プロローグー2
しばらく猫耳少女の頭を撫でていると、突然背後から少し強めの口調で少女の名前を呼ぶ声がした。
「マロン!」
ボクはビクッとして撫でるのを止め後ろを振り向くと、肩幅ほどある大きめのつり銭箱を両手で持った女性が一人扉の前に立っていた。
「どうしたの? アセナ」
名前を呼ばれたマロンは不機嫌そうな顔で立っているアセナを見て、頭に疑問符を浮かべていた。
「どうしたのじゃないでしょ。まだ薬の補充と陳列が終わってないじゃない」
「あっ!」
どうやら掃除に満足して、肝心な事を忘れていたらしい。
「あは、あはははっ……」
笑って誤魔化そうとするマロンだったが、アセナの釘を刺すような鋭い視線に耐え切れず、猫耳をしゅんとさせ頭を下げた。
「ごめんなさい」
「もう開店まであまり時間がないから、急いで準備してね」
「う、うん」
マロンは反省した様子で返事をすると、メモをした紙を片手に、薬を取りに小走りで地下倉庫に向かった。
「――ルーク様」
「なんだい、アセナ?」
「マロンをあまり甘やかさないでくださいね」
「ボク、甘やかしているかな?」
「十分、甘やかしています。
……私だって頭撫でてもらいたいのに」
「ん? いま何か言った?」
「な、なにも言っていません!」
彼女は慌てた様子で首を横に振ると、わざとらしく大きな咳払いを一つしてみせた。
彼女の名前はアセナ。
彼女もまたこのソルシエールで働いている従業員の一人である。
オオカミのようにふさふさの耳と大きな尻尾、それから腰まで伸びた銀色の長い髪がとても目を引く。
アセナは頭の回転が非常に速く、いつも冷静で落ち着いて、実にマロンとは対照的な女性だ。
ボクがあれこれ指示を出さなくても自ら考え行動してくれるし、少人数でこのお店をやっていけるのは実は彼女のおかげかもしれない。
そんな彼女には接客以外にも仕入れの支払いや諸経費の計算、帳票の管理の仕事なんかもお願いしている。
開店前の釣銭の準備も彼女の仕事のうちの一つである。
アセナは手に持っていた箱をレジ横のテーブルに置くと、手際よく準備を始める。
テキパキと作業するアセナを少し離れた場所からぼんやり眺めていると、まだ開店前だというのに店の扉の呼び鈴が澄んだ音を立てて鳴り響いた。
ゆっくりと開いた扉の向こうには箒を抱えた小さな少女が立っている。
少女はボクの姿を見つけるとトコトコとボクの元へと駆け寄り、ぐいぐいと少し強めに服の裾を引っ張り話しかけてきた。
「ご主人、店の周りの掃除終わったぞ」
「うん、ご苦労様、ソラ」
このマロンより一回り小さいリス耳の少女がソルシエール最後の従業員である。
マロン、アセナ、ソラ、そしてルーク・シェラードの四人でこのソルシエールを切り盛りしている。厳密に言うと他にも働いてくれている相棒がいるのだが……。
「今朝もソラは頑張った」
「いつもご苦労様、ソラ」
「うん。だからいつもみたく頭をなでなでしてもいいぞ」
そう言ってソラはいつものように自ら頭を寄せてきた。
普段はどことなくそっけない態度で、物事に無関心なことも多いソラなのだが、頭を撫でられることが大好きなようで、この時ばかりはとても積極的になる。
まじめな顔をしてねだってくるソラに苦笑しつつ、アセナの視線が気になりながらも頭を撫でてあげた。
優しく数回頭を撫でてあげると、それで満足したのか、ソラはボクから一歩離れ、いつものソラに戻っていた。
「ご主人。お店の開店まで何か他にやることはあるか?」
うーん。他にやることか。
なにかあったかな?
ボクは唇に手をあてると、ぐるっと一周店内を見回す。
「そうだ、ソラ。地下倉庫に行って薬草の在庫を調べてくれないかな?」
「地下倉庫で薬草の在庫チェックっと。あと他になにかあるか、ご主人」
「うーん、そうだね。今は他にないかな」
「そうか、わかった」
「ルーク様、お話し中、失礼します」
「ん? どうしたんだい、アセナ」
「そろそろ学校へ行く準備をした方がよろしいかと」
「え? もうそんな時間?」
ボクは店の正面に飾られた大きな古いゼンマイ式の掛け時計に目をやると、いつの間にか時計の針が8時を指していた。