魔女ミスティラ
「……ここが、ソルシエール」
寄せ付けないような静謐さと自然の圧倒的な生命力が混ざり合った不思議な迫力。
僕は入口の脇に立つ年月を経て端が少しひしゃげてしまった真鍮の看板を見つめた。
看板は鈍く光り、長い歴史を物語っている。
意を決して扉をノックしようと手を伸ばした、その時だった。
「この前貰った薬、全然効かなかったぞ! 一体どうなってるんだ!」
突然、勢いよく扉が開くと同時に一人の老人が怒鳴り散らしながら飛び出してきた。
老人は自分の頭をぺしぺしと叩きながら叫び続ける。
「見ろ! この頭! 全然髪の毛が生えてこんではないか! せっかく愛しのマリンちゃんとデートだったのに、どうしてくれるんじゃ!」
すると、店内に響き渡るような鋭い怒声が飛んできた。
「五月蠅いわ! このクソ爺! お前さんの頭皮はもう死んでるんだよ!」
「なんじゃと! このインチキ魔女が!」
老人もひるむどころか顔を真っ赤にして罵声を浴びせ返す。
「だからわしら以外真っ当な客が来ないんじゃ!」
「大きなお世話だ! 早く帰れ! この色ボケ爺が!」
激しい言い合いの末、老人は「フンッ!」と僕の横を猛烈な勢いで通り過ぎていった。
一人呆然としていると静まり返った店内の奥から、ゆっくりと一人の女性が姿を現した。
薄暗い室内でもはっきりとわかる、理知的で、けれどどこか突き放すような冷たさを湛えた瞳。
しかし、その姿はどう見ても十代にしか見えなかった。
自分とそう変わらない……下手をすれば年下にも見える少女が、腰に手を当てて不機嫌そうに佇んでいた。
(この人が……魔女ミスティラ?)
母様の古い知人か、それなりの年配の方を想像していた僕はあまりのギャップに混乱していた。
「……で、そこに突っ立ってる坊や、あんた誰?」
彼女がは手に持っていた古い書物をパタンと閉じ、鋭い視線で僕を射抜く。
「あの……今日から、こちらでお世話になることになっています。ルークといいます……」
僕が消え入りそうな声でようやく挨拶をすると、彼女は「ふーん」と鼻先で笑った。
「あんたがマリアが寄越した子ね。あの娘によく似て随分おとなしそうなこと。まっ、いいわ。丁度やかましい爺が帰ったことだし、さっさと中に入りなさい」
促されるまま、僕は緊張でこわばった体を動かし、店の中へと足を踏み入れた。
外から見た時も圧倒されたけれど、店内の光景はさらに僕の想像を超えていた。
そこは建物というより、生きている大樹の「胎内」のようだった。
中央には、天を支える柱のように巨大な幹が鎮座し、その周囲を這うようにして大樹の起伏をそのまま利用した階段が上へと伸びている。
見上げれば、店内にまで自由に伸びた枝々には真鍮製のランプがいくつもぶら下がり、柔らかなオレンジ色の光が幻想的に周囲を照らしている。
壁際を埋め尽くしているのは、樹木のうねりに合わせて器用に加工された棚。
そこには、バザルタの市場でも見たことがないような、不思議な色をした液体が揺れる小瓶や見たこともない形状の乾燥した薬草、何かの結晶のような薬品が数えきれないほど並んでいた。
「……すごい」
僕は荷物を背負ったまま、ただただ天井から床までを視線で追いかけた。
薬草の強い香りと、生きている樹木の瑞々しい匂いが混ざり合い肺の奥がツンとする。
ミスティラは手に持っていた古い書物を手近な棚へと片付けると樹木のうねりを椅子代わりにして、ひょいと腰掛けた。
その際、さらりと流れた銀髪の隙間から、僅かに尖った耳が覗く。
(まさかエルフ……? この人が……?)
