シュヴァルツ王国の婚約破棄〜妃の資格と役割と〜
「ローザリア・ノワール! 貴様は侯爵令嬢という身分を笠に着て、我が愛する唯一の女性エリシア・ネーロ男爵令嬢を貶め、蔑み、見下すだけに留まらず、取り巻きを使いありとあらゆる悪意の洗礼を浴びせたこと、到底許すことはできぬ! 貴様の振る舞いは、将来の王子妃の座を約束された者として、余りにも目に余る所業である! よって、第二王子たるクレイドの名において宣言しよう! 悪辣極まるノワール侯爵令嬢との婚約は即刻破棄し、天使のごとく清らかで愛らしいエリシアを新たな婚約者とすることを!」
堂々と、朗々と。
大国の王子たるに相応しい態度と声音と立ち居振舞いで、シュヴァルツ王国第二王子クレイドは、王立学園最後の晴れ舞台である卒業パーティーの場で、誰もが耳を疑うことを言ってのけたのだった。
取り分け、女生徒たちの間に広がるざわめきは大きい。
「……『天使のごとく清らか』ですか。何と申しますか、クレイド殿下は令嬢というものに、夢を見すぎではございませんこと?」
「ええ。本当に『天使のごとく清らか』に令嬢を育てたのだとしたら、そのご両親は貴族としては子育てに大失敗をしたと言うほかありませんわ」
「まあ、ネーロ男爵領は国境にほど近く、土地も領民たちものどかな場所とのことですから、エリシア嬢は生まれ育ちには相応しいお人柄と言えるのではないかしら? 無論、彼女が殿下の仰る通りの人物であれば、の話ですけれど」
「あら、でもご覧になって。エリシア嬢のネックレス、大粒のダイヤモンドが散りばめられた、明らかにオーダーメイドとしか思えない代物でしてよ」
「おまけにドレスも、見るからにネックレスと合わせたデザインですわね。どちらも、財産は爵位相応レベルでしかないネーロ男爵家では、どう足掻いても用意できるものではありませんから……あらあら、そのような高価極まりない贈り物を、家族でも婚約者でもないお方から受け取るばかりか、公の場で堂々と身につけて憚らないとは、『天使のごとく清らか』が聞いて呆れますわね?」
くすくす、くすくす。
クレイド曰くの『ローザリアの取り巻き』たちが、聞こえよがしの嘲笑を洩らせば、エリシアの可憐な顔立ちが主に怒りで真っ赤に染まり、クレイドもまた実に分かりやすく顔色を変えた。
再び彼が口を開こうとした刹那、年齢には不似合いなほどに落ち着いた声が、先ほどの宣言に勝るとも劣らぬ凛とした響きを持って機先を制した。
「婚約破棄の件、喜んで、いえ謹んで承りますわ。ですが一つ、殿下にお伺いしたいのですがよろしいでしょうか?」
うっかり本音をこぼしたものの、そうとは感じさせない優雅な仕草と口調はまさに王家に嫁ぐべき令嬢に相応しく、薔薇の化身とも評される容姿とも相まって、いとも容易く見る者の感嘆の吐息を誘う。
もっとも、元婚約者のそんな様子を、肝心のクレイドは鼻で笑って流してしまう。
「ふん、まさか証拠がどうのと言うのではあるまいな? そもそも現在進行形で、貴様の取り巻きたちがあからさまにエリシアを嘲笑っているではないか」
「嘲笑う、ですか。そうされるだけのことをエリシア様がなさっている、というお考えには至らないのですね?」
「当然だ! エリシアは第二王子たる私の婚約者だ。その立場に相応しい装いをすべきで、それを婚約者である私が用意して何が悪い!」
……婚約破棄についてローザリアが了承したのがつい先ほどの話で、エリシアのドレスとネックレスは当たり前だがその遥か以前に用意された物である。つまりエリシアのためと称して、クレイドが「相応しい装い」を注文した時点での彼の婚約者は、紛れもなくローザリアであったはずなのだが、時系列も何もかもを完全に無視している彼にはそんな理屈は通用しないらしい。
