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夏合宿の夜 一度もレギュラーチームに入れなかった先輩が引退する話

作者: 河瀬みどり

わたしは高校生のとき、ダンス部に所属していました。


ダンス部には、大会で踊ることができるレギュラーチームと、それ以外の人たちから構成されるサブチームがあります。


といっても、ダンス部に所属している人数はそう多くありません。

なので、三年生になればだいたいレギュラーチームに入れます。

わたしの一つ上の学年でも、レギュラーチームに入ったことがない先輩はたった一人しかいませんでした。


わたしが二年生で、その先輩が三年生の夏。

その夏も、ダンス部員は全員、毎年恒例の夏合宿に参加していました。


朝から晩までダンス漬けの日々です。


レギュラーチームは全国大会の予選に向けて、サブチームは先輩たちが引退した後の大会に向けて、それぞれ練習を重ねます。


二年生の中でも中くらいの実力だったわたしはサブチームに所属していて、その先輩はサブチームでたった一人の三年生でした。先輩はわたしたち下級生に混じって、自分は決して大会で踊ることのないダンスの練習を受け続けるのです。


先輩が担当しているパートは、いわゆるエースが担当する役割で、三年生が引退したあとは、レギュラーチームに入っている二年生がその先輩の役割を引き継ぐことになっていました。


合宿も最終日に近づいた夜、わたしがトイレから出ると、自動販売機でジュースを買っている先輩と出くわしました。わたしは一人で、先輩も一人で、わたしたちはばっちり目が合いました。


その瞬間、わたしの中に小さな稲妻が走って、


「先輩、ちょっと来てくれませんか?」


と言って、わたしは先輩を宿泊施設の外に連れ出したのです。


それは、むわむわと蒸し暑い、夏の夜でした。宿泊施設は小高い山の中腹にありましたので、わたしが普段住んでいる街よりも星が綺麗に見えました。


「ちょっと飲む?」


先輩は手に持った炭酸飲料をわたしに差し出しながらそう言いました。


わたしは雰囲気にのまれて、遠慮する言葉も挟まずにアルミ缶を受け取って炭酸を少し飲みました。


わたしがアルミ缶を返すと、先輩はごくごくと炭酸を飲んでひと息つきました。


「先輩、聞いてもいいですか?」

「なんでもきいてよ」


先輩が薄く笑うと、少し風が吹いて、まるで空気がはにかんだようでした。


「先輩は、ダンス部にいて楽しかったですか?」


わたしの質問の意図を先輩は敏感に感じ取ったようです。

先輩は真剣な表情になって、夜空を見上げました。


「めちゃくちゃ楽しかった。いつ人生を振り返っても、ダンス部に入ってて良かったってわたしは言うと思う。だって、こんな一生懸命な人たちに囲まれて、わたしは三年間ずっと、一生懸命やってこれた。一生懸命なことが恥ずかしいときなんてなかったし、練習をサボろうとか、手を抜こうって思うほどダラけた気分になることなんか一秒もなかった。こんなの奇跡だよ」


当時、少しひねくれていたわたしは、先輩の言葉に八割くらいは感動しながらも、残りの二割では、ちょっと強がり入ってるんじゃない、なんて思ったりしてしまいました。


それでも、夏が終わって、三年生が引退する日、わたしが花束を渡す相手にその先輩を選んだのは自分の意思でした。いの一番に、その先輩にわたしが花束を渡すんだと立候補していました。


わたしはいま、会社員になって、ようやく先輩の言っていたことが分かるような気がします。わたしが入社した会社は、さほどブラックではありませんが、みんなけっこう残業をしていますし、サービス残業だってちょっとあります。


でも、職場が熱気に溢れているかと言うと、そんなことはありません。

みんな気怠そうに働いて、文句を言いながらも毎日、会社にやって来ています。


かくいうわたしも、そんな社員の一人です。


この会社には、そうやって何十年を過ごす人が、何十人も、何百人もいます。


だからこそ、「こんなの奇跡だよ」と先輩が言っていたのがよく分かります。

いまの職場で、正直、わたしはかなり戦力になっている自覚があります。

言うなれば、わたしはレギュラ―チームにいます。


でも、仕事は手を抜きたいと思ってしまいますし、一生懸命すぎるのも恥ずかしいという空気さえ、職場には漂っています。


先輩はいま、どこで何をしているのでしょうか。


先輩たちが引退したあと、仲間割れを起こして、お互いを憎しみあって、ダンス部を崩壊させたわたしたちのことをどこかで笑っているでしょうか。


それとも、わたしたちにことなんかとっくに忘れて、いまでもどこかで、一生懸命に、前へ前へと進んでいるのでしょうか。先輩たちの世代が史上最強世代と呼ばれていた理由、あんなにも強かった理由、強くなった理由がいまのわたしには分かります。


それは先輩がいたからです。


だって、一番下手な先輩があれだけ頑張っていたら、絶対に腐らずに、いつでも抜いてやると目を光らせていたら、誰だってサボったりはしないものです。先輩が一生懸命な人に囲まれていたのではなく、一生懸命な先輩が一人でみんなを囲っていたのではないでしょうか。


先輩のことを思い出すと、手を抜きたい気持ちが少しだけ引っ込んで、一生懸命が恥ずかしいなんて空気を乗り越えて、そしてちょっとだけ、そんな空気を変えてやろうなんて、そんな気持ちになったりします。


いまでもわたしの心を支えてくれている、そんな先輩との出会いはわたしにとって奇跡です。そして、いつか心の中の先輩を引退させて、わたしがわたしだけで頑張れる人間になりたいと思っています。


ダンス部を壊してしまったわたしと、いつかお別れしたいと思っています。

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