだよ」
うむ、そういう事だ。
しかし、団子も良かったがケーキが食いたくなった。
俺は今度こそ、アレンポートに向かった。
「あれ⋯⋯こんなだっけ?」
奴隷市場の入り口。
あのロクサーヌと婆さんがいた、ボロい案内所があった場所についた俺は、少し困惑した。
やたらデカい建物に変わっていた。
砦を小さくしたような造りだ。
恐らく数十人が中で活動できるだろう。
中に入ってみると⋯⋯。
何人かの職員? ぽい奴らの中から、ゴツい男が俺に気がつき、走り寄って来た。
「ウォ、ウォウォウォウォーケン様!」
確かコイツは⋯⋯ああ、この匂いはマウンだったか。
ふふふ、俺は犬並の嗅覚で、匂いで人を識別できるのだ。
「なんだマウン、俺の名を忘れたのか? 俺は『ウォウォウォウォーケン』ではなく、ウォーケンだ」
「わ、わかってますよ!」
「もちろん、こっちも冗談だ」
「あっ! そう言えば聞きましたよ! ウォーケン様のおかげで、同胞の無念が晴らされた、と!」
「そうなのか?」
「はい。名前を口に出すのも憚られる男⋯⋯わかりますよね?」
名前を口に出すのも憚られる⋯⋯。
あ、あのオッサンかな?
そうか、オッサンは魔王様の工作員みたいなもんだからな、名前をあまり口にしない方が良いって事だろう。
「もちろんわかるぞ、その辺の事情は」
「我々の気持ちを汲んでいただき、ありがとうございます。奴はあのあと、色々な村をたらい回しにされ、まあその、『歓迎』されてですね」
「そうか」
「ええ。ウォーケン様がお優しいのは十分理解しておりますが、それでも逆らう者には容赦しない⋯⋯そうですよね?」
「ああ、そうだな」
「その辺が周りにも伝わるように、奴をトコトン利用して、キッチリやっておいた、と報告がありました。具体的には、まず、治癒魔法を使える術者を同行させ、ナイフをそれぞれの村の、村人の数だけ用意して⋯⋯」
「いや、そういうのは良い、任せる」
「はい、失礼しました」
要はあれだ、ワイロじゃないけど、奴を連れまわして、色々な村で歓迎して、色々な噂を流させた、って事だろ?
まず治癒魔法で奴を治療して、んで、ご馳走を用意して、村人全員でナイフを使って料理を切り分けた、とかだろ?
そんな事報告されても困るわ。
でも、まあ。
接待が、上手く行ったのかくらいは聞いとくか。
「奴は感謝してたか?」
「ええ。『やっと終わらせてくれるのか、ありがとう』って言ってたらしいです」
ははは、バカだなマウンは。
それはあまりにも歓迎しすぎて、逆にうんざりされてるだよ、皮肉って奴だ。
それを指摘しようとすると⋯⋯建物のドアが開いた。
タイミング悪いな、まあ、接待のアドバイスは今度⋯⋯って、俺も詳しくないから良いか、忘れよう。
入口から、なかなかお似合いの美男美女が中へと入ってくる。
ひとりはオラシオン、もうひとりは⋯⋯。
「ウォーケン様! ご無沙汰してます!」
美女が嬉しそうに俺に駆け寄ってきた。
この匂いは⋯⋯間違いない。
「ロクサーヌか? 見違えたな」
二年経ち、ロクサーヌはなかなかの美女になっていた。
「ありがとうございます。⋯⋯その、ウォーケン様、これ、どうですかね?」
髪の毛をいじいじしながら聞いてきた。
「ああ、似合ってる。思った通りだ」
「ほ、本当ですか! 嬉しいです!」
しかし、なぁ。
ちょっと引っかかる事がある。
それを指摘しようとすると、オラシオンが話しかけてきた。
「ロクサーヌは頑張りましたよ。ここ二年で魔法、それなりの体術、そして何よりウォーケン様のサポートができる程度には、様々な知識を叩き込んであります」
「ふーん」
「何より彼女は魔法の天才のようで。かなりのレベルで無詠唱魔法を⋯⋯といっても、当然ウォーケン様から見ればまだまだ拙いレベルでしょうが」
「ほう、見せてみろ。じゃあマウンにかけろ」
「えぇ!? 俺ですか!?」
「わかりました、いきますよー、えいっ!」
おっ。
なかなかの固有行動速度だ。
魔王様より、ちょっと遅いってレベルだ。
魔王軍の中でも、恐らく魔将軍クラスだろう。
といっても俺は魔法を使えないので、俺以外の、ということになるが。
「あたたたたたっ! し、痺れる!」
リアクションを見るに、おそらく、魔王様がよく使う極小雷撃のようだ。
しかし、マウンは情けないな。
「その程度で叫ぶな、見苦しい」
俺なんか叫ばないよ?