まあ、当のローザリアにはそんなことは既にどうでもよく、彼に聞きたいことも全く別の話だった。
「わたくしがお伺いしたいのはただ一つのことですわ。──クレイド殿下にとって、第二王子妃とはどのような役割を持つ存在なのでしょう?」
「決まっているだろう! 我が妃は、誰よりも美しく愛らしく清らかで愛すべき存在で──」
「主旨をはき違えないでくださいませ。わたくしの質問は、『どのような存在か』ではなく『どのような役割を果たすべきか』ということです」
よく言えば惚気、ありのままを言えば単なる戯れ言に過ぎない口上を容赦なくばっさりと断ち切る言葉は、熱烈な恋に浮かれるクレイドすらも完全に黙らせるほど厳しい響きを宿していた。
そんな恋人をかばうように、パーティーに見合った装いの侯爵令嬢を遥かに凌駕する華やかなドレスをまとった男爵令嬢が、いっそ滑稽なほどに真摯かつ挑戦的なまなざしを向けてくる。
「ローザリア様! どうしていつも、そんな風にクレイド様に厳しく当たるのですか!? 婚約者に冷たくされてばかりのクレイド様のつらさや寂しさを、どうして貴女は分かって差し上げないのです!!」
「まあ。むしろ冷たく当たられているのはわたくしの方ですのよ?」
ぱさりと扇を広げて口元を隠し、淑女の鑑とも言うべき気品溢れる仕草で応じるローザリア。
「婚約当初よりの六年間、『この婚約はあくまでも双方の両親が決めたことで、私の意思で貴様を選んだのではないのだから図に乗るな』と、何度殿下に言われたことか、数えることすら嫌になるくらいですわ。そんな態度を婚約者に取られ続けたわたくしの方こそ、つらさや寂しさを分かっていただきたいところなのですけれど?」
「実にもっともな言い分ね。ローザ、わたくしでよければいくらでも愚痴を聞くので、近いうちにまた王宮へいらっしゃいな。その代わりにこちらの愚痴もきっちり聞いてもらうことになるけれどね?」
「恐縮ですわ、王太子妃殿下」
完璧なカーテシーを披露した先にいるのは、クレイドの兄である王太子とその妻だった。
光を放つがごとき美貌の王太子妃は、婚前の名をダリア・ノワールといい、ローザリアとは三つ違いの実の姉で、第一子の王女を昨年産み落としたばかりだが、今は再びの懐妊の徴候を示している。
そのダリアの夫であり、ローザリアには義兄に当たる王太子カイランは、弟とよく似た顔立ちながらも、優雅さよりは精悍さを強く感じさせる空気をまとい、酷く楽しげにクレイドを眺めていた。そのまなざしは兄が弟を見るものと言うより、追い詰められた愚か者を眺める完全なる第三者の目線でしかない。
そんな次期国王は、こう言って第二王子に答えを促す。
「私も是非聞きたいものだな、クレイド。美しいばかりでなく聡明かつ賢明な婚約者よりも、『天使のごとく清らか』な男爵令嬢とやらが第二王子妃に相応しいとするその理由を。──言っておくが、王子妃というものは、単に夫や周囲の者たちに愛され、妻としての役割のみを果たしていればいいだけの役割ではないぞ?」
「わ、分かっています! 第二王子妃とは、社交や外交は無論のこと、有事の際は王太子妃や王妃の代理を任せられるべき地位である……と、いうこと、は……」
そこまで自ら口にしたことで、クレイドはようやく、ローザリアの質問の意図を理解したらしかった。
さあっと青ざめた第二王子に、元婚約者がまばゆいほどの笑顔で追撃を繰り出す。
「ええ、全く以て仰る通りですわね。──つまり、クレイド様はこう仰りたいのでしょう? 七年間に渡りお妃教育を叩き込まれてきた王太子妃たるお姉様の代わりを、学生の身である令嬢の嫌がらせ程度にもろくに対処できないような、そんな頼りない令嬢が務められると。王太子妃という役割はその程度のものでしかないのだと、そういう認識でいらっしゃるということでよろしいのですね?」