人間に比べて遥かに長い時を生きるという伝説の種族。
彼女の見た目が十代の少女にしか見えない理由が、ようやく腑に落ちた気がした。
ふと、僕の背後で小さな物音がした。
振り返ると、僕が連れてきたゴレムたちが、器用に荷物を運び入れ始めていた。
「へぇ……。面白いもの連れてるじゃない。魔法? いえ、なにか違うわね」
ミスティラは顎を乗せて、興味深そうにゴレムたちの動きを観察していたが、やがてふいと視線を外した。
「それじゃ、あとはよろしくね。あたし、これから出かけるから」
「えっ……? 出かける? どこへ?」
あまりにも唐突な言葉に、僕は思わず聞き返した。
母様からは、今日からここでお世話になるようにと言われていた。
生活の場として身を寄せるつもりでいたのに、挨拶もそこそこに外出だなんて。
「どこだっていいでしょ。ちょっと、世界を一周するくらいの勢いで遠くまでね。戻ってくるまで、あんたにこの店を任せるわ」
ミスティラさんは軽快に跳ねるような動作で立ち上がると壁に掛かっていた小ぶりな革のポシェットを肩に回した。
その足元は、いつの間にか編み上げの歩きやすそうなブーツに履き替えられている。
「ええっ!? 店を任せるって……僕はまだ、ここに着いたばかりですよ!? それに、あの……どのくらいで戻ってくるんですか?」
僕の切実な問いに、彼女は扉に手をかけ、まるでおやつを買いに行くのを思い出したような軽い調子で言った。
「んと、そうねぇ……多分100年くらいかしら」
「……はい?」
一瞬、思考が真っ白になった。
100年。
それは、人間である僕が寿命を全うし、この世からいなくなっていてもおかしくない歳月だ。
冗談にしては悪質すぎるし、本気だとしたらもはや理解の範疇を超えている。
「ひゃ、100年って……! ミスティラさん、冗談ですよね? そんなの、僕が死んじゃいます! それに薬の作り方だって、お店の切り盛りだって、僕は何も知りませんよ!」
詰め寄る僕を、彼女は涼しげな顔で受け流した。
「薬の作り方? あんた、マリアのこと色々と手伝ってたんでしょ? なら、知識のベースはもうあるはずじゃない。なら多分、大丈夫じゃない?」
まるっきり他人事のように、彼女はさらりと言ってのける。
「た、多分って……! 母様の手伝いと言ったって、僕はまだ見習いのようなものですし、ここの薬品は見たこともないものばかりです!」
「ああ、それなら心配ないわ。奥の棚に薬品についての書物や作り方をまとめたものが置いてあるから。一通り読めば、何とかなるでしょ」
彼女は事も無げに付け足すと再び出口へと足を向けた。
「大丈夫よ。エルフの100年なんて、人間のお昼寝みたいなものだし。あんたが死ぬ前にあたしがふらっと戻ってくるかもしれないじゃない? それにあの子――マリアにもそう伝えてあるわ。『息子を預かるのは構わないけど、あんたが来たら、私ちょっと出かけるわよ』ってね」
悪戯が成功した子供のように楽しげな笑顔を浮かべる彼女を前に、僕は言葉を失った。
どうやら母様と彼女の間ではあらかじめ話がついていたらしい。
いや、おそらく母様は、彼女のこの自由奔放さに押し切られたのだろう。
「とにかく! 中にあるものは好きに使っていいし、好きにやっていいわ。失敗して大樹を燃やしたり、変な毒ガスを撒き散らさないようにだけ気をつけてくれれば。あっ、それからこの建物の裏山、見える範囲全部あたしのものだから自由にしていいわよ。じゃ、そういう訳だからあとは頼んだわよ、ルークくん!」
「あ、ちょっと、待ってください! 100年なんて無茶ですって! ミスティラさん、ミスティラさーん!」
僕の必死の呼びかけも虚しく、彼女は鼻歌交じりに扉を開けた。
外から差し込む眩しい陽光の中にその華奢な背中が溶け込み、彼女は一度も振り返ることなく風のように去っていってしまった。
あとに残されたのは、大樹に飲み込まれそうなほど巨大で静かな店と荷物を運び終えて手持ち無沙汰にしているゴレムたち。
そして、途方に暮れて呆然と立ち尽くす僕だけだった。
「……嘘、だよね……?」
僕は、母様から預かった紹介状を握りしめたまま、シンと静まり返った『ソルシエール』の中で、ただ立ち尽くしていた。
お世話になるはずの家主が、僕の寿命すら超えそうな時間を残していきなり蒸発するなんて。
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