気絶するからな。
ロクサーヌは魔法を止めたあと、俺に聞いて来た。
「ウォーケン様、どうでしょうか? 私の魔法は」
「なかなかのもんだ。しかし上には上がいる、それを忘れるなよ」
魔王様とかな。
「はい!」
「でも、頑張ったのはわかった、偉いぞ!」
「⋯⋯はい! はい! ありがとうございます、ウォーケン様!」
ロクサーヌは俺が褒めると、興奮したように喜んでいる。
それ自体は、俺も嬉しい。
だが⋯⋯ウォーケン様、か。
「ロクサーヌ」
「? 何でしょうか、ウォーケン様」
「それをやめろ」
「それ、とは?」
俺の指摘に、ロクサーヌは困惑した様子で表情を曇らせた。
「その、ウォーケン様っての、やめろ」
「しかし⋯⋯オラシオン様にキツく命じられてます、部下としての節度を持て、と」
「お前がいつから俺の部下になった?」
「⋯⋯えっ?」
ロクサーヌは何か傷ついたような表情になった。
アホか。
傷ついたのは、俺だ。
俺はオラシオンを睨みつけた。
「お前か? ロクサーヌに変なこと吹き込んで、俺の部下みたいに扱ったのは?」
「は、その、申し訳ありません⋯⋯」
オラシオンは冷や汗を流し、マウンは少しオロオロしている。
周りの職員達も手を止め、建物の中に緊張感が走ったのを感じる。
全く。
これだけいて、誰も、俺の気持ちを理解してない。
勝手に部下みたいに振る舞いやがって。
とはいえ、ロクサーヌもまだまだ若造。
その辺の、人の心の機微を察しろというのも酷な話だ。
こっちが折れてやるしかないか。
俺は笑顔を浮かべながら、ロクサーヌの肩に手をおいて諭した。
「俺とお前は、スイーツ友達だろ? 友人だ。勝手に部下になるんじゃない。俺はお前に『旦那』って呼ばれるのが好きなんだ」
こっちに来て、初めてできた友人が、いきなりよそよそしくなってたら寂しいわ。
そんな事もわからんのか、こいつ等は。
「⋯⋯そうでしたね、大変失礼しました」
オラシオンは少し笑顔になり、頭を下げた。
すぐに察したか、やっぱりこいつは良い奴だな。
マウンは、またなにか勘違いしたのか
「ウォーケン様! 俺はアナタに一生ついて行きます!」
そんな宣言をしやがった。
空気を読め、空気を。
職員達に走った緊張も、今は緩和している。
目を拭っている奴もいた。
そんなに怖がらせたかな⋯⋯なんかすまないな。
ロクサーヌはしばらく呆けたように俺の顔を眺めていたが⋯⋯やがて自我を取り戻したように言った。
「あの、すみません。もう、ウォーケン様と、様付けで呼ぶのが癖になっているので⋯⋯間を取って、『旦那様』で良いですか?」
ん?
それだと⋯⋯ちょっとニュアンス変わらないか?
まあ⋯⋯良いか。
本人がそれが呼びやすいってんなら、そのくらい折れてやろう。
「ああ。それで良い」
「ありがとうございます、旦那様。私、嬉しいです、友人だなんて」
ロクサーヌは嬉しそうに、肩に置いてあった俺の手にそっと触れた。
⋯⋯。
なんだろう、この感じ。
変な予感がする。
例えるなら、二頭の竜。
一匹は、絶対王者に相応しい威容を湛えた、堂々とした竜。
もう一匹は、そんな王者に戦いを挑む、新進気鋭の、若手の竜。
そんな竜同士が、何かを奪い合うために、死力を振り絞り戦う。
そんな未来の予感。
⋯⋯ま、俺には関係ないか。
「それではウォーケン様。様々な手筈は既に整っております。御命令頂ければ、すぐに動けます」
オラシオンが聞いてくる。
勇者を探してくれる、って事かな?
まあ、それは後でいい。
「ではまず、予約しろ」
「予約?」
「ああ。ロクサーヌに聞けばわかる。ロクサーヌ、わかるな?」
ロクサーヌは少し考えたあと⋯⋯花のような笑顔で言った。
「あ、あのお店ですね、約束しましたもんね、旦那様!」
そう。
彼女の髪が伸びた時。
そう約束した。
そして、時は来た。
俺はその場にいる職員達、その全員に聞こえるように叫んだ。
「さあ、全員で、まずはケーキを食いに行くぞ、俺の奢りだ!」