──その場にいる全ての者が美しいと評するに違いない笑顔が、同時に命の危機すら感じさせるほどに恐ろしい。
身の震えを抑えきれないクレイドを見かねてか、王太子妃ダリアが、いっそ場違いなほどに明るく軽やかな声を妹にかける。
「ローザ、わたくしのことで怒ってくれるのは嬉しいけれど、今はそのくらいにしてさしあげて? このまま完膚なきまでに叩きのめしてしまっては、カイラン様やわたくしのお仕置きを受ける余裕がクレイド殿下になくなってしまって、つまらないことになってしまうもの」
「あら、そうですわね。申し訳ございません、両殿下」
「いや、謝るほどのことではない。ローザリア嬢の怒りは至ってもっともなものだからな。そもそも、不肖の弟の面倒を見るなどという厄介極まりないことを、六年間も押し付けてしまった王家の方こそ頭を下げるべきだろう」
「まあ、勿体ないことですわ。王家と我が家の契約で、クレイド殿下との婚姻は『白い結婚』とすることとなっておりましたから、わたくしの方はさほどの心理的負担はありませんでしたのに」
「な!? し、『白い結婚』だと!? 聞いていないぞ、そんなことは!」
エリシアを『我が愛する唯一の女性』だと宣ったその口で、ローザリアとの結婚が子作りを伴わないものとなる事実に盛大に動揺するさまは、令嬢たちに冷ややか極まりない視線を注がれる。
ローザリア当人は小首を傾げて、元婚約者に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「以前、クレイド殿下ご自身が仰ったことではありませんか。『まさか姉に続き、妹までもを王家に嫁がせようとするとは。ノワール侯爵家の権力欲の限りなさは、いっそ見苦しいほどだな』と。わたくしが第二王子妃として選ばれたのは、同世代の令嬢の中で最もその地位に相応しいからと、他ならぬ陛下がお選びになったためですのに。いくら何でもそうまで言われるのは流石に心外でしたので、クレイド殿下には側妃を迎えていただく前提に契約を変更していただいたのですわ。正妃とて子がいなければ、さほどに権勢を振るえる立場にもなりませんし、我が父も極端な権力の偏りは好ましくないと思っておりますし。何よりわたくしとしても、尊敬も信頼もできない夫との間に子をもうけることなどしたくありませんもの。殿下への説明に関しては、陛下と父が直々になさってくださったと伺っておりますけれど……まさか聞き流していらしたとでも?」
「うぐ……」
言われてみれば学園入学直前に、二人がかりで何やら言われた記憶がないでもないクレイドだった。どうせ説教の類いだと決めてかかり、右から左へ素通りさせていたのだが。
「何にせよ、そういうわけですので。エリシア様の存在を厭ったことなど、わたくしは今まで一度もありませんのよ?」
「う、嘘です! それならどうして私に、ローザリア様のお友達が嫌がらせなんて──」
「それは、貴女がクレイドの正妃の座を望んでいると、王家に報告が入ったからだ」
何を当たり前のことを、とでも言いたげな口調で王太子が口を挟んだ。
「野心があるというのは、度が過ぎさえしなければむしろ好ましい要素でもあるからな。生まれ育ちがどうあれ、その座に相応しい資質と力さえあれば、王家に迎えるのもやぶさかではないのが我が国の在り方だ。いわば今回の嫌がらせは、エリシア・ネーロ嬢、貴女に対する王家からのテストだったのだよ。ローザリア嬢とその友人たちには、ただこちらに協力してもらっただけのことだ」
「……で、では。そのテストの結果は……?」
恐る恐る尋ねながらも、薄々悟っているのだろう。エリシアの顔色は、恋人と同じかそれ以上に悪い。
王太子はにやりと笑い、それはそれは楽しげに告げる。
「如何に甘言に弱いクレイドとは言え、そこにつけこみ己の望みを最短で叶える狡猾さや、入学後の短期間で男たちに媚を振りまき、その尽くを味方に付ける手腕は大したものだ。正直、ただの男爵令嬢にしておくには惜しいと思う程度には見事な立ち回りだったぞ」
「……では!?」
ぱあっ、と可憐な花のようなエリシアの顔に、期待に満ちた笑みが浮かぶ。
王太子の口元の笑みがさらに深まり──
「生憎、それだけでは合格点にはほど遠い。嫌がらせの事実をローザリア嬢を蹴落とすのに使うまでは良いとして、その根回しが甘すぎる。クレイドに公衆の面前で婚約破棄の宣言などをさせるより、第二王子という恋人の立場を上手く利用して、国王や王太子に事前に話を通し、ノワール家に働きかけるところまでやれたとしたならば、まだ考慮の余地があったな。……まあ、それに関してはクレイドの浅慮も大きかったのだろうが、それを止めることもできぬようでは、尚のこと王子妃など任せられぬというものだ」
「王太子妃の立場から言わせていただくなら、ローザが期待したように、毅然たる態度で令嬢たちの嫌がらせに対処するか、最低でも撥ね付ける様子を周囲に見せつけてくだされば合格でしたわね。学園内の出来事でもありますし、許されるぎりぎりのラインを見極めた仕返しができたならさらに高ポイントでしてよ」
にっこりと、この上なく優しく清らかな微笑でアドバイスするダリアだが、その内容は王太子の批評同様に恐ろしくハードルが高い。
「ご、ご助言は大変ありがたく思いますけれど! そんな、お二人が仰るようなことは、一介の男爵令嬢にできるものではありません!」
泣き言めいたエリシアの言葉にも、王太子夫妻は全く動じることはない。
「あら、そもそも『一介の男爵令嬢』ならば、第二王子の正妃の座などを頭から狙いに来たりはしないものではなくて?」
「全くだな。おまけに婚約者の侯爵令嬢を蹴落とすことまで企んでいたのだから、エリシア嬢のしたことは、間違いなく『一介の男爵令嬢』の行動とは言えないだろう。ローザリア嬢はどう思う?」
話を振られたローザリアは、達観した風情ながらもどこか楽しげに元婚約者へと目を向ける。
「どうと仰せられましても、クレイド殿下がお望みになったのが、『第二王子妃に相応しい令嬢』ではなく『天使のごとく清らかで愛らしい、一介の男爵令嬢』であるエリシア様ですので。裏であれこれと暗躍したり、恋敵を蹴落とそうと画策したりするような、ある意味ではとても貴族令嬢らしい存在など、殿下は求めていらっしゃらなかったはずですわ。そうですわよね、クレイド殿下?」
「……く……! つまり私は、エリシアに騙されていたと言うのか!?」
本人なりに真剣な苦悩なのだろうが、兄にして王太子たるカイランには呆れる以外の選択肢はなかった。
「と言うよりも、自分から全力で騙されに行っていたのだろう。そもそもお前の言う『天使のごとく清らかで愛らしい令嬢』とやらが、陰謀や腹芸が標準装備の王宮で、王子妃としてまともにやっていけるはずがあるまい? 王族という、清濁を併せ呑まねばならぬ立場ゆえに、言わば精神的なオアシスとして『清らかで愛らしい』伴侶を欲したのだろうが、そういった役目を求めるのならば、それこそローザリア嬢の望む通り、ネーロ嬢は政務に携わる必要のない側妃に据えるべきだったな。──クレイドよ。お前はその程度の判断もできぬほどの腑抜けに成り果てたか」
「それは……っ!」
「まあまあ、カイラン様。クレイド殿下は、他のことなど何も目に入らないほどにそちらの男爵令嬢を愛していらっしゃるのですわ。そこまで想い合っているお二人を引き離してしまっては、流石にお可哀想というもの。如何ですか? カイラン様のお力で、お二人が末永くご一緒に暮らせるようお取り計らいになっては」
慈愛に満ち溢れた笑みを浮かべながらそんな提案をするダリアは、聖母を思わせるほどに美しく優しげだが、肝心の提案の本質は実に王太子妃に──為政者の妻に相応しいものだった。
無論、そんな妻を心から愛し、常日頃から以心伝心であるカイランに、それを拒む理由は何もない。
「相変わらずの優しさだな、ダリア。──どちらにせよ、如何に弟とは言えど、これほどに愚かな振る舞いを皆に見せつけてしまった者を、時には『王太子の代理』を務めるべき第二王子という立場にしておくのは不安でしかない。よってクレイド、王太子カイランの名において、今この時を以て王族からお前の籍を抜く。これからは一貴族として、まずはネーロ家へと婿入りする準備を急ぎ進めよ」
「なっ──!? お待ち下さい、兄上! そのようなことは、恐れながら如何に王太子たる兄上でも、独断でお決めになれるようなことでは──!」
「それをお前が言うのか? 国王たる父上により決められたローザリア嬢との婚約を独断で、それも明らかに非のある立場でありながら、公衆の面前で破棄することを声高に宣言したのは一体どこの誰だったのか、よくよく思い出してみるといい。それに今回の件に関しては、私は最初から父上より、対処の全権を任されているのでな」
「うぐっ……!」
苦し紛れの反論を倍にして返され、あえなく沈黙するクレイドだった。
そんな彼からじりじりと遠ざかろうとする少女がいたが、当然見逃してもらえるはずもなく。
「まあ、エリシア様。最愛のクレイド様を放ってどちらへ行かれるおつもり? 想いを通じ合わせた恋人を、無事にお婿として迎えられることが決まったにしては、やけに顔色が悪いようですけれど」
「あ! そ、その……私、急に気分が悪くなりましたので、できればこのまま退出させていただければと……」
さりげなくかけられたローザリアの声に、精一杯の演技で急病を装ってみせるが、そんなものに騙されるほど、王子妃教育もローザリア自身も甘くはない。
「あら、それはいけませんわね。間もなく正式な男爵夫人となる御方に、何かあっては一大事ですわ。医務室まで、我が家の護衛にしっかりとエスコートさせましょう」
「い、いいえっ! そんな畏れ多い! 一人で大丈夫ですから、本当に!」
「遠慮することはないぞ。何ならクレイドにも付き添わせるので、二人で結婚式に向けた話し合いなどをすれば、気分も紛れるのではないか?」
「まあ、素晴らしいこと。クレイド様、もしよろしければ、わたくしの女官や侍女をお貸しいたしますわ。ネーロ男爵家にふさわしい、さぞや楽しく素敵なお式になるよう、全力で取り組ませますのでご期待なさってくださいな」
王太子夫妻にまで、流れるように追い討ちをかけられては、逃げ場などどこにもあるはずはなく。
──がくん、とエリシアの膝が折れ、彼女は完全に敗北したのだと、嫌でも自覚するしかなくなったのだった。
それから十日と経たぬうちに、クレイドの王族籍剥奪とネーロ男爵家への婿入りが完了し、正式に国内に周知された。
とは言うものの、王族としての暮らしに慣れきったクレイドが、片田舎の男爵領での生活にすぐさま適応できるはずもない。以前の生活水準を保とうと、かつてエリシアにプレゼントしたアクセサリーやドレス一式──本来ならば婚約費用の不正使用となり、王家に返還する金額調達のため売却されるべき品物だったが、婿入りに際した贈り物として相殺扱いとされ、所持を許されていた──を売り払ったりしたため、毎日のように盛大な夫婦喧嘩を繰り広げているという噂が、王都にまで聞こえてきていた。
そして、残る当事者であるローザリアはと言えば、婚約破棄に伴い、未来の王子妃たる立場から解放される──ということには、残念ながらならなかった。少なくとも完全には。
「というわけで、ローザには是非とも、僕の婚約者になってもらいたいな」
「……留学なさっていた二年間ずっと文通をしていた相手へ、何の知らせもなく突然帰国なさるような薄情な御方に、突然そんなことを言われてわたくしが頷くとでも?」
ノワール侯爵邸の中庭にある東屋にて。
つんっとそっぽを向いて冷たく言い放つローザリアを、王弟たる父に次ぐ継承権第三位に繰り上がったゴードン・ブラックモア公爵子息は、ただただ愛しげに微笑みつつ優しく見つめていた。
一つ年下の元第二王子と似通った美貌をもち、姉妹の兄ヴィクターと並んで王太子の片腕と謳われる明敏な青年は、誰より愛しい少女の手をそっと捕らえ、許しを乞うように持ち上げて甲に額を当てる。
「怒らせてしまってすまないと思っているよ。『第三位の王位継承者を、他国で遊ばせておくなど言語道断』という、陛下とカイラン殿下のお言葉で急遽、拒否権も何もなく呼び戻されたんだ。まあ、とうの昔にあちらの大学のカリキュラムは終えていたし、ローザの婚約が白紙になった以上、仮に拒否権があっても行使する気はなかったけれど。継承権にしても、妃殿下のお腹の子が王子であればすぐにまた下がるわけだしね」
「知りませんわ、そんなこと。どんな理由があれ、ゴードン様がわたくしに不義理を働かれたのは事実ですもの」
すっかり拗ねているものの頬が赤いローザリアをどう軟化させるか、楽しく思考を巡らせるゴードンである。
──ひとまずは、クレイド元殿下との「白い結婚」の契約について、理由を一つ残らず問いただすことから始めようかな。
ローザリアを心から愛すればこそ、その義務感や使命感をきちんと尊重していたゴードンは、積極的に従弟を蹴落とすつもりはなかった。無論、彼女の婚約に伴う契約について、カイランから正確なところを聞かされていたせいもある。
けれどこうして、クレイドが見事に自滅してくれた以上、ローザリアと正式な夫婦になるのを阻む理由は何もない。
二年前の留学前日、存分に味わった甘い唇の記憶を思い返しながら、ゴードンはさりげなく距離を詰めてローザリアのすぐ隣に座り、抵抗を許さぬ優しさを以て指を絡め取るのだった。
お読みいただきありがとうございます。
読み返せば、登場人物の台詞が随分と長めですね……大変申し訳ありません。
第二王子のテンプレ婚約破棄に、既婚王太子を混入したらこうなりました。夫妻が強すぎて主人公が霞む問題発生。
第二王子テンプレだとヒーローポジになりがちな王太子ですが、「卒業パーティーでの第二王子の婚約破棄→悪役令嬢とは、学園卒業後すぐに結婚予定だった→なら、兄王子兼王太子はとうの昔に結婚してるんじゃ?」という疑問から出来たお話です。ちなみにカイランは二十三歳で、妻より二歳年上。次の子は期待通り男の子です。
なお、ゴードンは飛び級で学園を卒業後に留学しており、もとからローザリア一筋なので婚約者はいませんでした。王弟の意見は、「息子の後を継ぐものがいないなら、爵位や領地は国に返せばいいか。どうせ王弟だからもらっただけのものだし」という感じです。軽いですが野心ゼロな王弟殿下。息子も同類です。
ちなみに「野心ゼロ=腹黒くない」の方程式は成立しない血筋とお国柄。なのでお家存続は関係なく純粋に孫を抱っこしたいから、下の甥の女性の好みを調べ上げて某令嬢にさりげなくリークしたり、父親の行動を察知しつつも留学中だし何もしないとかはあったかもしれません。たぶん陛下は苦笑い。
もしローザリアが予定通りに王子妃になっていれば、ゴードンとはアントワネットとフェルゼン的な関係になっていたかと。それはそれでクレイドが面倒なことになるんでしょうけど。




